第100話、妖艶に魅せられし男ありけり。

「……っ!」


 巫女が両手で胸を隠しながら、そっと俺に微笑む。どう反応すれば良いものか分からず、ただ黙って立ちつくすことしか出来ない俺に、彼女は赤面したまま早口で続けた。


「お、お前も脱がんか……。それと火車、火を消しておくんなまし!」


 突然言葉をぶつけられた火車は、慌てた様子でそっぽを向く。どうやら火車も主である魅皇みこの姿に魅入られていたらしい。いや、気持ちは痛いほど理解出来る。美しい肌と人間離れした鱗のコントラストが、炎の明かりに照らされてより一層この世のものとは思えない美貌を際立たせている。思わず見入ってしまう。目が離せなくなってしまう。そんな誘惑してくる美しい姿に、俺もどうやら目を奪われていたらしい。

 火車に習って俺も慌てて目線を逸らし、呼吸を落ち着かせた。


「は、はよう火を消しておくんなまし」


「は、はい。魅皇様。よ、よろしいのですね?」


 ほら見ろ、お前の部下が物凄く動揺してるじゃないか。動揺しすぎて炎の操作上手くいっていないぞ。いや、動揺しているのは俺も同じだ。

 廃ビルの、窓もなければ電気もつかないとある一室。男女二人きり。

 男として、耐えられないのが本音だった。我慢できないのが、本音だった。


「は、早くしておくんなまし。わ、わっちとて恥ずかしいでありんす……。そ、それと鬼龍院刹那……。き、来て……おくんなまし」


「あ、えっと、はい!」


 俺は何を返事してんだ。そしてなんでベルトを外そうとしてんだ……。いやでもよく考えてみろ。ついつい女性の前で格好つけちゃう俺は、いつもそのせいで『ダサい』だの『イタい』だのと言われてきたじゃないか。そんな俺が、もしかしたら人生で一度しか女性を抱けないかもしれないんだ。その溶けた蝋の様な肌に自らを重ね、膨れ上がった欲望を強引にも捩じ込むことが出来るのは、人生においてこの日だけかもしれないじゃないか。そんなビッグチャンス、逃していいものだろうか。答えは否! 健全な男児たるもの必要な時に健全な反応をしてしまうべきである。例えそれが敵であろうと。


 女性の肌に触れたことがあるか? 答えは否。女性の唇は? もちろん否。ましてや女性と肌を重ね一夜を共にする日など、経験したことがあるはずもない。

 もちろん小学生の時の保健体育で女性の体の作りは学んだ。もちろん中学生の時周囲の性欲猿もとい同級生男児から女性の肉体について聞かされた。だがそこまでだ。それ以上に行き着いたことなどこれまで一度たりとも無かった。

 百聞は一見にしかずという言葉がある。それはまさに事実だった。百回女性の肌がどれほど艶やかなものか聞かされるよりも、今こうして目の前にある魅皇の背を見る方が幾分にも増して女性というものを理解出来た。何倍にも増して滾るものがあった。

 百聞は一見にしかずという言葉には続きがあるらしい。百見は一行にしかず。今俺がこうして百回彼女を見るよりも、たった一度の行いがそれを遥かに凌駕することなど、言われなくても気づいていた。

 そう、俺は今、彼女に触れ、彼女を知ろうとしているのだ。愛し合う男女のそれを、俺は今日知ろうとしているのだ。


 と、そこで俺はふと我に返り、自らのズボンを脱ぐ手を止め、魅皇の体を見つめた。

 火車は炎の調節が上手くいった様子で「ごゆっくり」と言葉を残して小さな灯火のみとなり壁にくっついて存在感を消す。

 窓一つない暗闇。あるのは火車がほのかに作り出した小さな灯りのみだが、次第に目は慣れてくる。

 狭い室内で、ほんの少し手を伸ばせば魅皇に触れることが出来る距離。彼女の長い髪と、細い体のシルエットだけが目に映る。炎のゆらめきのせいか、それとも俺の興奮のせいか、彼女の肌がやけに生々しく魅惑的に見えた。


 ロウソク一本程度の明かりでも、見えるもんなんだな……。


「み、魅皇さん?」


 俺がそっと呼びかけると、荒い呼吸音が返ってきた。恐怖と興奮が入り交じったような息遣いに、俺の心臓も破裂しそうな程音を立てる。自分の鼻息が激しく、鼓動の音は自分の耳にまで届く勢いだ。そしてそれ以上に、魅皇のハァハァという息遣いが室内に響き渡っている。


「わ、わっちはここでありんす……。や、優しくしておくんなまし」


 暗闇で距離感が掴めない俺の手を、そっと冷たい手が握りしめた。

 仄かな明かりに照らされて、彼女の小さな胸元が目に入る。俺は慌てて目線を逸らして心を落ち着かせる。


「ど、どうしてこんな大胆なことを……?」


「き、鬼龍院刹那きりゅういんせつなよ。なにを今更……。あぁ、わっちのことは気にせずとも良いでありんす……よ? わっちは魅皇。魑魅魍魎を従えし魑魅すだまの一人。そんな乙女の初めてを貰えるなんて、お主は幸運の持ち主でありんす。ただその事だけを考えておればいいのでありんすよ」


 俺に優しく誘いかけるような物言い。あくまで魑魅魍魎を従える主としての強い意志も持ち合わせている。余程彼女は、天照大御神を迎え入れた上でこの世界に死を招きたいらしい。つまり、何があろうと俺の敵であることには変わりないわけだ。

 確かに素敵な人だ。美人だしスタイルもいい。優しさも兼ね備えており、部下からの信頼も厚い。そんな人を、俺なんかがどうこうしても良いものだろうか……。いや、それは違う気がする。

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