8 脱出

 邪魔する者は蹴散らす。そう言わんばかりに堂々と男達という脅威に向かって進むのは、一刻も早く森から離れるためなのか。

 只、イサム達が距離を詰めても、武装した男達は襲ってこなかった。片腕をなくしても尚戦うユーラに、その力を見誤っていたことに気付いたのだろう。今はイサム達の動きに合わせて後退しながら、復帰した仲間の合流で人数を戻すことに専念している。


 イサムは増えていく男達の姿に緊張を増しながらも、ナリアの先導するままに進み続けた。


 大分進んだことで当初離れた道は近く、見える馬車も大きくなる。しかしそれに比例するかのように、ユーラの限界が近付いていた。

 しばらく前からユーラの口は開いたままだ。そこから煩いほどの呼吸音が聞こえてくる。またユーラを支えるイサムとナリアの歩く速度も、疲労から自然と落ちていた。

 戦いが持久戦となってから、状況は悪化の一途を辿っている。

 イサムは減っていく体力を気力で補い、足をひたすら前へと運び続けている。だが遠巻きに人数を増していく男達、そして重くなる自分の体に、その気力すら徐々に減っていくのを感じていた。


 草原を進む中、竜はあれから二度ばかりイサム達に襲い掛かってきた。後方から迫る音が聞こえる度に、イサムは緊張しながらポールを構えた。けれどユーラやイサムの首元に陣取る蛇によって、イサムが何するでもなく竜はその都度撃退されている。

 竜の動きは確かに素早いが、だからといって特別強い存在ではないのかもしれない。ならばナリアとユーラは竜の何を恐れているのか。一度の撃退で自身を特別だと思ったことに気恥ずかしさを感じながら、イサムは新たに浮かんだ疑問に思考を巡らせ、そこに何だか嫌な予感を覚えていた。


 そしてイサムがその理由に思い至った時、既に状況は逼迫していた。



 三度目となる後方からの、何かの迫る音が聞こえてくる。


 恐らく竜だ。撃退を重ねたことで、イサムは何処か余裕を持って事態に臨んだ。けれど音が近付いてくるにつれて、その余裕が次第に失われていく。

 迫る音は竜のもので間違いない。だが段々と聞こえてくる音が知っているものから変化していた。近付いてくる音が、幾重にも重なっていくのだ。まだ距離のある今でもその音は既に大きく、騒々しいほどになっていた。そして重なった音の数は、イサムの耳が判別できるだけでも優に十を超えている。


 イサムは後方を振り返ることができなかった。二人が恐れていたことはつまりこういうことだったのだ。竜はあの不快な鳴き声で仲間を呼び、群れを作る。散発的に来ていたのは牽制だったのかもしれない。


 三人の速度は疲労の濃い中でも自然と上がっていた。けれどそれで振り切れるわけもなく、背中に迫る音にイサムは戦慄する。イサムの怯えを察してか、首元にいる蛇は身じろぐとその首を後方へと向けていた。

 イサム達の速度が上がると、付かず離れずの男達も動きを変え始めた。いつの間にか男達の数は十数人となっている。彼らは一人ひとり横に広がっていくと、イサム達を囲うようにして後退の足を止めていた。

 敵の待つところへ無策に飛び込むことはできず、イサム達は歩く速度を緩めざるを得なかった。必然的に後方から迫る竜とイサム達の距離がどんどんと縮まっていく。

 一度上げた速度を減速して、イサムは疲労が一気に増したような気がした。


 そうして竜の群れが、いよいよイサム達の背中に迫ろうとした時だった。


 ごおっという風の音を耳が拾うや否や、イサムの背中に熱風が吹き付けた。後方を見ていた蛇が慌てたように頭を前に戻してくる。

 辺りが急に明るくなり、イサム達の前方を照らし出す。

 イサム達の前に立つ男達の影が長く後ろに伸びていく。見て取れるようになった男達の顔には呆けたような表情が浮かび、その目はイサム達を通り越してその後ろへと向けられていた。


