第125話、デートとはなんぞや。

「え?」

「え?」

「え?」


 三人同時に固まった。


 静寂だ。

 出しっぱなしの水と、俺の顎から滴る水滴の音だけが空間を満たした。

 タイミングが悪すぎる。本当に悪すぎる。

 俺がバーニングさんにデートの件を訊ねたのと同じタイミングで佐藤亜月が入ってきた。そんな偶然があっていいのだろうか。


「二人、何の話してたんですか?」


 最初に口を開いたのは、佐藤亜月だった。

 これはどっちだ? デートの話聞こえちゃってたけど誤魔化しているのか、それとも本当に聞こえてなかったのか。

 彼女は俺とバーニングさんの顔を交互に見やると、俺をじっと見つめてきた。いや、こっち見ないで。何の話もしてないですから。なにか聞こえてたとしてもきっと聞き間違いですから。俺が佐藤さん以外にデートのお誘いするはずないじゃないですか。やだなぁ。ってかバーニングさんも何とか言えよ。

 しかし、俺がヘルプの目線を送り付けた当人はと言えば、素知らぬような表情で大きくあくびをするだけだった。


「えっと、今日の夕飯何が食べたいかって話をしてて……、ね? バーニングさん!」


「妾は魚が良いな」


 そんなバーニングさんをチラリと見てから、佐藤さんは佐藤さんは大して気にもとめない様子で俺にフェイスタオルを差し出した。


「はい、これ。今からお夕飯の支度しますね!」


「あ、ありがとうございます」


「魚料理にしますね! お楽しみにしててください」


 そう言い残し、洗面所を後にする我が愛しのヒロイン。彼女は去り際に振り返ると、バーニングさんの方を指さした。


「それとバーニングさん、あの落書き。ダメですよ! いくら仲良くても寝てる人にイタズラするのはダメです!」


「あ、あぁ。分かった」


 バーニングさんの返事も、しどろもどろといった感じだった。佐藤さんの圧、思っていたより凄い。


「さて、それでは話を戻すのじゃが」


 佐藤亜月が出ていったのを確認してから、バーニングさんは仕切り直した。


「でいととはなんぞや?」


「……は?」


 この女、すっとぼけてるのか?

 いや、違う。そんなはずは無い。だって脈アリなんだぞ。バーニングさんは俺の事が好きなはずだ。ところがバーニングさんが好意を寄せていた松本ヒロシという男は、早朝に人の部屋へ侵入するような男だった。それに幻滅した彼女は、家から出ていく決意まで固めてしまった。そのはずだ。


「いや、デートですよ、デート。遊園地デート行く約束が書かれた手紙をバーニングさんは持っているはずですが」


 俺の言葉に、彼女は少し考えてから閃いたように胸の谷間に手を突っ込んだ。

 いや突然何やってんだよ。確かにめちゃくちゃでかいけどさ。片手がすっぽり包まれるくらいでかいけどさ。

 とまぁ、目が離せなくなっている俺に見せつけるようにして、彼女は胸の谷間から封筒を取りだした。


「これの事かえ?」


「どっから取り出してんだよ!」


「いや、仕舞いやすくてよかろう?」


「知るか!」


「……それで、これがどうした?」


 バーニングさんは手紙をピラピラと靡かせて怪訝な表情を浮かべた。


「いや、その手紙にデートの誘い文句と、遊園地のチケットが入っているはずなんですよ」


「あぁ……これの事か」


 彼女は中から二種類の紙を取り出すと、小さく頷いた。


「遊園地というものがなんなのか分からなくてな、返事に困っておったのじゃ」


「……は?」


 彼女は俺の方を見つめながら、小さく首を傾げる。


「その遊園地とやらは、楽しいのか? どんな場所なのじゃ」


「えっと……遊園地ってのは、俺たちみたいな若者とかがデートで行くようなところで、色んな遊べるところがあって……」


「待て松本ヒロシ、そのでいととはなんぞや? 妾はそれを知りたいのじゃ」


 この反応、この質問、どうやらガチのようだ。バーニングさんはデートがなんなのか分からないんだ。


「デートってのは、気の合う男女が二人で遊んだり、思い出を作ったりすることで」


「思い出……か」


「でもバーニングさん、多分俺の事嫌いじゃないですか? だから、キャンセルしませんか? 無かったことにして……ね?」


 そう提案してみたものの、彼女は俺の話をきちんと聞いてはいなかったらしい。


「期限はあと一週間……ふむ、若き男女の思い出作りか……」


「あのー、バーニングさん?」


 彼女は俯きながら俺の説明を反復し、何やらぶつくさ呟いたかと思うと、唐突に決意した様子で顔を上げた。


「分かった、松本ヒロシ。でいとしよう」


「……はぁ?」


「今週の土曜日、一緒に行くぞ!」


 俺が何かを言い返すよりも先に、バーニングさんは踵を返して足早に去っていく。


「ま、待ってくださいよバーニングさん! 違うんです、その手紙は差出人を間違えてたんです!」


 慌てて彼女のあとを追い、洗面所から飛び出した。が、ほぼ同タイミングで嫌な匂いがした。

 鼻の奥にまとわりつくような、血の匂いだ。いや、少し違う。甘く微睡むような香り……。


「な、なんだ……?」


 俺はこの匂いを知っている。

 刻まれた恐怖が、足の裏をズキリと痛ませた。


「まさか、魅皇みこ……!?」

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