第107話、洗脳誘惑手段は問わず。

「火車を殺してくれた礼もしたいでありんすし、何より天照大御神アマテラスオオミカミ様に言伝を頼んでくれるよう、しっかりと相談もしたいと思ってるでありんす」


 俺の頭を、どこからともなく現れた腕がむんずと掴んで、魅皇の唇は俺の耳元で囁く。毒の効果だろうか、意識が朦朧とする頭に、ガンガンと魅皇の言葉が響き渡った。誘惑するような、甘い吐息の混ざった声で。左右の耳を、くすぐるような声色で。彼女の言葉が鼓膜を揺すって脳に刺さる。


「のう、鬼龍院刹那きりゅういんせつなさん、わっちの言うこと、聞きたくなってきたでありんしょう?」


 甘く優しく妖艶な言葉と同時に、足裏に鋭い痛みが走った。


「今、網剪アミキリいう魑魅魍魎を召喚したばかりでありんす。お主は足の裏から1ミリずつ、肉が削がれていくでありんすよ。ほれ、天照大御神様に伝言したい、そう思ってきたでありんしょう? ほうら、肯定の意を示しておくんなまし。ほうら、ほうら。死が近づく快感……でありんすよ」


 右耳、左耳、そしてまた右耳、擽られるように、耳元で囁く声が聞こえる。背筋がゾクリと震え、恐怖と同時になんとも言えない快楽が脳を支配する。頭の奥が真っ白に塗りつぶされ、視界の至る所に魅皇の瞳が揺らめきながら映る。

 心地良さとは少し違う。何か悪いことをしているような、興奮に近い快楽が両耳から全身を突きぬけていく。


 ──ジャキン。


「……ぁ!」


 鋭い痛みが足元から頭のてっぺんにかけて瞬時に走る。足の皮がまた一枚剥がれたのだろう。

 甘く気持ちの良い感覚と、時折訪れる痛みとが、意識を不安定にさせる。


「ほうれ、まだ血は出てないでありんすよ?」


 巫女の腕がどこからともなく現れ、ペラペラになった俺の足の皮を見せてくる。


「ほうれ、綺麗な足の皮で……ありんすねぇ」


 言葉の最後の方は、聞き取れるか聞き取れないか曖昧な声の小ささで、ふっと耳たぶに息を吹きかける。足裏の痛みを一瞬忘れてしまうほどの気持ち良さに、全身がビクリと跳ねた。

 恐らくこれも彼女の毒のせいなのだろう。俺の意思とは無関係に、全身が快楽を求め始めていた。


「土踏まずや指の間接部位は地面に触れてないのが、この形を見ると分かりやすいでありんすねぇ?」


 まるでバイノーラルのように、左右から声と吐息が俺の耳へ刺激となって突き刺さる。その度に、朦朧とした意識がピリリと触発される。


「ほうら、きっと次は血が出てしまうでありんすよ? はよう天照大御神様との接触について肯定しておくんなまし」


 よほど俺に執着しているらしい。これは、俺に誘いを断られたことによる八つ当たりも含まれているのだろうか。


「もし、わっちの言うことを聞いてくれるのであれば、わっちの身も心も、お主の好きにしてくれて構わないでありんすよ。今よりもっと……気持ちいいことが出来るでありんすよ」


 彼女の言葉は甘い誘惑。そして全身に時折訪れる鋭い痛み。飴と鞭とはこのことを指すのだろうか。俺の全身が、彼女の言葉を受け入れようとしている。

 もういっそ、彼女に協力してしまおうか。世界滅亡の神である天照大御神とやらに接触し、魑魅魍魎の軍勢が今にもこの世に進軍しようとしていることを伝えてやろうか。そうして、魅皇達が認識することの出来ない天照大御神の決壊を破り、世界征服の手伝いをしてしまおうか。


「お、俺は……」


「うん、分かってるでありんす。分かってるでありんすよ。お主は何も悪くない。ただ、わっちと気持ちいい事をして、世界は天照大御神様に委ねる。それだけの事でありんす。なにせ、元々この世は天照大御神様のものだったのですから」


「……あぁ。そうなのか」


「えぇ、だからほうら、わっちの指示に従って欲しいでありんす」


 彼女の支持に従う。そうすれば、きっと俺は今の快楽を永遠に味わうことが出来るだろう。魑魅魍魎は地球を支配し、天照大御神とやらが完全にこの世の頂点に立つ。そしてそいつを復活させた協力者として、俺は魅皇を好きにできるわけだ。

 悲しきかな。俺も高校一年生。性欲の一つや二つ当たり前のように湧いてくる。吐息だけでこんなに気持ちよくなれるのだ。もし彼女の支持に従い、彼女と共に世界を滅亡させ、そして彼女の傍らで快楽に身を委ねることが出来るのならば、どれほど幸せだろうか。


 俺だって、戦いとかを考えず、男女の恋愛を経験したい。彼女とか作って、デートして、プレゼント買ったり、一緒に食事をしたり、一夜を共にしたり……。

 そこまで考えて、ふと頭の中に愛しき人の姿が過った。


 佐藤亜月の姿が。


「誰が……世界滅亡に手を貸すかよ!」


 俺は苦痛と消えゆく意識とを必死にこらえて、唇を噛み締めハッキリと口にした。絶対に負けない。ヒーローは絶対に負けないのだ。

 目を覚まさせるために下唇を強く噛み切り、血の味がする生唾を飲んだ。

 佐藤亜月さんと幸せになる未来を手にするためにも、俺は負けられない。こんな所で世界滅亡に手を貸してたまるか。


「交渉決裂でありんすかえ?」


「当たり前だ! てめぇみたいな鱗女、交渉材料にすらなり得ねぇ。俺が惚れた人はもっともっと可憐な美少女なんだよ!」


 魅皇が悔しそうに表情をゆがめた途端、聞きなれた声が聞こえてきた。


「あはは♡ ダーリンのそういうところ、ほーんと大好き♡」


 次の瞬間、コンクリートの壁が凄まじい音を立てて粉砕し、光が差し込む。


「なっ!?」


 魅皇の驚く声が響き渡り、同時に俺の意識が少し回復する。重たい瞼を必死に開き、眩い光の指す方を覗き見れば、そこには真っ黒い髪をこれでもかと逆立てて宙に浮く一人の女子高生がこちらを睨みつけていた。


「ガトー……ショコラ?」


「ダーリンは誰にも渡さない♡」


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