第64話、優しさは時として身を滅ぼさん。

 俺は額から溢れ出た冷や汗を手の甲で拭って生唾を飲み込んだ。


 俺は何をすごすごと家に帰ろうとしているんだ。俺はヒーローだろう。松本ヒロシという一般人はもう捨てただろう。今の俺は鬼龍院刹那。オリオンの力を宿しし最強のヒーロー。そうだろう。


「小学生を恐喝するようなゴリラ女を放置して言い訳がねぇだろう!」


 俺はさっきの一瞬しか彼女と話したことは無い。時間にしておおよそ10分かそこらだろう。だからバーニングさんという人間の人格や人となりを完全に理解できているわけではない。それでも、小学生を片手で持ち上げてカツアゲするような人間がこのまま野晒にされていいとは思えない。


「様子を見なきゃ……日本がヤバいッ!」


 俺の心の奥にある理想のヒーローが語りかけてくるのだ。罪なき人が苦しむ世界が本当に正しいと思うか? と。

 俺の父は偉大だった。本当のヒーローとは、きっと彼のような人を指すのだと思う。自らの利益ではなく、社会全体の利益を求めるその姿勢は、まさに俺の憧れなのだ。つまり。


「……俺の財布を犠牲にしてでもっ!」


 被害者を無くさなくてはならない。


 今回の敵はバーニングさん。ただの人間だが、怪人フラワー宇宙塵エイリアンよりも厄介な相手と言えるだろう。なにせ攻撃してはいけないのだから。


 ……兎にも角にも、そうこう思考を張り巡らせている場合ではない。バーニングさんを追わなくては。しかし、どこに行ってしまったのか分からない。


「やっぱりもうここにはいないか」


 自販機のあった路地へと戻ってきてはみたものの、そこにあるのは見るも無惨なペットボトルのみ。


「ってかゴミくらいちゃんとゴミ箱に捨てろよな……。確かに日本はゴミ箱少ないけどさ」


 顔立ちは東洋のそれだった。黄色人種としての特徴が色濃く出ていたので、アジアのどこかの国から来たのだろう。しかし、ゴミをポイ捨てする文化があるとは。嘆かわしいものだ。


「まぁいい。今はバーニングさんを追いかけることが先決だ。ゴミは……とりあえず俺が拾っとくか。後でどこかに捨てよっと」


 ということで、紙くず同然の塊をポケットにしまい込んだ俺は、ひとつ深呼吸をしてから覚悟を決めた。


「勿体ないけど力を使うか」


 その決定はすなわち、俺の口座から金銭が抜かれるという残酷な現実を表している。しかし事は非常時。カツアゲ暴力和装女が、次どこで誰をターゲットに暴れ出すか分かったものじゃない。それに、にほんのぶんかにまだ慣れていない様子だった。そんな人が無知である故に罪を重ね逮捕されてしまうという結末も、なんとなく嫌だと感じたのだ。


 だから俺は腰に手を当てて力を込めた。全身の血管が大きく開き、鼓動に合わせて腰周りに熱が溜まるのを感じる。体から浮出すようにしてベルトが現れた。もう何年間も続けてきたルーティンだ。空中に散りばめた星々をなぞり、点は線で結ばれる。そこに輝くのはオリオン座。


「変態っ!」


 ベルトから排出された漆黒のアーマーは、中に浮かぶ星の力と融合し姿を変えて俺を包んだ。全身に恒星の力が漲るのを感じる。


『トランス・オリオン』


 ベルトが慣れ親しんだ機械音で俺の変態終了を告げると同時に、全身の星が輝く。俺はそのまま次の動作へと移行した。


「行くぞ、乙女座ヴァーゴ


『トランス・ヴァーゴ』


 乙女座のシンボルが浮かび、そいつは俺のメットを変形させる。視界を覆うように半透明のガラス板が出現し、そこに数字が浮び上がる。体の装甲は大きく外され身軽になると同時に、柔軟性が強化された。


「情報解析!」


『計測──ターゲット・バーニングの足跡を解析。進行方向をマップ上に表示します』


 乙女座の能力は単純だ。資格情報をより詳しく解析するということ。エネルギーと金銭の全てを演算能力に特価させる分、戦闘に必要な火力や装甲が足りなくなってしまう。もちろんオリオンの力を使えば戦闘は可能なのだが、普段無理をしてこいつを使う時はない。今回のような、追跡や分析が主な出番だ。


「……なるほど。迷わず真っ直ぐ向かった形跡があるな。マップだとこの先にあるのは……っ!」


 俺はマップを確認したまま絶望した。彼女の足取り、方向、その速さから測定される進行経路の先に最初にあったお店はなんと、和食レストランだったのだ。しかも安くて1200円くらいするような、受験に合格した時くらいしか立ち寄ることの無いような店だ。高すぎて手も足も出ないお店だ。毎日通い詰めた日には、散財し過ぎて破滅する未来さえ見えてしまうような場所だ。


「まさかあの文無し……っ!」


 乙女座の解析では、ほぼ100パーセントそこに向かった事が明記されていた。


「ヤバい……!」


 そこで暴れるかもしれないという恐怖より、俺のお財布事情が壊滅するかもしれないという未来に対しての絶望が勝った瞬間だった。

 この瞬間ほど、ヒーローを辞めたいと思った日は無いだろう。今すぐ帰って佐藤亜月さんと紅茶を飲みながら始業式について語らいたいものだ。


 俺はトランス状態を解除した上で、バーニングさんが向かったと思われる道を睨みつけた。

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