第122話、紅茶の効き目が切れし時。

「な、なんじゃこの異様な雰囲気は! 驚き桃の木山椒のカーニバルナイトフィーバータイムじゃっ!」


 聞いたことの無い驚き方をしているバーニングを尻目に、俺は即座に立ち上がるとガトーショコラを抱き抱えた。


「ごめんなさいバーニングさん! 詳しいことは今度話します!」


「ま、待て松本ヒロシ! その女は一体!」


 佐藤亜月の中に住み込んだもう一つの人格、怪人フラワーを着き従えるラスボスだ……。等と答えれるわけが無い。

 そんなことが世に知れ渡ってしまえば、ヒーロー協会案件だろう。ガトーショコラ討伐隊が組まれ、佐藤亜月ごと葬られる。そういうわけにはいかないのだ。

 佐藤さんの安全は、この俺が守る!


「こいつの名前はガトーショコラ、ガトーショコラです!」


「……なんと面妖な」


 バーニングさんがそう呟く声を後に残し、俺はガトーショコラを抱えたままリビングまで足速に走った。


「ダーリン♡」


「なんだよ!」


「お姫様抱っこ嬉しい♡」


「やかましいわ!」


 そのままソファーに投げ捨てると、ガトーショコラはキャッと小さく鳴いてから眠そうに目を閉じた。


「ダーリン……迷惑かけてごめんね……。亜月ちゃんと……仲良くしてね♡」


「言われなくてもそうするよ」


 俺の初恋の人なんだから。と続けるより先に、彼女の髪の毛が新雪よりも透き通った銀に変わる。

 それから、スヤスヤと小さな寝息を立て始めた。


 それを見て、俺も昨晩から一睡すらできていないことを思い出し、体に残った疲れと慌てふためいた精神的疲労とが瞼を重くする。


「……ふぁぁあっ」


 そのまま大きな欠伸と同時に、俺の意識は落ちていくのだった。


 それから、目が覚めたのは昼の3時だった。透き通った優しい声色で、起きてくださいと何度も囁かれたことは覚えている。

 薄目を開けると、佐藤亜月が恐る恐る指先で俺の肩をつつきながら、困った顔でオロオロしていた。

 揺すり起こしているつもりなのだろうが、全く力の籠ってない指先から伝わる微弱な振動は、方の筋肉痛を優しく刺激する程度だ。


「あれ……私寝ちゃってましたか?」


 このまま必死に俺を起こそうとオロオロしている彼女を眺めるのも良いなぁとは思ったが、それはそれで可哀想な気もしてきたので目を開くことにする。


「あ……お、おはようございます」

「おはようございます……?」


 時計をチラリと見やってから首を傾げると、佐藤さんは少々困った表情を浮かべたまま舌を出した。


「私たち、寝坊しちゃいましたね」


 恐らく、彼女の中での記憶は俺と一緒に家へと辿り着いたところまでだろう。ガトーショコラの話を合わせて推測するに、帰宅後、就寝前に紅茶でも飲んで入れ替わったのだと思われる。


「私……自分のお部屋でウトウトしてたつもりだったんですけど、リビングで寝てました?」


「あぁ、多分御手洗かお水を飲むかって理由でリビングまで来たんじゃないですかね……?」


 適当に誤魔化しつつも、俺の頭の中はバーニングさんの事でいっぱいだった。

 正直、ガトーショコラの提案に乗ったのは失策だ。あんな事をすればバーニングさんからの評価が下がるに決まっている。現に物色しているところを見つかってしまい、ガトーショコラの存在を知られてしまった。

 バーニングさんからすれば、遠路遥々一文無しでようやく手にしたプライベート空間を同居人に侵された形になっているだろう。

 きっと不信感が高まっているはずだ。

 バーニングさんに謝らないとな……と、頭を抱えた瞬間だった。


「ま、松本さん……これを」


 佐藤亜月が俺に手鏡を差し出した。

 手鏡?

 なんでだ?

 俺、そんなに寝癖凄かったのだろうか?


 疑問に思いながらもデコレーションの施された手鏡を受け取り、自分の顔を写した俺は思わず絶句した。


 額にデカデカと『バカ』のに文字が書かれていたのだ。

 いや、それだけじゃない。両目はまるでパンダのように丸く塗りつぶされていたし、口周りには海賊のようにくるりと巻いた口髭が書かれている。


「なんだこれっ!?」


「わ、私じゃありませんよ!」


「い、いや、それはもう。ええ、分かってますけども……」


 佐藤さんが寝てる俺に落書きなんかする訳ないだろ。いや、仮にしたとしたらそれはそれで可愛いけど。

 だが犯人は想像が着く。

 ガトーショコラだ。


 と思ったが、ふと考えを改める。ガトーショコラは俺が寝るより先に消えたはず……。


「佐藤さん、本当に今起きたんですかぁ?」


 ちょっとイタズラっぽい表情で彼女を見やり、口元をニヤリと歪める。すると彼女は自分が疑われてると思ったのか両手をパタパタと動かしながら首を横に振った。


「私じゃ、私じゃないです! 起きたのだってつい先程で、学校ズル休みしちゃったって焦ったんですから!」


 彼女は先生からも一目置かれた優等生だ。もし早く起きたのなら着替えてすぐに家を出たことだろう。ということは確実に彼女は今起きたことになる。佐藤さんがつい今しがた起きたばかりということは、その間紅茶を飲むことは出来ないのでガトーショコラも出てきてはいない。

 まぁ、紅茶以外にも発生条件があるのかもしれないが。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る