19 宴

 予定より早く終わった集会の後、村人達は総出である準備に取り掛かった。それは今までの狩りによって村に蓄えられた食糧を供した、盛大な宴の準備だった。

 聖教会の者の来訪は数日以内。その時にはシーナが村を去る。

 皆のために村を去るシーナを、せめて盛大に送り出したい。そんな思いで村全体が一致団結して取り組むその光景は、シーナが待ち望んでいただろうものだった。


「急に決まったから、これぐらいしかできないけど」

 そう口にするバゴの視線の先には、村の共同の炊事場で忙しく動き回る女性達の姿がある。


 集会を終えて、その内容が村全体に伝わると、誰とはなしに宴を行うことが発案されて、準備が始まった。

 今年は祭りを行う予定はなく、その準備も当然行われていなかった。急遽ということで娯楽となる催し物はできず、皆で食事をするぐらいしかできることはない。

 それでも精一杯やろうと慌ただしく動き回る村人に、村を包む活気は例年以上だとバゴは言い、皆に混ざって準備に取り組むシーナの顔は嬉しそうだった。


 そんな村の中には、部外者であるイサム達の居場所はなかった。

 勝手を知らず、手伝おうとすれば却って邪魔になる。イサム達はその場にシーナを残すと、宴の準備が終わるまで滞在先のガフの家へ戻ることになった。


 下準備もない中で迅速に進めようと悪戦苦闘する村人の姿を目に映しながら、イサムは村の中の帰路を進んだ。


 そうして戻ってきたガフの家で、三人は居間に入ると椅子に座り、机を囲んでいる。


「教会に連れられた者はどうなる?」

 イサムは正面に座るナリアに問い掛けた。

「私がこちらにいた頃は基本的に農作業をしていましたよ。今、どうなのかはちょっと……」


 ナリアのその話だけを聞くと、イサムには亜人狩りだ、何だと言われているが、そこまで騒ぐほどのことではない気がしてくる。獣化病の村人も聖教会への無知から、恐怖を煽られて騒いでいる可能性が考えられた。

 しかしもし本当にそうであるならば、なぜナリアはそれを村人に伝えないのか。伝えない理由を考えると、忌避すべきことがあるとしか思えなかった。


「……シーナはどうなるんだろう」

 イサムのその言葉に応える者はいない。


 外の喧騒が家の中まで聞こえてくる。

 その騒がしさがイサムには空しく思えた。


 シーナに対する罪悪感なのか、活気付く村の中で動き回る村人の姿が、イサムには忙しくすることで何かから逃げているように見えた。

 会合でシーナが発言した後、誰もそれを止めたり、その真意を尋ねたりすることはなかった。村人の誰もが何か言うことで、自分や自分の家族にはね返ってくることを恐れているかのようだった。


 村で準備を手伝うシーナ。彼女の目には、村人達がどのように映っているのだろうか。


 イサム達は会話が続かず、それぞれが考え込むように黙っている。

 外の騒々しさと相反するように、家の中は静まり返っていた。




 村の広場の中心には大きな松明が据え置かれている。


「うわぁ!」

 シーナが歓声を上げた。


 宴の準備が終わる頃にはすっかりと夜も更けて、広場では松明が焚かれて明かりが灯る。

 広場には村人が持ち寄った机がいくつも置かれて、机の上には所狭しと料理の盛られた皿が並んでいた。


 そしてそれらの料理とは別に、村人が歓声を上げる中、大皿に盛られた料理がシーナの前へと運ばれてきた。

 主役のための特別な料理、それはシーナの顔が隠れるほどの大きな黄色いオムレツだった。

 材料の卵はシーナとペルトが獲ってきたもので、丸々二つ使い切ったらしい。獣脂と商人から購入していた調味料、香辛料などもふんだんに使ってあるとのことで、少し離れた場所にいるイサムの鼻にもその芳しい匂いが届いた。


 シーナの声とオムレツの匂いに、他の料理を見ていた村人達の注目も集まった。


「さあ、食べてみて」


 料理を運んできたのはペルトの母親だ。彼女に促され、多くの村人の囲まれながらシーナはオムレツに匙を伸ばした。


「おいしい! おいしいよっ!」

 一口頬張ると、シーナは笑顔で周りを見回してそう言った。


 それを合図に宴は始まった。


 早速、小さな子供達がシーナの抱えるオムレツに向かってやって来る。何も知らない彼らはオムレツの匂いに惹かれるままに、シーナに分けてくれとねだり、群がっていく。

 笑顔のシーナはそれを制しながら二口、三口と食べ進め、その度に子供達は悲鳴のような声を上げた。村人の一人が見兼ねて子供が騒ぐのを止めようとすれば、シーナはそれも制した。そして三口目を飲み込むと、子供達の前にオムレツの載った皿を差し出した。

