20 宴の後
宴はいつもの村の夕餉の時間よりも随分と早く始まり、終わりを迎えた。村全体で今後に備えるため、早めに切り上げることになっていたのだ。
広場では残った料理が片付けられ、掲げられていた松明が消されていく。机や椅子の片付けは明日の仕事に回されて、すっかり暗くなった村の中を皆が自分の家を目指して歩き始めた。
別れを惜しむように集まって帰宅へと歩く村人達。その中心にいるシーナの後を、ペルトは追っていた。
村人は一人、また一人と家の中へ消えていき、村長のガフの家が見えてくる頃には道を進むのはシーナだけとなった。一人で歩くシーナの背中は一人だからか、それとも宴が早くに終わったためか、とても寂しそうにペルトには見えた。
「シーナ」
夜道に急に声を掛けたからか、、ペルトが呼ぶとシーナの背中がびくついた。
「ペルトね。誰かと思った」
「ちょっと話がしたいんだけど」
振り返ったシーナはペルトの姿を確認て安心したようだった。そしてペルトの真面目な声に少し迷う素振りを見せたが、それでもすぐに頷いてきた。
二人はガフの家まで歩くと、家の中に入らずその脇に腰を下ろす。そのまま横に並んで、壁に背中を預けていく。
見上げれば、そこには綺麗な星空が広がっていた。
「今日は楽しかったね」
「うん」
話そうと持ち掛けたのはペルトからだ。だが、二人になってもなかなか口を開くことができずにいた。それを見兼ねただろうシーナが話を振ってくるが、ペルトは簡単な返事をするとまた黙ってしまう。
「……用事があったんじゃないの?」
ペルトの沈黙に痺れを切らして、シーナがペルトに問い掛けてくる。
そしてその言葉で、ペルトはようやく腹を括った。
「どうして教会に行くって言ったの?」
それは誰もがシーナに問えなかった言葉だ。特に、ペルトにとっては勇気のいる言葉だった。
「だって、誰かが行かなきゃいけなかったんでしょ。村の皆も困ってたし」
「だからってシーナが行かなくてもいいんじゃ……」
ペルトの言葉に、シーナは夜空に向けていた視線をペルトの顔へ向けてくる。
「私、嫌なの。村の皆があんな言い合いしてるところ見たくなかった」
「それでも自分のことなんだから、もっと考えないと」
「私だって考えてるわよ。何? ペルトは行って欲しくないの?」
目を合わせて問い掛けてくるシーナに、ペルトは答えるのに窮してしまった。
「じゃあ、誰が代わりに行くの。誰も行こうとしないじゃない」
「それは、くじで決めるとか……」
「くじ!? そんなので決めたら、村の中がばらばらになるわよ」
「それでも、教会に入りたいわけじゃないなら。……村に帰ってこれなくなるかもしれないのに」
返す言葉は弱々しく、夜の村に空しく響く。
既に村人達は眠りに就いたようで、村の中は静まり返っていて宴の余韻も感じさせない。
ペルトとシーナも黙り込み、静けさの中で二人はその視線を再び夜空へ戻した。
「……ペルトは教会に入りたいんでしょ」
そして沈黙を破ったシーナの言葉に、ペルトは動揺を隠せなかった。
「ど、何処で聞いたの?」
「村にいたらもう会えないかもしれないけど、私も教会に入れば会えるでしょ」
慌てて聞き返すペルトの問いには答えず、シーナは言葉を続けてくる。
ペルトはシーナに視線を向けるが、シーナの顔は夜空を見上げたまま動かない。ペルトから窺えるその横顔には気恥ずかしそうな笑みが浮かんでいるように見えた。
「私もう寝るね。明日早いかもしれないから」
「え、ちょっと待って!」
シーナは立ち上がるとペルトの制止の言葉に耳を貸さず、自分の家の中へと走っていく。
その場に残されたペルトは呆然と立ち尽くす他なかった。
シーナが自分に好意を持っていることに、ペルトは薄々気付いていた。さり気なく向けられるその好意を、気恥ずかしさはあっても不快に思ったことは一度としてない。けれどそんなシーナの好意を、ペルトはできるだけ避けようとしてきた。それは自分にその好意を受ける資格がないと思っていたからだ。
ペルトは今年で十二歳となる。その年齢になると村では成人までの残り三年を一人前となるために、本格的に親の仕事を手伝い、その準備を進めていく。
そんな中、ここ一、二年の間にペルトの同世代の多くが獣化病を患い、その身体能力を大きく向上させていた。
