第126話、魅皇の語りし勝利の宣言。
「ほう、わっちの気配を察知出来るでありんすか」
声のした方を慌てて向くと、二本の角を生やした女が洗面台に腰掛けていた。体は蛍光灯を乱反射させる鱗に覆われている。美と狂気を融合させたその姿を、俺はハッキリと覚えていた。
「
「その通り。ご明察。わっちの名は魅皇でありんす」
彼女は微笑んだまま俺にウィンクしてみせる。あからさまな挑発だ。思わず頭に血が上る。
「覚えていてくれて、まっこと嬉しうございます」
忘れるわけが無い。つい昨日殺りあったばかりだ。その
「お前、何しに来た」
「そんなに睨まないでおくんなまし。わっちは礼に来ただけでありんす」
「はぁ? 礼だと? 俺は敵に塩を送る様なことはしてねぇぞ」
「いいえ、確かに礼を言いに来たんでありんすよ。しっかりと伝えてあげた方が、優しいかなと思いんして」
「優しいも何もねぇよ。俺は断ったはずだ。お前の計画には乗らない。
「そう口では言いつつも、体は素直なようでありんすねぇ」
女は微笑むと、体を霧状に霞ませながら俺を包み込むように距離を縮め、耳元に口を当てる。
「お主のおかげで、
「な、なんだと!?」
「その反応、やっぱり気づいてなかったようでありんすねぇ」
ニマニマと笑みを浮かべる彼女を両目で睨みながら、俺は声のトーンを落とした。
「お前、どうやって」
「簡単な話でありんすよ。わっちの能力は『霧』でありんす。お主からムンムン香る神の香りを追っただけの事。忘れたでありんすか? わっちは既に教室でも同様の方法でお主を見つけたでありんすよ」
そうだ。忘れていた。こいつは
教室に充たされていたその香りに気づき、怪奇現象を起こして俺を幽霊ビルへと誘い込んだんだ。
そして今度は、俺の匂いを覚えて跡をつけたということか。
「してやられたぜ……やっぱビル内で倒しておくべきだったか」
「それは無理でありんす。あそこは高次元。八百万の神住まう聖域の最上階。
「へぇ、神の領域ねぇ」
「おや? 疑っておいでで? まぁ無理もない。こう見えてわっち、神に最も近しい存在でありんすから」
鱗まみれの指先で、彼女は俺の頬に手を添えて微笑む。
「もっとも、
終始微笑みを忘れない彼女の向こうが、時折ガスのように透けて見えた。掠れ気味の魅皇。吹けば飛んでしまいそうだ。それなのに、なぜだか俺は全身を支配されるような恐怖に包まれている。
あぁ、ハッキリと理解した。
この女は強い。
間違いなく、強敵だ。
「生憎俺は無宗教でね。あんたが神だろうか悪魔だろうが、大して怖くはないさ」
嘘だ。先程から冷や汗が止まらない。足の裏がズキズキと痛む。
「ふぅむ。まぁ、そういう事にしといてあげましょう。今日のわっちはただ礼をしにきただけの事」
そう言うと、彼女は俺の頬に添えた手を離す。
「本当は、お礼に何でもしてあげたいところでありんしたが、わっちもこれから忙しくて忙しくて。ので、今日はここでさようならさせておくんなまし」
「おい、その為だけに来たのかよ」
されて嬉しくないお礼は初めてだ。俺からすれば、ヒーローとしての義務を果たせなかったという悲報なのだから。
魅皇の目的は、はるか昔にこの世界を魑魅魍魎が
そして、俺はヒーローという立場にも関わらず、彼女を阻止するどころか天照大御神が成り代わった細柳小枝の存在を知らせてしまった。
「結果的に俺の負けだと言いに来たわけか」
悔しさに表情を歪ませる俺を嘲笑うかのように、彼女は首を横に振った。
「いいえ、お主はわっちの頼みを聞いてくれたのでありんす。天照大御神様の居場所を教えてくれただけに留まらず、交渉材料まで提供してくれた。感謝してもしきりゃんせん」
「どういう意味だ」
「それはきっと、この週末分かるはずでありんすよ」
彼女はそう言うと、笑い声だけを残して消えてしまった。
突如として現れた謎の神は、嵐のように去っていった。残されたのは静寂のみ。
そして俺は気がついた。結局バーニングさんから手紙を取り返すことに失敗してしまったということに。
「はぁ、魅皇がなんかやろうとしていることは確かなのに、今週土曜日はバーニングさんとデートか……。憂鬱だ」
溜め息が止まらない。
とりあえず、顔を洗い直すとしよう。
魅皇越しに透けて見えた鏡に映る俺の顔は、まだ若干落書きの跡が残っていた。
「ほんと、ヒーロー失格だ」
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