 男達の様子につられて、イサムは隙を見せぬようにしつつも振り返った。


 そこには炎上する草原があった。イサム達の三、四メートル後方で、草がなびくかのように炎が揺らめいている。まるで壁のように広がり勢いよく燃え上がるも、枯れていない青々とした草原だからか、そこからさらに燃え広がっていく様子は見えない。炎の向こうからは竜の鳴き声と、依然として竜の迫る音が聞こえてきた。


 イサムは圧倒された。一瞬状況を忘れて、光景に魅入ってしまった。そして負傷しながらもこれほどの魔術を行使できる、ユーラの強さに畏敬の念を只々抱いた。


 だがその途端、イサムの肩に掛かる重さがぐっと増した。


「エビチリさん!」

 ナリアの悲痛な声が飛んだ。


 イサムが横を向けば、力尽きたように脱力するユーラの姿があった。首はだらりと下がり、目と口は開いたまま、生気のない瞳を地面に落としている。あれだけ荒かった呼吸音も聞こえず、イサムは慌ててその口に手を寄せて呼吸を確かめた。


 夜の冷えた空気が燃え上がる炎によって熱せられ、ユーラの顔を覗き込んだ額に汗がにじむ。辺りにはユーラに呼び掛けるナリアの声が響き、顔を上げれば辺り全てが赤く照らし上げられている。ふとイサムは自身が地獄にでも迷い込んだのかと錯覚した。


 手にユーラの息遣いを感じて安堵したのも束の間、イサムの目は赤い光景の中に動くものを捉える。


 男の一人が走っていた。ここぞとばかりに距離を詰めにきたのだ。その距離は最早眼前。イサムの視線に気付くと声を上げて、剣を振り上げる。


 イサムは咄嗟にユーラを、ナリアへ押し付けるように突き飛ばした。地面に転がるナリアの短い悲鳴を耳にしながら、右手に持ったポールを構えると男の剣を受け止める。


 高い金属音を響かせてポールが剣を受け止めると、そのまま鍔迫り合いが始まった。


 男は最初からそれを狙っていたのか、膂力のままにイサムを押し潰しに掛かる。服の下でぱんぱんに膨らんだ腕がイサムに襲い掛かり、イサムは必死に抵抗するが力の差は歴然だった。

 跳ね返すこともできず、イサムの体勢が崩れていく。

 イサムはポールと剣の向こうにある男の顔に、勝ちを確信したかのような笑みを見た。

 だが次の瞬間、男は弾かれたようにイサムから離れた。手に持った剣を投げ捨てると、空になった手を首にやって後退する。

 男の首に、蛇が締め上げるように巻き付いていた。鍔迫り合いの最中、イサムの首元から男に襲い掛かったのだ。

 蛇を外そうと男は暴れ、もがく。その足は追い討ちを恐れてか、どんどんとイサムから離れていく。

 イサムは蛇を助けようと思うも、男の暴れ様に足を一歩踏み出すことができなかった。


 男は後退し続ける。やがてイサム達、そして草原にできた炎の壁からも大きく距離が離れた。途端、孤立したそこへ数匹の竜が襲い掛かる。


 隅に追いやられていた竜の存在が意識に上る。イサムが辺りを見回せば、至るところから男の怒号に悲鳴、剣を振るう音が聞こえてきた。炎は草原の中で剣を振り回す男達の姿と、それに飛び掛かる竜の姿を照らし出していた。


「ラーメンさん!」

 呆然となって眺めるイサムにナリアから声が掛かる。


 イサムに突き飛ばされたナリアは既にその体勢を整えると、ユーラに肩を貸しながら立ち上がろうとしていた。


 我に返ったイサムはそんな二人の様子を目にするも、視線を再び戦う蛇と武装した男、そこに群がる竜へ向けた。自身の身代わりとなった蛇の力量を信じつつも、戦いの行方を追わないわけにはいかなかった。


