第66話、誤解から優しさは伝播する。

 俺は慌てて店から飛び出した。標的は目前。長い白髪を指で弄りつつ、体にフィットした春物の高校指定制服を靡かせた美少女だ。彼女は少し引きつった笑みを浮かべて、俺に対し軽く会釈をして見せた。

 彼女の名前は佐藤亜月。ルームシェアの同居人で、昨日から一緒に暮らすこととなった人。今朝一緒に登校した人。そして、俺の初恋の人。


「いや、違うんです佐藤亜月さん!」


 俺は彼女に駆け寄りながら言い訳がましく身振り手振りを交えて口を動かす。


「これはヒーロー活動の一環と言いますか、その、バーニングさんを放置して行くわけにはいかなかったからと言いますか」


 何と説明するのが正解なのだろうか。そもそもバーニングさんの存在が特殊過ぎるのだ。日本文化を正しく理解しておらず、日本語もおかしい。加えて酷く暴力的でワガママ。和服をもの見事に着こなし、長い赤髪を優雅に靡かせる大人な様からは想像もつかないような自由奔放ぶり。放置してしまえば、いつどこでどのような大事を起こすかも分からないような危険性を孕んだ女性だ。俺が日本文化について教えなくては、きっと近いうちにお縄につくだろう。そんな人なのだ。何やら人には話せない暗い過去もあるようだし、日本にやって来たのも訳ありのようだし、逮捕されてしまえばいいと無視を決め込むには少々気の毒な人なのだ。

 だから、これはヒーローとして当然の状況なのだ。佐藤亜月さんに勘違いされるわけにはいかないのだ。


 いや待て待て。そもそも、俺は何もやましいことはしていない。ヒーロー活動の一環として、筋を通してやっている。別に佐藤亜月さんに見られたところでどうということは無い。勘違いされるはずがない。

 そう、何も問題は無いのだ。俺は何を焦って弁明しようとしているんだろう。何も焦る必要は無い。


 よし、落ち着け。深呼吸しろ。


 そして、今驚いた表情を浮かべて瞳をぱちくりぱちくりさせている佐藤亜月さんに、丁寧且つ分かりやすい説明をするのだ。


 いや、それにしても驚いた表情可愛いなぁおい。


 って今はそれ関係ないだろう。さて、心を落ち着けて。あの暴力的短気恐喝ゴリラについて説明をしなくては。


「えっと、だからあの人はその……」


 しかし、バーニングさんとて一人の女性。悪く言うのは心苦しい。俺の、無い語彙力を必死に振り絞って説明しようとする表情を見て、佐藤亜月さんは優しげに微笑んだ。


「大丈夫です。大丈夫ですよ松本さん」


「……佐藤さん」


 どうやら、察してくれたらしい。俺がヒーローであるということを前提に、思考を張り巡らせてくれたのだろう。流石は佐藤亜月さん。俺のヒロイン。俺のヒーローネームである『鬼龍院刹那』の名前を聞いて、一緒に秘密を守ると言ってくれた素敵な人だ。


「そうなんです。実はバーニングさんは」


「地元に置いてきた恋人さん……ですよね?」


「…………へ?」


 思わず思考が停止し、開いた口が塞がらない俺に対して、佐藤亜月は天使のような声色で続けた。


「大丈夫です。私はちゃんと分かってますから」


 天使。その笑顔を一言で表すのなら、天使だ。いや、女神だ。後光すら見える。


「って違ぁぁぁう!」


「へっ!?」


 案の定だ。案の定だった。やっぱり勘違いされていた。そりゃ女性と二人きりだったら勘違いもするだろう。しかも亜月さんは俺が貧乏人である事を理解している。そんな金無し男子がちょっとお高めの和食レストランに来るはずがないのだ。デートでもなければ。そして相手は、大都会K市の住民がするはずもない完全和装。そりゃ、想像力を膨らませればま『田舎から俺を追いかけて会いに来た彼女』にも見えてしまうのだろう。


 だが、バーニングさんは見るからに20代前半。高校生になりたての俺とは歳が離れすぎているだろう。亜月さん、もしかしてそこまで察した上で勘違いしたのか?


「ち、違うんですよ佐藤さん。あの人はね、えっと……」


 いざ説明しようと慌てた俺の隣に、突然赤と橙の布が舞った。


「恋人とは何じゃ?」


 バーニングさんだ。慌てて振り返ると怪訝な顔をした店員が塩を撒いていた。


「えっと、恋人っていうのは……ですねぇ、その」


 俺が目を逸らしている隙に佐藤亜月さんが解説を始めた。いや、しなくていいよ? こんな女に恋人って単語教えなくてもいいよ? と、慌ててふりかえった俺の思考は停止する。

 恋人という単語だけで顔を真っ赤にしてモジモジしている佐藤亜月の姿があったのだ。


「か、可愛い……」


 彼女から目が離せない俺を他所に、佐藤亜月は言葉を振り絞る。


「も、持ちつ持たれつと言いますか……。た、互いに支え合うと言いますか……。こ、好意を……その」


「あぁ、つまり妾らの事であるな!」


 佐藤亜月の説明を最後まで聞くより先に、バーニングさんは俺の肩に手を回し笑う。


 いや、あた、あた、あたたた、あた、当たってる……、胸、胸が当たってる……っ!


「あ、やっぱりそうですよね。し、失礼しました……!」


「あ、まって佐藤さ……」


 誤解を解かなきゃと、慌てたがもう時すでに遅し。佐藤亜月は、俺たちカップルの邪魔をしまいと、全速力で帰っていってしまった。


 ……サヨナラ、初恋。

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