第99話、誘惑を振り払わねばならぬ。

「わ、わっちの誘いを断ると言うのでありんすか?」


 魅皇みこは心底驚いたと言いたげな表情で俺をまじまじと見つめる。黒く長い髪が、彼女の呼吸に合わせて揺れた。その度に綺麗な金色の瞳は見え隠れを繰り返す。薄い唇が小刻みに震え、高揚した頬を隠す気もなく再度口を開いた。


「き、鬼龍院刹那きりゅういんせつなよ……お、お主は世界を闇に導く神と共に生きる指導者となるのでありんすよ? も、ものすーっごく偉くなるのでありんすよ?」


「ものすーっごく偉くなりたいわけじゃないし……」


「え、えぇ!? も、ものすーっごく偉くなりなくないのでありんすか?」


「別に興味無い」


「そ、そんなっ!」


 目を見開いて唇をふるわせ、信じられないと言いたげに俺を見詰めてくる。うん、可愛い。年齢的には俺より上だろう。高校三年生か、大学一年生位だろうか。お姉さん呼びするのが適切な見た目で、華奢な体が震えている様は守ってやりたくもなる。


「わ、わっちのお誘いを断るなんて、有り得るはずが」


「ごめん、断る」


「嘘ぉぉん!?」


 彼女は俺をどうにかして天照大御神との内通者にしたいらしい。もちろん、ヒーローである以上その誘いに乗る訳には行かない。例えどんな交換条件を提示されても、俺の意思は固いだろう。それに何より、断る度に慌てふためく魅皇の反応が可愛くて。なんというか、意地悪したくなってきた。


「それともなにか? 俺が天照大御神とやらに『この世界を侵略するのに必要な軍勢が揃った』ことを伝えたら、お前はなにかご褒美でもくれるのかなぁ?」


「ご、ご褒美でありんすか……?」


 食い付いてきた。この女、割とちょろいぞ。


「ご褒美だよご褒美。だって俺からしたら、突然わけも分からぬ存在に呼び出されて、突然そっちの都合で動いて欲しいって言われてるわけなんだから。そりゃもう、相当値が張る物が貰えるんだろうなぁ」


 額によっては考えてやらんこともないぞ。と続けるより先に、魅皇は益々顔を赤くして体を小さくし、か細い声を上げた。


「ひ、卑怯な……っ! わ、わっちはまだそのような経験などないのに……っ!」


「そのような経験?」


 なにやら恥ずかしそうにモジモジと体を動かす魅皇。頬を完全に赤く染め、翡翠の鱗がテカテカと湿り気を帯びて光沢する。目が踊り、完全に羞恥心を露わにした魅皇の姿。見ているこちらが何だか恥ずかしくなってきた。

 まぁこいつ、見るからに金持ちの身なりをしているとは思ってはいたが、とんだ貴族だな。金を払ったことすらないとは。むしろ金を払えという要求に対しここまで恥ずかしがるとは。交渉のしがいはありそうだ。金銭を払うという行為だけでここまで恥ずかしがるのだから、余程の屈辱なのだろう。

 加えて値段交渉のやり方が全くわかっていない。これは、たんまりと金を積ませて、その全てを貰った上で化物退治と乗り出すか。


 そんな俺の魂胆とは裏腹に、魅皇は涙を両目に浮かべながら、ゆっくりと着物の帯を解いた。翠や朱の光沢が艶やかに煌めく指先で、帯をそっと地面に落とし、巫女服を上から一枚ずつ脱ぎ始める。


 って、え?


「なにやってんのお前……?」


「わ、わっちの……わっちの身体からだで……、言うことを聞いてくれるのでありんしょう?」


「ちょ、ちょちょちょ!?」


「まだ……いかなる男の身体も知らぬわっちの初めては……相当値が張るものでありんすよ」


「な、何言い出してんの!?」


 と、突然どうした。

 俺はなにか選択肢を誤ってしまったのだろうか。言い方か? 言い方を間違えてしまったのだろうか。どうやらとんでもない誤解を与えてしまったらしい。ヒーローが敵の、それも恐らく中ボスみたいな奴の処女を奪おうとしている。交渉を持ちかけてきた割と戦闘意欲のないであろう敵の柔肌を求める正義の味方。いや、何だこの構図は。まずい、まずすぎる。色々とまずい。これがヒーロー協会にでも知られたら、俺は強姦罪に加え敵との結託容疑がかけられてしまう。

 窮鼠の件も以津真天の件もそうだったが、魑魅魍魎の類いは俺に対して敵対心を向けては来なかった。魅皇も戦闘ではなく交渉を提示してきた。そんな相手を、性的な意味で襲おうとしている鬼龍院刹那。これはとてもヤバい構図なのではないか。落ち着け、どうにかしてこの状況を打破しなくてはならない。


 そんな俺の心境など、魅皇は知ったこっちゃないのだろう。震える指で巫女服を次々と脱ぎ、こちらを潤んだ瞳で見詰めた。


「や……優しく、しておくんなまし」


 下着と思しき真っ白の着物も地面に落ち、黄色人種特有の柔肌が露わになる。余程恥ずかしいのだろう。彼女は長い髪で自らの表情や大事な部分を隠しながら、そっと背を向けた。背中の肩甲骨辺りにも、鱗が生えているらしい。柔らかそうな肌と、滑らかな輝きを持つ鱗とが共存する彼女の裸は……なんと言うべきだろうか。妖艶だった。


 俺は思わず、生唾を飲み込む。心の奥で、理性のタガが外されるのを感じた。これがこの女の能力だろうか。俺は自らの呼吸が荒くなるのを感じながらも、彼女から目を逸らせずに居た。


「ほれ、わっちの肌で……ありんす」

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