第69話、魑魅魍魎のなせる技に在らず。

 一瞬静寂が辺りを包んだ。俺はてっきり、マリーゴールドの何らかの攻撃を受けて視覚聴覚が麻痺を起こしたのかと錯覚していた。

 太陽の光を吸収し、エネルギーを溜め込み、そしてそれを吐き出そうとしていた無数の花々。恐らくそれらが放射するパワーを受け止める術など俺には無かったはずだ。

 ところが、痛みは感じない。瞬きを数度繰り返してみたが、視覚に異常はないようだ。一度両手で耳を塞ぎ、手を離してみる。聴覚にも問題は無い。


 何が起こったのか、やはり分からなかった。それは俺だけじゃないらしい。隣に立つバーニングさんは、無表情で怪人フラワーを見つめているし、一方一人だけになってしまった巨大なマリーゴールドも、涙を零して痙攣していた。


「あわ、あわ、あわー、あわーーー。シ、シアワ……」


 これがガトーショコラの呪いだろう。マリーゴールドの花言葉は悲嘆。嘆き悲しむ事が願いで、それをするために生まれたのだとしたら。きっとストレス解消に近い何かだろう。人は涙を流し、嫉妬し、悔しがり、絶望して、ようやく立ち直ることが出来る。だがガトーショコラが怪人フラワーにかけた呪いは『強い思いの逆転』だ。

 嘆きたくとも喜ばねばならず、嫉妬する相手に憧れを抱かなくてはならない。生き地獄だ。きっと、その無数に膨れ上がった『鬱憤』が爆発し、自身の身を焼いたのだろう。いや、自身の身を妬いた。の方が正しいのだろうか。

 ともかく、マリーゴールドはもう戦えない。その想いの暴走は、どう足掻いても止められず、晴らす事も出来ず、ただその身を焦がすだけだ。


「シアワセ……シアワーーーーセ!」


 相も変わらず金切り声で泣き叫ぶマリーゴールドを、俺は気の毒に思った。


「ごめんな、怪人フラワーマリーゴールド。俺はお前にとどめが刺せないんだ」


 マリーゴールドは俺の方を一切向こうとしない。ただ、一点だけを見つめてオロオロと涙を流していた。


「輝け……輝け……」


 数を失ったその花は、小さく呟き続ける。


「輝け……輝け……輝けーーーー!!!」


 もう地平線に顔を填めた太陽の光を、必死になって吸収したマリーゴールド。しかし、再びその花弁は火柱を上げる。


「あ、あぁ……あぁあぁあ! あーーーーーー!」


 絶望を体現したかのような悲鳴とともに転げ回るその植物は、それでもなお叫び続けた。シアワセ、シアワセ、わたしはシアワセだと。まるでこの世界には希望があると言いたげに。


「嫌なものを見せてしまったのぉ」


 表情を一切変えぬまま、バーニングさんはそう呟いた。きっと、俺に道案内を頼んだ手前、申し訳が立たないのだろう。


「いえ、バーニングさんのせいじゃないですよ。むしろ、俺のせいというか……」


 ガトーショコラのせいというか。あいつはどういうつもりでこの怪人フラワーを召喚したのどろうか。まぁ、きっと理由などないのだろう。


「シアワセ、シアワセ、シアワセーーーー!!!」


 チリチリと焼けていく花びらを眺めつつ、俺は自分に言い聞かせた。同情してはならないと。ガトーショコラの話だと、コイツらは人を喰らう。人の願いを叶え、満足したらそいつを喰らい尽くす。そして種を巻く。そんな奴らだ。ガトーショコラのことは嫌いだが、彼女が怪人フラワーに呪いをかけ、人的被害を抑えているのも事実なのだ。だから、同情なんかしなくていい。


「わたしと……輝け……」


 マリーゴールドは、ネジの外れたラジオのように同じことを繰り返していた。幸せだ、輝けと。


「シアワ……アーッ!」


 突然、マリーゴールドの体がアスファルトから引き剥がされ宙を舞った。それと同時に煌々と輝く炎の塊が目の前を横切る。


「な、なんだっ!?」


 慌ててそれを目視で追う俺は、自分の目を疑った。


 そこには、火を纏い回転するタイヤがあったのだ。サイズは乗用車に使われているような、ゴム製のタイヤ。そいつは息も絶え絶えなマリーゴールドを轢いたり宙へ跳ね上げたりして遊んでいる。


「あぁ、火車の仲間じゃな」


 バーニングさんは冷静にそう呟いた。


「か、火車!?」


魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいよのぉ。轢き殺された猫の怨霊じゃ」


 冷静にその姿を眺めていたバーニングさんは、しばらく絶叫を上げ続けるマリーゴールドを眺めて欠伸をした。


「マツモトキヨシ、帰るぞ」


「いや、俺は松本ヒロシですってば……ってか驚かないんですか!?」


 魑魅魍魎だぞ? 妖怪とか幽霊みたいなものだろ? 初めて見たのに。なんでこの人は平然としているんだ?


「そのような低俗、見飽きたわ」


「て、低俗!?」


 この人が住んでいた地域では当たり前に居たのだろうか? というか、この街には怪人フラワー以外にもヒーローが倒さなきゃならない『人ならざる者』が居たのか。


 困惑を隠せない俺を他所に、火車はドスの効いた嗄れ声でにゃぁおと鳴き、マリーゴールドを咥えたまま走り去ってしまった。


「あやつは罪を犯した者の死体をさらって行く魍魎もうりょうよ。余程の事がない限り、妾らに危害は加えぬ」


 その落ち着き払った態度を信じた俺は、首を縦に降って先行く彼女に並んだ。


「その角を左に曲がったら、目的の家が見えるはずです」


 怪人フラワー魑魅魍魎ちみもうりょうと、一気に色んなことが起こりすぎて疲れてしまった。この人を送り届けたら、早く帰って俺も寝よう。


 そう思い目的地へ到着した俺は、思わず絶句した。


「おぉ、ここじゃここじゃ。写真で見た通りの外観よのぉ」


「バーニングさん……本当にここに住むんですか?」


「その通りよ。何か問題でもあるかえ?」


「……いえ、なにも」


 問題だらけだ。なにせそこは、俺と佐藤亜月さんが住むあのルームシェアハウスだったのだから。

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