その能力で準備段階でありながら村の大人と遜色ない働きを見せる子供達に、村の将来は明るいと大人達は喜んでいだ。しかし大人達の喜びと反比例するように、ペルトは自分の将来が暗いものへと変わっていくのを感じていた。
いくら努力しても追い付けないものがある。数年前から学び、先を進むはずのペルトを悠々と追い抜く友人達がいる。
ペルトは自分の適性を知るために、誰にも負けない自分のできることを探して、猟師とは違う村の仕事も学び始めた。
読み書きを覚えたのもその賜物だ。率先して村に訪れる商人や巡礼者に教えを請い、その知識は村の中でも一、二を争うほどになった。
しかしどんなに読み書きが上手くなっても、必要とされる場面がそもそも村の中には滅多にない。そのことにペルトが気付いたのは文字の学習に大分時間を費やした後だった。商人や巡礼者とのやり取りは決まったものでしかなく、簡単ないくつかの単語を知っていればこの村では事足りるのだ。
また振り出しかとペルトが失意に沈んでいた時、ペルトはナリアと出会った。
法術を知り、それが獣化病を患っている者には使えないと知ると自分の悩みと重なって、まるでこれが運命なのだとペルトには思えた。
このまま村にいては折角学んだ知識も腐っていく。ペルトは自分の未来を村の外に求めた。頭に思い浮かぶのは法術を駆使して皆を癒し、頼られる自分の未来の姿だ。
しかしそれもナリアによって否定された。
聖教会に入りたいというペルトの望みが、ナリアに素っ気なく断られてしまったからだ。
集会の前に、断る理由を教えてくれと食い下がるペルトにナリアは語った。
『ペルトくんは、どうして教会に入りたいんですか。法術が使えるとは限りませんよ』
それはわかっていた。けれど自分の能力を生かすためには結局村の外に出るしかない。
『教会に入れば、村には戻ってこられません』
村にいて何もできないなら、村にいても仕方がなかった。
『教会は獣化病、亜人には厳しいです。詳しく話せませんが、シーナさんとはもう二度と会うことはなくなるでしょう。この村から離れて、ペルトくんは一体何のために、誰のために生きようとしているんですか?』
勿論、自分のために決まっている。
『この村の外で、人に奉仕したいというのなら止めません。けれど、どうしてそうしたいと思ったのかを考えれば、取るべき道は決まっているんじゃないですか』
ナリアの最後の言葉にだけは、ペルトはすぐに言葉を返すことができなかった。
どうして誰にも負けないものを欲したのか。自分のために、自信が欲しかったからだ。それは同世代の友人が成果を上げ続けるこの村では無理なことだった。劣等感を覚える自分が嫌だった。皆に、シーナに胸を張って生きたいと思ったのだ。
しかしそのために村から離れようとしていた自分は、一体誰を相手に胸を張ろうとしていたのだろうか。
ペルトはナリアに諭されて思い至るも、その言葉を素直に受け入れることができなかった。それを受け入れることは、村で一生劣等感を抱えていくことに他ならない。それは今までの自身の努力をも否定しているように思えた。
ペルトは結局自身の悩みを解決することも、ナリアを説得する言葉も思いつかず、集会を迎えた。
そしてその集会で、シーナが聖教会に入ると言い出した。
自分の行動がシーナの未来をも巻き込むとまで、ペルトは考えていなかった。誰がシーナに自分が聖教会に入りたいと望んだことを教えたのか。
聖教会では獣化病の者への扱いが厳しい。集会前のナリアの言葉が、ペルトの頭をこびりついて離れない。
シーナはそのことを知らないようだった。厳しいとはどういうことなのか。ペルトには全く想像が付かない。だがシーナにひどい目にはあって欲しくなかった。
自分の決断と行動に、他人の人生が乗ってくる。
その決断と行動が誤りだったかもしれない。シーナと共に引き返せない道へ踏み出してしまったのかと思うと、誰にも相談してこなかったことに後悔ばかりが残った。
自分のことでさえ重苦しく、さらにシーナが覆い被さってくるようで、ペルトはもう潰されそうだった。
ガフが村の裏口から去って、どれくらい経っただろうか。
すぐに家へ戻れば、帰路の途中でガフに追いつく可能性がある。そうなったら気まずいと思うと、イサムはいまだ村の裏口でのんびりと森を眺めていた。最初はイサムに付き合っていた首元の蛇は、今はすっかり寝入ってしまっている。
