第123話、落書きを落とさねばならぬ。

「ってことは佐藤さんじゃないのか……」


 わざとらしくニヤケて見せながら、額に書かれた自分の落書きを手のひらで擦った。やっぱり落ちない。

 少しくらい滲んでくれるかと思ったのだが、変化無しだ。

 ったく、ほぼ確実にこの落書きをしたのはバーニングさんだろう。なんて古典的なイタズラなんだ。

 まぁ、俺は勝手にバーニングさんの部屋に忍び込んだ訳だし、その仕返しとして落書き程度で済んだのならむしろ万々歳と言ったところか。

 一応後で会ったら謝っておこう……。


「……すみません」


「なんで謝るんですか!?」


「なんか……謝った方がいいかなって」


「あ、謝らなくていいですよ。こんなの冗談ですし!」


 そう言いながらゴシゴシと顔を擦る。

 うん、取れない。油性ペンだ。


 とりあえず、このみっともない顔で佐藤さんと話をするのは格好がつかないな。顔を洗うとしよう。


「ちょっと俺、お風呂入ってきます」


「え、あっ! はい!」


 佐藤さんの性格の良さがひしひしと伝わる。普通こういった落書きを目にすると、笑ってしまうはずだ。

 何その顔? なんて聞きながら、含んだ笑いを吹き出したりするのが定石だろう。

 しかし、佐藤亜月は違った。終始完徹、俺のことを心配し続けていた。馬鹿にしたり面白がったりすることは一切なく、俺のことを心配し寄り添おうとしてくれていた。

 それは佐藤亜月という人物の優しさを象徴するものであったが、それと同時に危うさも感じる。なんと言うべきか、彼女の感覚が全てにおいて真面目すぎるのだ。

 一つ一つの事柄を、出来事を、全て真摯に受け止め自分の中で処理しようとしている。

 純粋であるが故の脆さを、垣間見た気がした。


「佐藤さん、こんなのよくある事ですよ! 気にしないでください」


「……でも、お肌が」


「せっかくだから記念撮影でもします? ヒーローの情けない素顔なんて滅多に見れませんよ!」


 そう言って笑って見せたが、彼女は困り眉で口角を無理に上げることしか出来なかった。素直な人だ。きっと俺は、そんな彼女の優しさに惚れたのだろう。


「あはは、安心してください。こんなの洗えばすぐ落ちますし!」


 彼女の純粋すぎる性格は、確かに素敵だ。でも、それ故に傷ついてきたことも多いのだろう。人は皆、彼女ほど優しくはない。時として悪意に満ちているし、時として自分のことしか考えない。

 他人のために傷つき、他人以上に思い悩むことが出来る佐藤亜月という少女は、優しさと儚さを併せ持つ一輪の花に見えた。


 ガトーショコラが彼女のストレスを解消しているというのも、悔しいが納得してしまった。


「化粧落とし借りていいですか?」


 俺は飛びっきりの笑顔で彼女の方をむくと、佐藤さんは慌てて頷きながら立ち上がった。


「フェイスタオル、用意します!」


「あはは、ありがとうございます」


 俺はそう言うと、洗面所へと向かった。

 三面鏡が俺の不格好な顔を三倍にして見せてくる。本当に格好悪い顔だ。溜め息が出てくる。


「バーニングさんのやつ、ここまでしなくてもいいだろうに」


「そ、その節はすまなかった……」


「バーニングさん!?」


 慌てて声のした方を向くと、赤と黄色を基調とした煌びやかな和服に身を包む女性が立っていた。


「なんでここに」


「い、いや。偶然じゃ」


 彼女はバツの悪そうな表情で目を泳がせながら頭を搔く。


「そ、それより落書きしすぎた……すまない」


「あぁ、そんなのどうでもいいですよ!」


 そう言って笑ってみせると、彼女はケロッと表情を明るくさせる。


「そうか! 流石はマツモトキヨシじゃ。そう言うと思っておったぞ!」


「俺の名前は松本ヒロシだっての」


 なんだよ。さっきの佐藤さんとは大違いだ。むしろ反応が腹立つ。

 いや、仕方がない。そもそも悪いのは俺だ。勝手に女性の部屋に忍び込んで、勝手に探し物を始めた。

 プライバシーを侵害し、彼女のプライベートを荒らしてしまった。

 佐藤亜月とデートしたいという俺の勝手な欲望のために、バーニングさんを傷つけてしまった。

 落書き程度では、彼女の怒りも収まらないだろう。


「そんなことより、バーニングさん。今朝は勝手に部屋に入ってすみません……」


「……いや、それはもう良い。妾は大して気にしてはおらぬ」


 嘘だろう。彼女は目を逸らした。


「……ごめんなさい」


 物凄く気まずい。

 俺はバーニングさんに背を向けて、蛇口を捻った。お湯と水を混ぜてぬるま湯を作り、自身の顔を洗う。

 化粧落としや洗顔で油性ペンが落ちるのか、正直試したことは無い。

 けど多分大丈夫だろう。


「あのな……松本ヒロシ」


 俺が顔をゴシゴシとやっている最中、背後でバーニングさんが弱々しい声で話し始めた。


「お主が妾の事を知ろうとしている理由はなんとなく想像がつく。いや、もうほとんど分かっておる」


「……え」


 俺は思わず、自分の顔を洗う手を止めた。

 ……今なんて言った?

 俺がやってたことの理由がわかるって言ったよな?

 って事はもしかして……手紙のことか?

 バーニングさん、既に手紙を読んでしまったのだろうか。

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