第62話、喉の乾き潤さんと英世を失いて。

「んじゃ、水買いますよ」


 快く……と言えば嘘になる。俺は心の底から『嫌だ』という気持ちを溢れさせて自販機の前に立った。なぜ明日の食べ物にすら困っている俺が、見ず知らずの人間に水を買ってあげなきゃならないのか。謎だ。いや、ヒーローを名乗っているからか。

 この日ばかりは、ヒーローと名乗ることを辞めてしまいたいと思った。


「おう! はよう妾に文明の利器とやらを見せるが良いぞ。妾は楽しみのウキウキでワクンクモンキッキじゃ!」


 何がワクワクモンキッキだ。こちとら思わぬ出費に鬱々ウホウホウッホッホだわ。ゴリラになっちまう。


「それにしても不思議なものよ」


 俺の財布から取り出した紙幣をマジマジと眺めてバーニングは呟く。


「そのような紙切れが水に化けるのじゃからな」


 なにかの冗談だろうか。それともロールプレイか。演じきっているのか? その大河ドラマとかに出てきそうなコスプレのキャラになり切っているのだろうか?

 いや、それよりも純粋に、単純に価値観が時代離れしている。先程から、バーニングさんの言うことなすことその全てが、異様な程に現代から逸脱しているのだ。特に、当たり前のように使う激おこプリプリ大噴火だとか、ワクワクモンキッキだとか、若者言葉に必死についてこようと努力するも明らかにズレたオッサンかのような文字並び。


「自動販売機、本当に知らないんですか?」


 真っ赤な会社名がロゴとして印刷されている自動販売機は、空腹だったかのように俺のお札を吸い込んでボタンを輝かせる。その動作全てが怨めしい。


「自動販売機なら話に聞いたことくらいあるわ。しかし妾の住んでいたくににこのようなハイカラ物体は無かったの」


 国……? どこか異国から来たのだろうか。それとも、お得意のロールプレイか。乗るべきか流すべきか……。しかし、俺は興味関心意欲態度がすこぶる好調だった。小学生なら成績表が最高得点で埋め尽くされるほどに。


「あの、失礼ですが、どちらから来たのですか?」


 光り輝くボタンから目を離して、ソワソワと動く女性に向き直った。そんな俺の表情を不思議そうに見つめ返した彼女は、ほんの少しだけ顔を曇らせたように見えた。


「あまり言いたくはないな。しかしとて、悪い気はしておらぬ。妾はこの國も気に入っておるからな」


 意味深だ。


「い、言いたくはないですか……?」


「……まぁの。追放されたようなものであるからな」


 追放……。思っていたよりワードが重い。


「なんか、聞いちゃいけないことだったっぽいですね。ごめんなさい。ところで、いつ頃から日本に?」


 彼女は少し考える素振りを見せてから、首を捻った。


「忘れてしまったわ」


 それは、日本に来てからかなりの日が経った事の表れだろうか。事実、彼女の操る日本語は色々とおかしな点こそあれど、会話をするに十分なレベルではある。この国にやって来た日はいつなのか、それを忘れてしまうだけの年月を過したという可能性はあるだろう。

 それとも、日本にやって来た日を思い出したくないからだろうか。追放とは言っていたが、もしかしたら亡命とか、密入国とか。まぁ、仮にそうだとしたらヒーローたるこの俺は黙ってなどいられないのだが。それなりに酷い経験をして、命からがら辿り着いたのだろうか、この島国に。


「時を図ることがどうも苦手でな」


 そう笑う彼女の表情に、なにか闇が見えた気がした。それは、ロールプレイや演技等ではない。心の底から漏れ出た、悲壮感に溢れた表情だった。


「ささ、そんな妾の事などどうでも良いわ。うぬはただそさくさと妾に水を献上せよ」


 それから、満面の笑みを浮かべたバーニングさんは、両手をこちらに向けてにぎにぎと動かし首を傾げる。


「な?」


 明らかな脅迫だ。また万力みたいな両腕で俺を苦しめるつもりだ。


「な? じゃないですよ。それ、めっちゃ痛いんですから」


「そ、そうか……」


「なんでしょんぼりしてるんですか!? 握力自慢で相手を傷つけることに喜びを感じる変態ですか!?」


「ん? 今なんと?」


 変態に反応して手をワキワキするな。


「いやごめんなさい間違えました。握力自慢で相手を傷つけることに喜びを感じる美人でグラマーなお姉さんですか?」


「許す」


 許すんかい。


 体や顔を褒めただけで、こんなに単純に喜んでくれる人はなかなかいないだろう。自分の胸に手を当てて、心底嬉しそうにニヤケ面を浮かべている。


「やはり妾は美人であったか……しかもグラマーと来た。グラマーってなんじゃ?」


 意味を理解していなかったらしい。


 それにしてもこの人……バーニングさんは、本当に日本の言語を理解していないのだろうか。なんだかそんな雰囲気を感じる。どうも、ロールプレイなんかでこんなことをしている訳では無いらしい。

 俺は自販機の中にある水のボタンを人差し指で押しつつ、彼女を見つめた。


「まだであるか?」


 嬉しそうに両手を組んで首を傾げた彼女は、とても優しい笑みを浮かべていた。

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