23 駆け引き

「何だ。只の人じゃないか」

「違う。よく見ろ」

「……耳か」

 小太りの男の言葉を痩せた男が否定し、狼顔の男が呟く。


 ユーラは聖教会の者を前にして、様子を窺いながら黙っている。


 事態を切り抜けるための覚悟を、ユーラも事前の相談でしているはずだった。その顔に浮かぶ緊張を、彼らは何と思っているのだろうか。


「怯えることはない。神のために働くのだ。これほど名誉なことはあるまい」

 小太りの男が嬉々とした様子で、黙りこくるユーラに語りかけた。


 その言葉に、ユーラは心底うんざりした顔を見せる。それは一瞬のことで、イサム以外には誰も気が付かなかったようだったが。


「早く村から出て行ってくれ!」

 村人がユーラに対して再び声を上げた。

「静かにしろ。彼女はもう教会の下にある。余計な真似をするな」

 痩せた男が淡々とした調子で、村人へ警告を発する。


 事態をユーラに押し付けはしたが、このまま聖教会の者に居座られたらと考えると、村人達は気が気でないだろう。もしかしたらユーラが他の、獣化病の者の存在をばらすと思っているのかもしれない。

 そんな村人の考えが透けて見えて、イサムは胸の内に収めた怒りが再び沸き立つのを感じた。このまま聖教会にばれてしまえと思う気持ちが起こり、払拭できない。だがそうなると、わざわざユーラが進み出たことが無駄になる。


 イサムは複雑な思いを抱えながら、ユーラと聖教会の者を視界に収め続ける。


 聖教会の者と対峙していたユーラは、今は体の向きを反転させて村人達を見ている。真っ直ぐな視線は村人達を射抜いて、ペルトや声を上げていた者、また他の者も気まずさからだろう、顔を伏せたり、視線を逸らしたりしていた。しかしナリアだけは村人達の中で相変わらず鷹揚としており、そんなナリアの態度にユーラは不快感を隠さなかった。

 聖教会の者はユーラを脇に置きながらも話し掛けるでもなく、彼らだけで話し合っている。その内容は村人達やイサムの位置からでは、ぼそぼそとした音にしか聞こえず、村人達は時折そちらを見て不安が煽られてるようだった。


 ユーラの緊張した顔を見れば、自分が何とかしたいと思う反面、自らの手で命を奪うかもしれないという想像に、イサムの体は強張った。静観したい思いができることなら穏やかに、ユーラだけで対処できる状況になることを望んでしまう。それが今、村人達のしていることと大して違いがないことに気付きながらも。


 そうしてイサムが様子を窺っていると、不意にユーラが視線を向けてきた。その目はこちらを心配しているようで、イサムは内心を察せられたと苦笑いを浮かべる。

 しかしユーラは呆れたような表情を浮かべて、違うと言わんばかりに首を振る。それから口の動きだけで何かを伝えようとしてきた。

 その口の動きを見詰めること一分ほど。徐々に苛立ちの混ざり始めるそれを意味を理解して、イサムは途端に焦りを覚えた。


 やるべきことは変わっていない。ユーラから先ほどそう言われたにも関わらず、イサムの頭の中からは事前に相談していた内容がすっかりと抜け落ちていた。

 聖教会相手にユーラが何かする際は手助けをしようと、イサムは漫然とそう思っていた。だがこの場で隙が生じず何もできなければ、このままユーラだけが連れ去られる。そしてイサムがここに一人で残されても、できることはほとんどなかった。ナリアは信用ならず、ここまでの地理をしっかり把握しているとも言えない中では帰ることもできず、イサムはユーラと共に行動し続ける他ないのだ。

