第106話、謎多き敵に屈することなかれ。

 俺の首を締め付ける彼女の腕は、別に物凄く強い訳では無い。やはり女の力だ。振り解けない訳では無い。全身のエネルギーを両腕に集めれば、俺を羽交い締めにしている彼女を引き離すことなど容易だろう。

 だが、俺はあえてそうしなかった。彼女の能力が分からないからだ。全く想像ができない。なぜ俺の攻撃が当たらなかったのか、どうして彼女の気配と違う方向から攻撃が飛んできたのか。なぜ彼女の腕だけが俺の目の前に現れたのか。どうして居ると思った場所に居らず、居ないと思った場所に居るのか。


「どうやって……姿をっ」


「教える義理は……無いでありんすよ」


 俺を後ろ手で羽交い締めにしながらも、俺の真正面から彼女の声が聞こえてきた。この事から、瞬間移動等の能力ではないことが判明したと言っても過言ではないだろう。俺を捕まえたまま別の場所から声を出す。ということは、頭だけ俺の正面にある肉体分離系か、もしくは空間を捻じ曲げるタイプか。


「わっちは魅皇みこ魑魅魍魎ちみもうりょうを束ねし魑魅すだまの一人。何処にでも居て、どこにも居ない存在でありんす」


 声は真正面から聞こえるかと思えば、上空から聞こえ、上空から聞こえるかと思えば真横から聞こえてきた。


「なるほど……な」


 何処にでも居て何処にも居ない。言い方がかなり比喩的で分かりにくいが、恐らくは空間系の能力者であることに間違いないだろう。まるでパフォーマンスでも見せる手品師のように、魅皇は余裕を見せつける。暗闇の中でもハッキリと分かるように、右から、左から、上から下から真正面から、存在感を放っては消える。

 ずっと彼女は俺の背後で俺を羽交い締めにしているはずなのに、だ。


「暗闇での戦闘にもちかけたのも、俺の視覚を奪って正常な判断をさせないためか」


 窓一つ無い室内、存在しない照明機材。完全な密室の中で、完全な暗闇。そうでもしないと、彼女の能力のネタが割れるのだろう。

 だからわざわざ光を消した。そうドヤ顔を決めた俺に対し、魅皇は心底驚いた様子で素っ頓狂な声を出した。


「ふぇ? ……いや、光を殺したのはお主でありんす」


「あれ、そうだっけ?」


「そうそう、わっちがお主のためにわざわざ作ってやった火車を、お主がえいやと一殴り……」


「あー、そういえば!」


 俺がポンと手を鳴らすと、魅皇は「この忘れん坊さんめ!」と茶目っ気を出して笑う。釣られて俺も笑顔がこぼれ、二人して声を合わせて笑い声を上げた。

 一頻ひとしきりり笑い、場が落ち着いたところで、巫女はふと後ろから俺に抱きついた姿勢のまま囁く。


「さてさて、鬼龍院刹那きりゅういんせつなよ」


「……ん? なんだ?」


「わっちのために天照大御神とのやり取りをしてくれる気には──」


 そんなの答えは決まってる。


「なってない。言っただろう? 俺はヒーローなわけ。ヒーロー業と相反することは、基本やらないよ」


 ちなみに金銭の要求は別に悪いことじゃないからセーフだ。


「ふーん、そうでありんすか」


 魅皇は、残念そうに呟くと、俺の首を締め付ける力を抜いた。


「あれ?」


 解放してくれるのだろうか。案外、話せば分かる奴だったのかもしれない。

 そう安心してしまった俺に、彼女はそっと顔を近づけ、口を開いて息を吹きかける。その甘い香りが、瞬く間に俺の意識を奪い去っていった。


「っ……!」


 まさか毒か、そう声に出そうとしたが時すでに遅し。朦朧とする意識の中、俺は肺に流れ込んだ彼女の甘い吐息を吐き出そうと躍起になる。しかし、無駄だった。息を吐き切るよりも前に、両手両足の痺れを感じ、視界から色が失せる。


「しばらく寝ておくんなまし」


 ふふふと笑う彼女の表情を見上げながら、遠のく意識を何とか保とうとして周囲を見渡す。

 何か、何か俺の意識を保つものは無いだろうか。

 藁にもすがる思いとはこのことを指すのだろう。必死に手を伸ばそうとするも、身体は言うことをきかない。声を出して助けを呼ぼうにも、呼吸すらままならない。相当強力な毒なのだろう。呼吸が叶わなくなった俺の体は、オリオン座の力を保持し続けることが出来なくなった。預金はまだある。変態状態を維持するための金銭的余裕はあるのだが、肉体がそれを許容してくれなかった。


「その黒々とした格好よりも、今の情けない表情の方が可愛げもあってわっちの好みでありんすよ」


 巫女が嫌味ったらしく笑うが、朦朧とする意識が邪魔して彼女の表情を見ることすら出来なかった。


「うふふ、とても可愛いお姿でありんす。今のお主でしたら、わっちいつでも嫁入りしとうありんすねぇ」


「はは……は、魅力的な……話だよ」


 必死に嫌味を込めて返事をするが、ダメだ、もう両手両足はピクリとも動かない。そんな俺に、彼女はそっと指先で触れてクスクスと笑い声を立てる。襲われる恐怖だ。戦闘的な意味合いでの襲われる、ではなく、性的な意味での襲われる恐怖。


「や……めっ」


「体は抵抗すらできぬ様子でありんすよ?」


 やめろ、やめてくれ。触るなっ! 俺には心に決めた、佐藤亜月さんが居るのだ。いつかあの人と仲良くなって、手を繋いでデートしたり、二人きりでお話したり、そんな未来を勝ち取るのだ。

 そのためにも俺は、負けられない。


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