 そして戦いはイサムにとって望まない方向へ舵を切る。


 蛇がいまだ巻き付く男は左手で首元の蛇を握りながら、右手をがむしゃらに振るって竜を追い払おうとしていた。しかし竜はその手に噛み付き、また別の一匹が足に噛み付く。男は痛みにもだえ、地面へと引き倒される。そして倒れながらも抵抗を見せる男に、竜は次々と群がっていく。


「ラーメンさん!!」

 ナリアが叫ぶ。


 イサムはその声にも動くことができずにいた。只、蛇が戦いを終えて戻って来るのを待ちたかった。

 だが三つ巴の戦いに終わりは見えない。

 そして床に群がる竜の一匹がさらに仲間を呼ぶ鳴き声を上げた時、イサムの天秤はようやく傾き、ナリアの元へ踵を返した。


 ユーラの横に付くと、イサムはナリアと二人で両脇からユーラを支えて立ち上がる。


「馬車に向かいます!」

 ナリアはそう言うなり、一気に走り出した。


 武装した男達と竜の戦闘は依然として終わらず、イサム達を止める者はいなかった。


 これが助かる最後の機会だと思うと、イサムはユーラを支えながら死に物狂いで走った。走ると蛇のいなくなった首に風が撫で付けて、イサムにはそれがひどく涼しげに感じられた。


「おい! あいつらを止めろ!!」


 白ずくめの男の怒号が聞こえた気がした。けれどそれもすぐに男達の戦う音に混ざってわからなくなった。



 イサム達が草原を抜けて道に辿り着くと、そこにはいまだ地面に倒れ伏した騎士達の姿があった。誰かが水を浴びせたのか、その体と地面は濡れている。だが誰一人として気を取り戻した様子はない。


 イサム達はそれらを刺激しないように通り抜けると、馬車へとやっと到達した。


 草原にいる時はあんなにも騒々しかった戦いの音が、ここでははるか遠くに聞こえた。いまだに草原の一部が燃えているが、その熱も届かなければ、その炎は単に美しく見える。だからなのだろうか、馬車に繋がれた馬は暴れることなく、主人の帰りをじっと待つ犬のように落ち着いていた。


「ラーメンさん、馬車は?」

「初めてです。ナリアさんは?」

「……何とかします」


 ユーラを荷台の脇に下ろすと、ナリアは御者台に回った。


「荷台を確認してください!」

 御者台から大きな声が飛んでくる。


 イサムは馬車の後ろに回り、そこから荷台に上った。


 幌の掛かった荷台は星明りもなく外より暗い。イサムが目を凝らすと、所狭しと荷物がぎっしりと積んであるのがわかった。土嚢袋よりも大きな袋や樽に箱、それに細々とした小さな袋といったものが、四畳ほどになるだろう荷台の両脇にまとめられている。


 荷物の多さに、有用なものがありそうな予感がした。もしかしたらユーラに使える薬草のようなものがあるかもしれない。しかし同時に、イサムの頭にはこれで速度が出るのかという疑問も浮かぶ。


「何か捨てますか!?」

「そうですね……」


 御者台からの返答を耳にしながら、イサムは背負っているリュックサックを下ろすと、手近な箱の中身を確認しようと手を掛けた。


 だが箱を開けるより前に、イサムの背中に大きな衝撃が走った。イサムは前のめりに倒れ込み、触れていた箱へと叩き付けられる。


「ごっ!?」

 イサムの口から大きく息が吐き出された。


 衝撃はそれで終わらない。さらに服の背中が掴まれると引っ張られて体を起こされるや、今度は反対側の樽へとぶつけられる。イサムは勢いそのままに背中と後頭部を強く打った。


「があっ!?」

「ラーメンさん!? どうしたんですか!?」

 ナリアの声が遠い。


 イサムはなんとか立ち上がろうとするが、両肩を強く押されて再び樽に叩き付けられた。

 そしてイサムの視界に覆い被さる影があった。


「き、貴様! 何を勝手に、私の商品に手を付けようとしてるんだ!?」

 影はイサムを押さえ付けながら、確かにそう口にした。

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