第7話、それはマドモアゼルで。
「あ、鬼龍院さん、何かお礼を……えっと、今五千円しか無いんですけれど」
勝手に一目惚れし、勝手に恋愛色を散りばめた俺に対し、マドモアゼル……もとい白髪の少女は慌てた様子で鞄から財布を取り出した。ショートケーキのような形に作られたがま口だ。どこで売っているんだろう……では無い。今なんと言った? 凄く重要なことを耳にしたぞ。
「あの、鬼龍院さん。謝礼に五千円は……少ないですよね…………?」
五千円だと!? ほ、欲しい。欲しいっ! 五千円あれば一週間も贅沢ができるじゃないか! 一日三色も食べれるぞ! ほ、欲しい。五千円あれば美味しい棒500本も変えるぞ。そんなに買ってもどうしようもない? チッチッチッ、5kg1000円の米を鍋で炊き、砕いた美味しい棒を振りかけて食べる。この贅沢が500回もできるという事だ。
米が足りるのかは分からないが、足りなければパンの耳を溶き卵に付けて、砕いた美味しい棒を衣代わりにして油で揚げても美味しい。油が無ければオーブンでもいい。いっそ焚き火で炙ったって構わない。それが500回出来るのだ。
ぐはぁぁぁぁ! 五千円めっちゃ欲しい。樋口一葉に恋してしまうッ……けど。
「コホン……マドモアゼル」
いや、そのマドモアゼル呼び辞めろよ。自分で言ってて恥ずかしい。恥ずかしすぎる。俺普段こんな事言わないのに。無理に格好なんかつけようとするから。
「お言葉ですがマドモアゼル……」
ああああああああぁぁぁ、いや絶対言う度に顔赤くなってるから。うわめっちゃ恥ずかしい。もう絶対マドモアゼルって言わねぇからッ!
「ま、マドモァァゼェル」
言い方の問題じゃねぇよ俺のアホ!!!
「お、お金はいただけないよぉっ。わ、吾輩はヒーローとして君を助けたんだ。コレは慈善活動さ、お金はいただけない。君の笑顔にプライスレスさ」
まじ何言ってんの俺。
「えっ、じゃあさっきの3000円」
オッサンは黙ってろ。ってか早く職場行けよ。遅刻だぞ。それともあれか、遅刻するくらいならサボっちゃえ現象か、お前引きこもりの発想してんじゃねぇよ。
「そうだ、今日は君が無事だったお祝いに、そのお金で何か贅沢をするといい。ね?」
そうそう、贅沢しなさいなマドモアゼ……ゴホン。例えば美味しい棒を沢山買うとか、チルルチョコという手もあるな。五千円自由に使っていいんだぞ。贅沢しなさいなァァァ!
とまぁ、何故かは分からないが、俺は彼女から金を受け取ることが出来なかった。むしろ、金のために彼女を助けたのだと思って欲しくはなかった。お金のためではなく、これは君への思いなのだと。完全に特別扱いである。
我ながら馬鹿なことをしたなと、五千円を泣く泣く付き返しつつ、俺は微笑んだ。何故だか、彼女が無事でいてくれることがとても嬉しくて、それ以上の欲が湧いてこなかったのだ。いや、それは嘘だ。いい人だと思って欲しかった。
「あのー、さっきの3000円……」
「オッサンちょっとこっち来て」
「えっ、なになに?」
「そのカツラ燃やされるのと3000円諦めるの、どっちがマシ?」
「えっ」
よし、話はついたな。
「さてとマドモアゼル、この後時間はあるかな?」
それから俺は彼女といくつか会話をしたように思うが、何を話したのか思い出すことが出来ない。俺の頭の中が花畑になっていたからだ。そのせいだろう、散々恥ずかしいことを口走ったように思う。
「マドモアゼル、吾輩はこの街が初めてでアール。ちとばかし案内して欲しいのでアール」
「ご、ごめんなさい。このあと茶葉を買いに行かなくてはならなくて」
「ほうほう、では拙者もご同行致すでござる」
キャラが安定しないのも初めてだ。まるで俺が俺じゃないかのようだった。
今まで生きてきて一目惚れどころか、恋の一つも経験のなかった俺は、速まる鼓動を抑える術が全く分からなかったのだ。ただ、高ぶる感情に身を任せ、高揚感に従い行動した。
「ところで鬼龍院さんはいつからヒーローを?」
「
「……やっぱり、松も」
「そんな事より君の事が知りたいなッ」
何度もウインクするな、気持ち悪い俺。確かその後も、俺のヒーローとしての活動について話をして、何度も謝礼はいらないよと格好つけて、
他にもいろんな話をしたとは思うが、ダメだ。恥ずかしすぎて思い出せない。とりあえず、もう二度とマドモアゼルは使わないと決めた。
「鬼龍院さんはどうしてヒーローをやってるんですか?」
「それは、君を守るためさ」
「…………覚えててくれたんですね」
「え? 今何か言いました?」
もう二度と会わないだろうと高を括って格好つけたキザなセリフが返って俺を苦しめる羽目になるとは。ぐおぉ、何が「君を守るためさ」だ、柄にも無いことを言うから顔が無駄に熱い。今度は君を守るためにこの街に来たとか口走りそうで自分が怖い。
それから俺は性懲りも無くカフェにでも誘ってみたのだが、彼女は「人を待っているのでごめんさい」と丁重に断わり、帰ってしまった。キザなセリフで止めておけば傷口は浅かったはずなのに。無駄に格好つけようとして、最後はナンパ紛いなことまでして。我ながら最悪だ。田舎から出たばっかりでナンパなんて、本当に辞めておけばよかった。
「君の美しい横顔を眺めながら、美味しい紅茶を飲んでみたいものだ」
うがぁぁぁぁ! 俺は、俺は一体何を口走っているんだ。ってか誰だ俺は。キャラ崩壊にも程がある。声色を変えるな。
等と自分を責めてみても、過去が変わることは無いわけで。
そして今、赤面したまま玄関で固まる俺に、大家さんは何事かと首をかしげた。
まさか、あの時散々ナンパした相手が大家さんだったとは、夢にも思わないわけで。俺は過去にタイムスリップして、昔の自分をぶっ殺したい気分に襲われていた。
今日から、あなたの家でお世話になる松本ヒロシですだなんて、恥ずかしくて言えっこない。そりゃ、彼女だって松本ヒロシと鬼龍院刹那が同一人物とは思いもしないだろう。
「えっと……よ、よろしくお願いしますね」
ぎこちない笑みを浮かべた彼女を、忘れられる日は来るのだろうか。
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