第102話、誘惑に打ち勝たん、それは英雄。
「魅皇様! 魅皇様! お気を確かに魅皇さムグァ!」
彼女の周りをグルグルと回り続けていた火車の顔面を、魅皇の拳が見事に捉えた。勢いよく吹き飛ばされていく炎の塊を睨めつけて、魅皇は「やかましいわ!」と叫んでから俺を再び潤んだ瞳で見つめる。
「な、なぜわっちの誘いを断ったのでありんすか?」
魅皇の震える声色、涙の浮かぶ瞳。そしてチラチラと目に入るのは、色気のある柔肌と翡翠色に光沢した鱗。
「わっちの誘いを断るなら、それなりの理由が知りたいでありんすえ……」
語尾を掠めながらこちらを上目遣いで見上げた彼女から、必死に目を逸らして自分の良心を鼓舞する。
「い、いや……だからそれは……俺には好きな人がいて」
声が震えてるぞ松本ヒロシィ! そんなんでいいのか鬼龍院刹那ァ!
「納得できんせん! 全くもって納得いかないでありんす! だってわっちのご褒美を求めておったでありましょうに! すなわちわっちの身体を欲しておった! やっぱりわっちが好きなはずなのでありんす!」
いやいや、それもトンデモ理論って奴ですよ。まずそのトンデモ理論を何とかしてくれ。頭にちゃんと脳みそ詰まってんのか? ご褒美求めるイコールえっちがしたいってロジックもなかなかに凄まじい理論だが、まぁ確かに思春期男児としては理にかなった理屈でもある。だが、ご褒美を求める人は気があるってのはおかし過ぎないか? なんでも恋愛に結びつけちゃう脳内お花畑系女子か? そもそも俺が求めたものを勘違いしすぎだ。ああ、そうだ勘違いだ。まずその勘違いを正してやるところから始める必要があるな。
「わっちのことが好きなんでありんすよね? わっちのご褒美が欲しいのでありんすよね?」
「いや、誤解だ! 俺が求めたのはそもそも金銭であって体じゃない!」
「納得できないでありんす!」
「いや話聞け!?」
涙を流して首を横に振る魅皇を、俺はどう説得しどう慰めるべきだろうか。ってかそもそもちゃんと服を着てくれ。目のやり場に困る。
「わっちにご褒美を強請る男は皆わっちが好きなのでありんす!」
どういうロジックでそうなるんだ。
「魅皇様、こちらを飲んで落ち着いてくだされ」
火車が魅皇を落ち着かせようとばかりに持ってきた湯呑みを、彼女は一気に飲み干してから俺を見上げた。恥ずかしさが涙腺を緩ませたのだろうか、潤いの増した彼女の瞳が、俺の胸をドキリとさせる。いや、しない。別にそんなぶりっ子フェイス如きで俺の人間不信ブッパメンタルが揺らぐわけが無い。俺の心を掴んで話さないのはマイエターナルエンジェウの佐藤亜月ちゃんだけだ! あ、今頭の中でちゃん付けしちゃった……っ!
「わっちが好きと言え!」
「いや、好きじゃない……です、はい」
脳内で佐藤亜月の笑顔が再生される。嬉しそうに紅茶を飲んでいる。
「わっちの誘いにドキドキしておったくせに!」
くっ……それは図星だ。妄想の中の佐藤亜月が瞬時に弾け飛び、目の前で色気を放つ魅皇だけが存在感を放った。
いや、ドキドキしない方がおかしいだろう。だって、その、なんというか。綺麗な方が積極的すぎるアプローチをかけてきたわけだから。それを見てドキドキしない男が果たしてこの世に存在するのだろうか。
「わっちのことえっちな目で見ておったろうに……」
「見てねぇ……とも言いきれないです……っ」
こういう時の自分の素直さが辛い!
「なのに何故、何故わっちの誘いを断ったでありんすか!」
「い、いや。その……だって俺、ヒーローだし」
ヒーローたるもの、悪事に手を貸すことなどあってはならない。常に、いついかなる時であろうとも、法と世間に対し誠実であり続けなければならない。俺の父親からの教えを、俺は破るつもりなどない。と、心の中ではハッキリ言えるのに、口から出た言葉は何とも頼りないしどろもどろとしたものだった。
「ヒ、ヒーローは……そ、そういうことしないんだよ」
悪いことはしない。他人に強引な欲求もしない。それがヒーローってもんだ。ちなみに金銭の要求は強制ではなく寄付を募る形なのでセーフだ。誰がなんと言おうとセーフだ。
「ヒーロー?」
魅皇は俺の発した言葉の意味を理解できなかったらしい。まぁ、彼女のさも時代劇から抜け出してきたかのような古めかしい服装や言葉遣い、使役している
「ヒーロー。英雄と書いてヒーロー。この世界で、人に仇なす人ならざるものを退治する存在のこと」
「英雄……ふむ、ということはお主はこの時代における天皇のようなものか?」
「いや、その人とは違うんだけど……ってかその人はまだこの時代にも代々続いてて……ってかお前がいた世界では天皇って英雄扱いされてたの? ってかお前何時代の人間だよ!」
俺の怒涛のツッコミに対し、魅皇はキョトンと目を丸くした。
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