第70話、淑女と我儘女と意志薄弱

 絶望だ。ただでさえ佐藤亜月さんには、俺とバーニングさんが恋仲だと勘違いされたままだというのに。家に帰って誤解しているのだと伝えようと思っていたのに。まさかバーニングさんがこの家に住むだなんて。


 そう言えば昨日この家に引っ越してきたばかりの頃、佐藤亜月さんに言われたっけか。あと六人ほどこの家に住みに来るって。


 今思い返してみると心当たりはあったのだ。バーニングさんの握りしめている手紙、あれは俺の家に届いていた手紙と同じものだ。筆跡も文章も、そして住所や記されていたメールアドレスも。


 俺の場合あの手紙はすぐに捨てて、メールでのやり取りが中心だったからすっかり忘れていた。

 まさか佐藤亜月さん、俺以外の六人にも同様に手紙をばら蒔いたのか? 正直運命を感じていたのに、ちょっと悲しい。


「おーい、家主よ!」


 一人勝手にしょげこんでいる横で、突然バーニングさんが大声を上げた。


「妾じゃ。聞こえておらぬのか?」


 ちょ、この人何をやってんだ? もう日も暮れ始めているというのにこんな大声を出して。近所迷惑を考えないのか?


「インターホン押してくださいよ!」


「なんじゃそのインターホニャララは。ワケワカメ大陸横断じゃな」


 どこだよ、ワケワカメ大陸どこだよ。


「インターホンってこれの事ですよ。ってか俺鍵持ってるから中入れますよ?」


 この人、世間知らずにも程があるだろう。インターホンすら知らないなんて。いや、たまに居るけどさ。郵便配達してくれた人がインターホン押さずに不在通知だけ置いて帰っちゃう現象あるけどさ。もしかしてその人達も今のバーニングさんみたいにインターホンという概念を知らずに大声張り上げていたのか? いや、中には聞こえないぞ外の声は。最近の家の防音対策舐めるなよ? だいたい佐藤亜月さん結構な金持ちだぞ? 多分だけど。いや、金持ちだろ。見るからに。だって一人でこの豪邸に住んで、家賃タダで人を泊めてるんだぞ。絶対金持ちだろ。防音対策超バッチしに決まってんじゃん。


「とりあえず、鍵開けるんで着いてきてください」


「ほう、でかしたぞマツモトキヨシ」


「松本ヒロシです」


 この人、俺の名前覚える気皆無だろ。


 溜息をつきつつ、俺はポケットにしまってあった合鍵を取りだしキーを差し込んだ。複雑な形をした鍵は、心地よい金属の擦れる音と共にすんなりと奥まで刺さり、簡単に回る。


 ──カチャリ。


 耳触りのいい音と共に錠前の開く音がしたので、俺はそのままドアノブを捻って玄関を覗き見た。


「おかえりなさい、松本さん」


 なんとそこには、ちょっと不貞腐れた様子で頬を膨らませる佐藤亜月さんの姿があったのだ。


「えっ、亜月さん、なんでここに?」


 なんでこの人は玄関で待機してるんだ……? いや、それにしてもなんというか……。お玉を片手に制服の上からエプロンを身につけた白髪の美少女は、とても美しい。俺は毎日家に帰る度にこの素敵な人を見ることが出来るのかと思うと、幸福な気分に包まれた。


「い、いえ。偶然、偶然です。偶然鍵が開く音がしたので、その……松本さんが帰ってきたのかなと思って見に来ただけで……。いや、そんなことより帰ってくるのが遅いです! 私心配したんですよ?」


 可愛い。めっちゃ可愛い。頬を赤らめて頬っぺたをぷくぷく膨らませて、黒く澄んだ瞳がゆらゆらと揺れている。あぁ、俺は幸せ者だ。

 俺は目の前で腕組みをする佐藤亜月に見惚れ、しばらく思考停止していた。きっと今鏡を見れば、緩んだ情けない表情でもしているのだろう。

 そんな俺をキっと見つめた佐藤亜月は声を震わせながら問いかける。


「そ、それで? どうして帰ってくるのが遅かったんですか! も、もしかしてですけど……さ、さっきのお、女の人は家に送っていったんですか?」


 あぁ、察しがいいなぁこの人は。まぁ、察しが良すぎたせいでバーニングさんと恋仲だって勘違いされてしまった訳だが。


「あぁ、その人でしたら」


「妾を呼んだかえ?」


 俺が紹介するよりも早く、バーニングさんがドアを無理やり開けて玄関へ入り込んだ。


「ちょ、えっ?」


「あ、バーニングさん待って!」


 慌てて止めようとする俺を振り切って、彼女は困惑する佐藤亜月さんに向かってクシャクシャに丸められていた手紙を広げ差し出した。


「うぬがこの家の主か? 招待預かった、妾こそがバーニングであるぞ」


「え……えぇ!?」


 俺はその日初めて、佐藤亜月さんの驚きに満ちた表情を見ることが出来た。眼福である。


「ちょ、バーニングさんって……三ヶ月くらい前に連絡くれたあのバーニングさんですか?」


 え……あんた連絡入れてからしばらく何してたんだよ。


「いかにも。いやはや、スマートホンなるものを所有しておらぬゆえに、近場の親父から拝借し連絡を入れさせてもらった。すまぬのぉ。ここ最近は金欠の助問屋が下ろさぬでな」


 なんて事やってんだお前は。金欠の助って誰だよ。


「あぁ、だから毎回メアドが違ってたんですね」


 亜月さんも腑に落ちなくていいよ?


「でも、驚きです。まさか恋人御二方でルームシェアに来るだなんて……」


 どうやら、俺はこれから彼女の誤解を解かなきゃいけないらしい。


「あのですね、佐藤さん」


「そうよ砂糖菓子小豆さとうがしあずき、妾とこやつは恋人よのぉ!」


 この女を今すぐ追い出したい気持ちで、俺の腹は煮えくり返った。

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