 そうなるとユーラと一緒に、イサム自身も聖教会の者に連れて行ってもらわなければならなかった。


 話し込む聖教会の者に声を掛けようと、イサムは自身のフードを外して一歩前に進み出た。

 イサムが動くと、すぐに聖教会の者は話を止めて、問うような視線を投げてくる。顔のしるしに気付いたのか、その視線は一瞬だけ鋭くなった。


「待ってください」

 その時、村人の中からそんな声が聞こえた。


 自然と声のした方に、イサムと聖教会の者らの顔が向き直る。


 村人の集団をかき分けて、その陰から進み出る者がいた。ナリアだ。いつもと同じ黒い外套を羽織っている。

 ユーラの視線に顔を逸らした村人達とは違い、ずっとユーラやイサムの様子を確認していたのだろう。ナリアはそのまま集団から抜け出すとイサムの横に並んだ。


 ナリアの姿を目にして、聖教会の者の目つきが鋭く変わる。


「彼女は私の同行者です」

 視線でユーラを示しながら、ナリアは言った。


 イサムは困惑した。この事態にユーラを引きずり込んでおきながら、今更になって庇おうとしているのだろうか。


 ナリアの存在に聖教会の者も緊張しているのか、その雰囲気に先ほどまで窺えた余裕が消えた。

 場の主導権は聖教会の者から離れてナリアに移ったようで、聖教会の者はナリアの一挙一動に注目していた。


「私はクエンタの修道院から参りました、ナリアと申します」

「……教皇のお膝元の修道士様が、これはわざわざ。こんなところまで何をしにいらっしゃったのか?」

 名乗るナリアに、痩せた男が怪訝そうな表情で尋ねてくる。

「猊下の命でカラトペに。彼らは一人では危険な道中の、私の旅の供なのです」


 彼らと、そう口にしたナリアは視線をイサムにも向けてきた。

 それを受けて、イサムは不可解ながらも頷いた。


 頭の中はいまだ困惑で占められて、胸の内には怒りがくすぶったままだ。只、ナリアによって同行者として名乗り出るイサムの目的は達せられた。


「それで我々にどうしろと。この者を見逃せとでもいうのか?」

「見逃せなんて……。私と共に行きますので、お手を煩わせることはありません。そうお伝えしたいだけなのです」


 会話が進むにつれて、場の空気がより冷えていくのをイサムは感じた。

 どう見ても友好的な雰囲気ではない。痩せた男の揶揄するような物言いも、聞き間違いではないのだろう。


「この先の村にも行かれるのでしょう? わざわざこの者を連れて行くなり戻るなりするよりも、私に任せて頂きたく存じます」

 黙る聖教会の者達に、ナリアはもう一押しとばかりに言葉を続けた。


 小太りの男がナリアを睨む。その口を開こうとすると、狼顔の男が制するように何事か呟き、そこから言葉は発せられなかった。


 目の前で繰り広げられる光景に、イサムはおぼろげながらナリアのやろうとしていることが見えてきた。


 ナリアはこの聖教会の者らに村の者、そしてユーラも差し出すつもりがないのだ。

 シーナ一人を犠牲と決めていたのに、突然ユーラに押し付けた。さらにそれすら引っくり返そうとするのだから、このまま話が進めば誰もが望む展開となる。

 だがイサムが納得いかないのは、なぜ初めからナリアはユーラに頼まなかったのかということだ。騙し討ちのような仕打ちになったのは、まさか直前になって思い付いたからとでもいうのだろうか。

 徒にイサムとユーラに混乱を与えようとしている。そんな無意味なことをするわけがないとは思うも、そう勘繰りたくなる状況だった。


 イサムはナリアへ問うように視線を向けるが、ナリアの目は聖教会の者を向いたまま動くことはなかった。


「承知した。この者が同行者というならば、あなたが連れて行けばいい」

 口を開いたのは、狼顔の男だった。


 三人の中でどうやら狼顔の男の立場が一番上のようだ。

 罪人と呼ぶ一方で、獣化病の者がその立場にいることにイサムは違和感を禁じえない。


「ありがとうございます」

「だが」

 ナリアの礼を遮って、狼顔の男は言葉を続けた。

「この者が村の者ではないということは、他に獣化病の者がいるということだろう」


 会話が途切れる。

 広場には濃密な静寂が一瞬にして訪れた。


「我々は、この村に獣化病の者がいると聞いて来たのだ。その者は一体何処にいる?」

 ナリアが何も言葉を返せずにいると、狼顔の男がさらに続けてきた。

「その者を村人と勘違いしたのではないでしょうか?」

 考えるように視線を中空に動かして、その後一呼吸置くと、ナリアは素知らぬ顔でそう言った。

「それでは、あなたはこの村に他の獣化病の者はいないと?」

「私は知らないですね」

「……ふむ」


 聖教会の者はナリアの顔を凝視し、ナリアはその視線を受け止めて微動だにしない。


 嘘はつけないと言っていたのに。イサムは自身の動揺が表に出ないように耐えていた。思考は完全にナリアの言動で振り回されて、気を紛らわすように空を見上げれば太陽が高い。強い日差しで外套の中は蒸しているはずなのだが、その背筋が今はひどく寒かった。


 ナリアと狼顔の男はいまだいくつか言葉を交わしている。


 イサムは耳から入ってくるそれを遮断して、意識の外に追いやった。今は意識の内を占める困惑を少しでも消化しようと、空を見上げたままナリアの言葉を振り返っていた。


 よくよく考えれば、確かにナリアは嘘を言ってはいないのかもしれない。ナリアはいるともいないとも答えず、知らないとだけ答えたのだ。今この場で確定情報を出せと言われても、イサムだって知らないとしか答えることができない。既に獣化病の人間は何処かへ逃げた後かもしれず、確認しなければ答えようがないからだ。

 しかしそれは詭弁だ。事前にわかっていなければ、このような答弁をするとは誰も想定できない。会話でのやり取りは一般的に、自分の見解や推測を交えるものだろう。確定した事柄など過去のことばかりで、刻一刻と変わる今や未来のことはわからないからだ。

 思えば、ナリアの見解や推測を聞いた覚えはペルトの聖教会行きの件のみだった。


 ナリアに感じていた不信の理由が、イサムはようやくわかった。


 果たしてその物言いがナリア個人によるところなのか、それとも聖教会に共通することなのかはわからない。だがもしも聖教会の共通することならば、目の前で繰り広げられているのは身内同士の壮絶な化かし合いだ。

 そう考えると、途端に目の前の光景がイサムには馬鹿らしく思えた。そしてそんな馬鹿らしい光景に命運が左右される村人を思うと、この世界の歪さが見えてくる気がした。

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