第65話、金のなる鶏は搾取されん。

「なんじゃ? もう一度言うてみるが良い!」


 和食レストランの前に辿り着いた俺の耳に、突然大音量の女性ボイスが入ってきた。その声の主を確認するまでもない。特徴的な言葉遣いと、苛立ちを微塵も隠そうとしない声色から真っ先に一人の人物が思い当たる。


「妾の懐より金品を漁ろうなどと、この乞食めっ! 言語道断! すなわち断罪!」


 間違いない。バーニングさんだ。店で暴れているのだろう。俺は慌ててレストランの重たい扉を開けて中へ転がり込んだ。


「で、ですからお客様。お代を頂かないと……」


「貴様は献上というものを知らぬのか? 無知のウキッキーか?」


「は、はぁ?」


 胸ぐらを掴まれた店員が困惑気味に首を傾げている姿がそこにはあった。

 案の定だ。バーニングさんの事だから、きっと誰かを恐喝した上で無銭飲食を働こうとしていたのだろう。

 だが、まだセーフのはず。大事に至る前に駆け付けたはずだ。


「バ、バーニングさん! そ、その人を離してくださいよ!」


 赤髪の和装美人に向かって声をかけつつ、彼女の座った席に目を向けて愕然とした。

 明らかに何らかの定食を食べた痕跡があったのだ。そしてクシャクシャに丸められた伝票。


「あんた一体何食べたんですか!」


 胸ぐらを掴まれ、空中に浮いたままの店員など無視して、俺は少し焦げの着いた伝票を広げて息を呑んだ。


『5630円』


 確かにそう記されていたのだ。食べたものは、この店で一番高いステーキ定食。食後のデザートにメロンのパフェ。そして食後のコーヒーを三杯。


「あの一瞬のあいだに何があったんだよ!!!」


 バーニングさんとさよならしてから追いかけるまで、そんなに時間はかかっていないはずだ。いくらなんでも早すぎる……。

 友人の細柳から貰った5000円と、今朝亜月さんから「ヒーロー活動の足しにして下さいね」と渡された1000円札を足してようやく支払える額だ。先程変態時に使ってしまった金額と、自販機で水を買ってあげた金額をそこから抜けば、残るのは約200円。

 俺はこの女のせいで、5月のお小遣いが振り込まれる日までを200円程度で過ごさなきゃならないというのか……。


「おぉ、うぬはマツモトキヨシ」


「松本ヒロシだっ!」


「何をキレておるか……? まあ良い。この幼気でか弱き妾を助けると思って、この強欲な男へ金品の支払いを命じる」


 そう言うとバーニングさんは店員を客席のソファーへと投げつけた。なんて馬鹿力だよ。いや、それより俺をなんだと思ってるんだよ。何様だこの女。


「き、君達っ! 無銭飲食に加えて暴行だからね! 警察呼ぶからね!」


 店員は、当然の事ながら怒り心頭だ。


「ご、ごめんなさい店員さん。全面的に謝ります」


 ヒーローたるもの、自己犠牲は当然。父の教えを胸に、俺は頭を下げて財布を取りだした。


「こ、この人、日本の文化がまだ分からないようで……代わりに俺が会計を済ませていいですか?」


 店員は煮え切らない様子だ。顔を真っ赤にしてバーニングさんを睨みつけ、歯を強く噛み締めギリギリと音を立てる。

 一方のバーニングさんは、心ここに在らずというか。暇つぶしと言いたげにメニューを開き、おもむろに呼び出しベルを押した。


「はい! ご注文はなんでしょうか?」


「このパンケーキ? なるものが食べたいぞ」


「カニクリームパンケーキですね! かしこまりました!」


 一瞬の出来事だった。流石ちょっとお高めの店……。


「って何やっとんじゃい!」


「何って、腹が立った分生まれた空腹に、なにか入れようと思っての」


「金ねぇよ!!! 辞めろ!」


「そうなのか? しかしすまぬな松本ヒロシ。もう届いたぞ」


 は? とバーニングさんの横を見上げると、ホカホカと湯気を立たせたパンケーキを持った店員さんが待機していた。


「お待たせしました〜。カニクリームパンケーキです。お熱いのでお気をつけください」


 流石ちょっとお高めのお店だ。料理が届くのも速い。


「……あの分も追加して払ってくれますよね?」


 ソファーに腰をかけたままの店員さんが、そっと俺に耳打ちをした。


「……分かりました」


 俺は、教科書二冊を携帯端末に読み込ませ、その場で即時400円を作る。


「払わせてください」


 明日から、数学の授業は隣の人に教科書を見せてもらわなきゃならなくなった。まだ、始業式をしたばかりだというのに……。


 そんなことも梅雨知らず、バーニングさんは美味しそうにパンケーキを食べ続ける。


「もう、お金について教えるからちゃんと聞いててくださいよ?」


 会計を済ませた俺は、彼女の真向かいに座ってお金について説明しようとする。しかし、バーニングさんは聞く耳を持たない。


「はぁ……。俺が居なかったらあんた、刑務所送りなんですよ?」


 溜息を零しながら、窓ガラス越しに店の外へ目をやると、俺はそのまま固まってしまった。


 帰宅途中の、佐藤亜月さんと目が合ったのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る