 子供達は目の前のオムレツに目を輝かせると、各々が匙を取り出して皿を囲む。そして次の瞬間には皿は空になり、そこには満面の笑顔をした子供達だけが残った。

 そんな子供達の様子を、シーナは笑顔を崩さずに見詰めていた。

 只、その光景を眺める村人の、特にペルトの表情は複雑なものだった。友人だろう同世代の子らがシーナを囲んで、笑顔を向けている。ペルトもその中の一人だったが、その表情は無理に笑みを作ろうとしてぎこちない。それは周りから浮いて見えるほどだった。


 広場の中央には机と共に椅子が並び、そこに腰掛けて食事をする者もいれば、取り皿に料理を盛ると立ったまま食事をする者もいた。


 シーナから少し離れた広場の端。イサムは皿に盛った料理を片手に立ったまま、シーナや宴の様子を眺めていた。


 イサムの傍には、定位置から皿に首を伸ばして料理を食べている蛇以外に誰もいない。

 ユーラとナリアはそれぞれ、ここ数日で親しくなった村人のところで談笑していた。


 イサムは皿が空になると近くの机に置いて、そっと広場から離れた。


 広場の光景が、イサムは只々気に入らなかった。

 村人から憐憫や同情の視線を受けながらも、シーナは笑っていた。もしかしたら、シーナは聖教会に興味があるのかもしれないと思わせるほどだ。しかし村人の誰もが様々な視線を向けるほどに関心を持ちながら、シーナの心情を確かめようとはしなかった。それは村人だけでなく、イサム自身にも言えることだったのだが。


 自身に嫌悪感を抱きながら、イサムは広場の喧騒を背に気の向くままに足を運んだ。進む道は自然と歩き慣れた方、村の裏口へと向かっていた。


 広場が遠のくと、光源は頼りない星明かりだけとなる。

 だがイサムはここ数日、何往復もした道を慣れた調子で進んでいく。


 裏口が見えてくると、その向こうに暗い森が広がっているのがイサムの目に入る。森の奥の何の光も通さない真っ暗な様相は、まるで人を拒んでいるかのようだ。

 森に引き寄せられるかのように一歩一歩裏口へ近付いていくと、暗闇に紛れていた人影が顕わになってくる。薄ぼんやりと暗闇に浮かぶそれは裏口傍に立って森を眺めていた。


 不審者かと思い、一瞬身を固くしたイサムだったが、動きを見せない人影にその緊張を緩める。近付けば、それはよく見知った者だった。


「どうも」

 イサムは一声掛けて、その者の横に並んだ。

「……お前か」

 イサムを一瞥してそう言うと、ガフはすぐに視線を森へ戻した。

「娘さんの送別会ですよ。傍にいなくていいんですか?」

「……こんな森では、人が逃げ込んでも死ぬだけだな」

 しばらくの沈黙の後、森を見ながらガフはそう口を開いた。

「娘を森へ逃がそうかと思ったが、それも無理のようだ」

 ガフは言葉を区切ると、その視線をイサムへ向けてきた。

「俺は村長などにはなりたくなかった」

 その言葉と視線に、イサムは気圧された。

「俺が向いていないのは、俺が一番知っている。俺よりバゴの方がよっぽど上手くやるだろう」

「……どうして、あなたが村長に?」

「父が村長だったんだ。若い頃から父の仕事を手伝って、亡くなったらそのままだ」

 イサムの質問に答えると一旦息をつき、間を置くとガフはまた話し始める。

「この仕事は貧乏くじだ。村のためだと言って、いつも皆の恨みを買う。好きでやっているわけじゃない。人より良い家に住んで、良い暮らしをしているのはわかっている。だがその代わりに家族を、娘を売ることを止められないなら、一体俺は何のためにこの仕事をやっているんだ……」

「村人はきっと感謝してますよ」

「感謝してるなら、どうして誰もシーナを止めてくれないんだ!」


 声を荒げたガフには悲壮感が漂う。

 イサムはそんなガフに何も言葉を返すことができなかった。


「……余所者に言っても仕方がない。悪かった。忘れてくれ」

 そう言うと、ガフは踵を返した。

「教会はいつ来るかわからない。村を出るなら、早めに出た方がいい」


 村の中へと引き返すガフの背中が夜の闇に溶けていく。

 その様子を、イサムはじっと眺めていた。

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