第9話、それは青春のようで。
アールグレイの甘い香りが口いっぱいに広がり、心が落ち着くのを感じる。紅茶、悪くないな。むしろ気に入ったかもしれない。何せ今まで俺が飲んでいたものといえば、学校給食の牛乳か水道水だ。たまに人助けをしたお礼にとジュースを頂いた位で、紅茶なんて物を口にする機会は皆無だった。
「いつからここに住んでいるんですか?」
俺の問いかけに、大家さんは少し考える素振りを見せてから口を開く。
「よく覚えていないんです。ただ、一人暮らしになったのは今年からですね」
「一人暮らし?」
どういう事だろう。明らかに目の前にいる彼女は俺と同い年かそれ以下だ。そんな子が一人暮らしだなんて出来るのだろうか。
「はい、お金は沢山あるんですが、やはり一人は寂しくて。ですので、ルームシェアを始めようと思ったんです」
お金が沢山ある……人生で一度でいいから言ってみたいセリフだ。というか……。
「御両親はどちらに?」
これは地雷だろうか、もしどちらも亡くなっているとか、幼い頃に捨てられたとかだったらどうしよう。
「うーん、父も母も、海外派遣らしく、しばらく家を空けるそうなのです。最初は私を寮に入れようとしていたらしいんですが、ルームシェアの話をすると了承してくれました」
なるほど、両親共々海外出張か。
「でも、着いていかなかったんですね? 海外」
「あぁ、私、無理なんです」
「……無理?」
何が無理なんだ、と首を傾げる俺を前に、彼女の表情が暗くなるのが分かった。しまった、地雷を踏んだ。ついていけない事情があるのだ。きっと不治の病でこの街から離れられないとか、親が厳しくて家に置き去りにされたとか、そういうのだ。
「いや、えっと。無理に答えなくてもいいですよ?」
「いえ、大したことじゃないんです……ただ、私」
一瞬の間、落ちる冷や汗、飲む生唾、全てがゆっくりに感じられた。白髪の美女は、潤った黒い眼差しを俺に向け、ゆっくりと口を開く。
「私、怖いんです……高いところが」
「……へ?」
「昔から高いところが苦手で、飛行機に乗れないんです」
……な、なんだ。それだけか。
「な、なるほど、それは一大事ですな」
何が一大事ですな、だ。俺は何者だ。全く。
でも、特に大事ではないようで、正直安心した。
「うふふ、松本さんは何か怖いもの、無いんですか?」
「怖いもの……ですか。お金……ですかね」
ニヤリと笑う俺、キョトンと驚く彼女、それから二人は、同時に吹き出した。
「うふふふ、それまんじゅう怖いじゃないですか」
「ば、バレました?」
さすがにお金はくれないか。でも、彼女の笑顔は本当に素敵だ。
「でも本当に家賃とか払わなくていいんですか?」
「はい。その代わり家事とかしてくれればいいので」
そう、俺がここでルームシェアを決めた理由の一つが破格の値段で住めるという事だ。本来は月に一万円となっていたが、俺とのメールのやり取りを繰り返す中で、無料で住んでもいいという事になったのだ。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、私、松本さんの頼みは断れないタイプみたいなので」
うふふと微笑む彼女に、俺は完全に見惚れていた。二人の間を、青春の風が吹き抜けたようだ。彼女は、そんな甘酸っぱい雰囲気が居心地悪いと言いたげに、照れながら立ち上がった。
「そうだ、まだお部屋の案内が終わってませんでしたね」
「あ、はい。お願いしてもいいですか?」
「もちろんです! 予定では松本さんを入れて7名のルームメイトが来ることになってるんですが、皆さんしばらく時間がかかるみたいですので、しばらくは松本さん一人で好きに暮らせますよ」
マジか、というかこの豪邸は俺を入れて7人も住める作りなのか。確か以前メールでやり取りした時は一人一つ部屋が割り当てられるとか書いてあったが、まさかそんなに沢山の小部屋があるのか。
「え、大家さんは?」
「もちろん、私もこの家に住んでますよ、ささ。案内するので行きましょ!」
マジか、ということはしばらくこの人と二人きりなのか。大家さんと二人きり……。寝室は別れてると聞いたが、リビングやトイレ、お風呂は共同……ということは…………。いや、これ以上の妄想は日が暮れてからにしよう。
「あ、それと、自己紹介が遅れました。私の名前は
何故か嬉しそうに笑う彼女に、せっかく落ち着いたはずの鼓動が再び高鳴るのを感じた。同い年かよ。こんなに可愛くて同い年かよ。今年からJKだぞ、ヤバい、なんか色々ヤバい。JKと二人暮しが始まろうとしているという現状が物凄くヤバい。これは語彙力低下する。
それに……。
「佐藤……亜月…………ですか」
何故だろう、どこかで聞いた気がする。いや、家に住まわせてもらうという話をした時に聞いたのだろうか、きっとそうだ。
「佐藤………………亜月……………………」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます