第109話、網剪の最後、怒りに溺れん。
もう
「それよりサッサと助けてくんねぇかな。この姿勢疲れるんだわ」
ガトーショコラの舐めプな態度に溜息を漏らしつつ、俺は懇願する。体に回った毒がガトーショコラの魔法によって除去されたとはいえ、魅皇は俺を解放するつもりは無いらしい。どこからか生じた腕に体を固定されているのだ。
まったく、後ろ手でキツく掴まれるのは正直しんどいんだ。
「えー、今からが面白いのに♡ ダーリンも退屈させないから、ちゃんと見てて♡」
「はいはい。できるだけ手短に頼むよ。この魅皇とかいう女、怪力ゴリラでマジ掴まれているところ痛いんだわ」
「な、なにをっ!? ゴ、ゴリラだと!? わっちはそんな魅力のない女ではないはずっ! 訂正してくれ! わっちはもっと清らかで妖艶な妖怪のはずっ!」
「痛ててて、強く握るなよ! 握力500kgかよ」
「だから、わっちはゴリラではない!」
必死に訂正を求める魅皇に対して、俺はハッキリと「うるせえゴリラ女が!」と叫び返してやった。足の皮を剥ぎ取られた仕返しだ。
「くすくす♡ 言われてますよ、オバサン♡」
「そ、それよりわっちの網剪はどうしたのだ……!? なぜあんなに苦しそうに泡を吹いているのだ!」
「さぁ?」
「クスクス」
「な、何を笑っておるか!」
驚愕する魅皇。俺とガトーショコラに振り回され、タジタジの彼女を見て、網剪は余程気に食わなかったのだろう。自らの主を目の前でバカにされている事実に激高した彼は、更に顔を赤くし、同時に口から泡を溢れさせる。まるで溺れているかのようなその姿に、魅皇は動揺を隠せず息を飲んだ。この反応はメンタリストでなくても分かる。恐怖だ。今妖怪を率いるこの女は、完全に恐怖している。
「くっそ雑魚じゃん♡ アンタなんかがダーリンに触れていいわけないでしょ、反省しなさい♡」
俺を助けるという名目で突如現れたガトーショコラだったが、その強さは絶大だ。一瞬にして敵を手玉に取り、場を支配した。彼女の持つ宝石の力がこれ程のものとは。正直、彼女を倒せるヴィジョンが見えない。それ程にガトーショコラが強すぎるのだ。
一方、空中でもがき続ける網剪はと言えば。ジタバタとのたうち回る無数の脚を、ガトーショコラが発生させた青い魔法弾によって一本ずつもぎ取られている。
「ほらほらほらほら♡ あんたの足が一本ずつ消えていくわよ♡」
まるで俺の足の皮を1ミリずつ削いでいた網剪への報復と言わんばかりに。
「ゴボッゴボボッ」
網剪はもうダメだ。まともな言葉は愚か、一呼吸置くことすら許されないほどに怒りを抱いている。完全に、文字通り、怒りに溺れている。
そう。これがガトーショコラのトランス能力の一つ。アクアマリンから引き出した能力『聡明な少女、アクアショコラ』だ。その常時発動型空間魔法である『
「な、何者でありんすか……お前はッ!」
魅皇は、完全に恐怖を抱いてしまったようだ。目は泳ぎ、後退りを始めている。俺を捉えていた腕も、もう離れた。
魅皇の戦意は喪失した。
「み……魅皇様ッ! ……お助けをッ!」
残った空気を絞り出すようにして、網剪は美しい黒髪の女性に目をやる。しかし、呼ばれた彼女は自らの角を玉虫色の鱗が生えた手で弄りながら後退りするばかり。完全に恐怖が魅皇の心を支配していた。
「はい♡ 時間切れ♡」
ガトーショコラがそう口にすると、網剪の顔面が青色の魔法弾によって吹き飛ばされた。
「次は……アナタね♡」
ガトーショコラが笑うと同時に、彼女の体が光に包まれる。同じ光景を既に見た事のある俺は瞬時に理解した。トランスだ。一瞬で終わらせるつもりなのだろう。
「ダイヤモンド、アタシの願いに応えよ。その名に刻まれた永遠の誓いを今ここに示せ。
眩い光は、白を基調としたプリズム的乱反射を繰り返し、七色の光が溶け込む。その強過ぎる発光は、漆黒の闇に包まれていたビルを煌々と照らし、絢爛たる少女がそこに浮び上がる。彼女は純白のドレスを身にまとい、そして微笑んだ。
「煌めく真実の輝き、ダイヤショコラ!」
決めポーズとともに、輝きは落ち着き、彼女の周囲を照らす程度に留まる。彼女の持つ最強の戦闘フォーム、ダイヤモンド状態に入った。俺は思わず彼女から受けた特大魔法の痛みを思い出しゾッとする。しかし、魅皇はまだ彼女の恐ろしさを理解していないらしい。彼女は目の前で早着替えして見せたガトーショコラに対し怪訝な表情を浮かべてから、鼻で笑うだけの精神的余裕を見せつけてきた。
どうやら、網剪が殺されたことで何かが吹っ切れたらしい。明らかに恐怖しているはずだ。手先も震えている。にも関わらず、彼女は戦う意思を見せた。
「わっちのことを倒す気満々のようでありんすけど、果たして上手く行きましょうかえ? わっちの能力の一つも分かりゃせんものを!」
魅皇の、本気の抵抗が始まろうとしていた。
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