第11話、それは強大な敵で。

 一瞬、背筋が凍りつくのを感じた。この感覚を俺は知っている。恐怖だ。突然今までの色ボケた雰囲気が破壊され、俺の全てが恐怖に覆い尽くされた。

 恍惚の表情を浮かべる佐藤亜月が、まるで先程までと別人のように感じたからだ。いや、感じたのではない。別人なのだ。今目の前に立つ少女は、明らかに佐藤亜月ではない。


「嬉しい……アタシ……嬉しい♡」


 フラフラと揺れ動きながら、佐藤亜月だったソレは頬笑みを崩そうとしない。いや、その表情を微笑みと呼んでいいものなのか俺には分からない。むしろもっとおぞましいものに見える。まるで、獲物を前に舌なめずりをする飢えた狼のような……。

 彼女から、何やら禍々しい雰囲気を感じ取った俺は、慌てて紅茶を飲み干し距離を置く。うん、やっぱアールグレイは美味しい。


「って飲んどる場合か!」


 自分にツッコミ入れつつ、大豪邸全てが異様に変化する様をただ呆然と眺めるしかなかった。そう、変化したのは佐藤亜月だけではなかった。空間その物が、今まで出会ったことも無いほど強大な何かに飲まれてしまったかのようだった。


「ダーリン、アタシもずっと、覚えてたよ♡ 十年間……ずっと♡ ダーリンも、覚えててくれたんだね♡」


「十年間? 何を言っているんだ貴様はッ!」


 明らかにそこにいるのは佐藤亜月ではなかった。先程まで可愛らしく微笑んでいた彼女は、忽然と姿を消したのだ。いや、佐藤亜月の肉体は今も変わらずそこにある。消え去った訳では無い。しかし、先程まで俺と笑いあっていた彼女は……、佐藤亜月は、まるで別人のようになってしまったのだ。

 彼女の透き通った真っ白の髪はいつの間にやら黒く染まり、艶は失せてボサボサと左右に広がる。そのせいか、彼女自身が一回りも二回りも大きくなってしまったかのように感じられた。

 また、彼女の深く透き通った黒い瞳は、今やその影もなく。まるで死んだ魚のような真っ白の眼球へと変化し、瞬きを終える度にギョロギョロと蠢いている。瞳孔は開き、俺の事が見えているのかすら分からない。

 佐藤亜月が身につけていた純白のワンピースも、小さなネックレスも、指につけた装飾品も、その全てが黒く暗く変色していた。まるで綺麗な水に墨汁を垂らしたかのように、漆黒が彼女を中心に広がっていくのだ。全てが黒に染まっていくのだ。

 彼女だけではない。清潔感のある部屋とばかり思っていた室内も、家具も、いつの間にやら見たことも無い植物に覆われ、まるで沈んだ海賊船のように変化していく。木でできた壁はボロボロと崩れ、朽木のようになる。家具が古びた貴金属へと変化している。その全てに、霞んだ宝石や見たことも無い装飾品が嵌め込まれており、綺麗だった大豪邸は別の意味で綺麗な……いや、異様な空間へと成り代わった。なんと表現していいものか。大量の貴金属を詰んだまま海底に眠る海賊船か。古代の王族が眠る墓か。闇の組織が住まう隠れ家か。少なくとも、安心感のあった大豪邸の影はどこにもない。今あるのは、死と金の匂いが漂う謎の建造物だ。


「なんだ……この異様な光景は……貴様何をしたッ!」


 慌てふためく俺の前で、佐藤亜月の身体を操る何者かがクネクネと動き、嬉しそうに笑う。気味が悪い。そしてやはり、恐ろしい。

 感じるのは死のみだ。これまで俺が戦ってきた宇宙塵エイリアンの中にもこれ程強大なオーラを放つ存在は居なかった。奴等が体調と崇め奉っていた存在ですら、彼女の足元にも及ばないだろう。それ程にこの女は恐ろしかった。

 やろうと思えば、一人で日本中を乗っ取れるだろう。それほどに強大な力を感じる。


「あはは♡ ……ダーリン可愛い♡ アタシ、怖くないよ?♡ ね? 怖くなーいよ♡」


「いや、怖いです」


 漆黒のワンピースをヒラヒラと舞わせながら微笑む彼女に、俺は素直な気持ちしか伝えられなかった。嘘をつくことすら出来そうにない。そんな俺の返答が意外だったのか、彼女はキョトンとした表情を見せる。

 そう、彼女と俺の間に、一瞬の間ができた瞬間だった。


「今だッ! 変……態ッ!」


 腰に手を当て心拍数を無理矢理上昇させる。変態するのには若干時間がかかるのだ。その間に攻撃されればひとたまりもない。だから変態するのは敵が見ていない内。もしくは敵が余裕ぶっこいて隙が出来た瞬間だ。それがトランス能力者の弱点でもある。変態中はその事以外にエネルギーを注げない。もし殺すなら、今が一番のチャンスという訳だ。

 熱くなる腰周りからはベルトが浮かび上がり、星座を模した紋様とオリオン座のシンボルが浮かんだ。後は簡単だ。俺は慣れた手つきで両手を前に突きだし、空中に星を散りばめた。星座を描くのだ。星々の点は線で結ばれ、そこにはオリオン座が描かれる。

 ルーティーンをこなしてベルト中央にあるオリオンのシンボルを強く叩き、そこからアーマーを排出。それらは空中に浮かぶオリオン座と反応し、俺の背格好に合わせて姿を変えた。

 そのまま俺は、オリオン座のパワーを身にまとう。『トランス・オリオン』の音声と同時に俺は拳を構え、様子を伺った。今までで最も素早い変態だった。それでも、隙が出来ていただろう。

 どうやら待ってくれていたらしい。

 相手はこれまで戦ってきた中で格別に強敵であることは間違いないだろう。本気を出さなきゃ、殺られる。相手からは明らかな余裕が感じられる。だから俺のトランスを待っていたのだ。そう考えると無性にムカついてくる。

 さぁ、どこからでもかかってこい。そう言わんばかりに睨めつけた瞬間だった。


「ぅ、、う、うわぁーん!」


 突然相手は泣き出した。

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