この世界に来た当初、イサムにとって森の中とは只の静かな場所でしかなかった。しかし今は目の前の森から、濃密な獣や虫といった生き物の気配を感じ取ることができる。
静寂の中に獣や虫の音が聞こえるだろうかと、イサムは暫し目を瞑って耳を澄ましてみた。だがこの世界に来てから、イサムの五感に特別な変化はない。目を瞑ったことで眠気が沸き起こってくる以外に、得るものは何もなかった。
感じる眠気に大きく欠伸をして、イサムはそれをきっかけにそろそろ戻ろうと裏口を離れた。
ユーラも獣化病だ。面倒を避けるならば、自分達も早々に村を出るべきだろう。数日以内に来るとなると、それは明日かもしれないし、明後日かもしれない。その間、旅の道中で鉢合わせしないようにするためにも、早朝に出立する必要がきっとある。
慣れた夜道に警戒心が薄れ、漫然と思考しながらイサムは帰路を歩いていく。
事態に対して焦りがないのは、劇的な一日に却って現実感が乏しいからだ。それがいいことなのか、悪いことなのか。イサムにはよくわからない。
そうして星明かりを頼りに進んでいると、不意にイサムの胸に何かがぶつかり、軽い衝撃があった。
驚きと共に思考が中断されると、イサムの驚きが伝わったのか、蛇が目覚めて警戒に鳴き声を発する。
イサムが胸に視線を落とせば、ぶつかったのは人のようだ。蛇の行動に驚いて、イサムの目の前でどすんと音を立てて尻餅をついた。
イサムはそのまま地面に座る者を見下ろした。俯いて顔はわからないが、背格好から子供であることは確認できる。
「あ、ラーメンさん……」
子供はその顔を上げると、イサムを見るなり元気のない調子で声を発した。
「ペルト?」
地面に座り込み、沈んだ顔でイサムを見上げているのはペルトだった。
「ど、どうした?」
イサムはペルトの手を掴み、引っ張り上げながら問い掛ける。
「……僕、もうどうしたらいいかわからないんです」
そう弱音を漏らすペルトは心底参っているようだった。
問い掛けたものの、イサムはペルトが何に悩んでいるか想像が付いていた。
それはこの村の事情と起きていることを知っていれば、誰にでも察しがつくことだった。
「誰が話したのか、シーナは僕が教会に行くから、教会に行くって言ったんです……」
そう語りながら、ペルトは縋るような目でイサムを見てくる。
イサムはペルトから向けられた目にうろたえた。話を聞くことぐらいはできても、助けを乞われて解決するなんてできるわけがない。
「……シーナが決めたことなら、ペルトが気に病むことはない」
「そんな! 教会は亜人に対して何をするかわからないんですよ!」
「それでもシーナが自分で選んだのだろう。ペルトが自分で教会に行くと決めたように。何が違うんだ」
突き放したような言い方になったのは、無自覚にも伸ばされた手を振り払いたかったのか。
ペルトの目は期待を裏切られたような、悲しみの色を帯びていく。
「今度は助けてくれないんですか!?」
「シーナの邪魔をしろと? 村はどうなる?」
こう返されるのはわかっていただろうに、ペルトからすぐには言葉が返ってこなかった。
「それじゃあ、僕にどうしろって言うんですか……」
そしてようやく返ってきたのは、そんな弱々しい言葉だ。
「誰か、ペルトに何かしてくれなんて頼んだのか。何かしたいのはペルトなんだろ? 好きなようにすればいい」
敢えて軽い調子でそう言うと、ペルトは睨むようにイサムを見てくる。
「只、好きなことをしたらこういう結果になるんだ。よく考えるんだな」
そのままイサムが言葉を続ければ、その視線は再び地面へと向けられた。
もしかしたら泣いているのかもしれない。イサムはそう思うも、それ以上声を掛けなかった。
「……帰ります」
しばらくの沈黙の後、ペルトは呟くようにそう言った。
イサムへの期待が無駄だと察したのか、歩き始めたペルトがイサムを見てくることはもうなかった。
去っていくペルトの背中を、イサムは見送る。見送りながらナリアの言葉を思い出して、自分が随分と子供に厳しいことに気付かされ、確かにナリアの言う通りだと思った。
ペルトが見えなくなると止めていた足を動かして、イサムは帰路を進んでガフの家の玄関をくぐっていく。
居間に入ると、既に寝入っているユーラの姿があった。
もう時間は限られている。これからどうするか、明日は早く起きて今後の相談しなければならない。
ユーラを見ながら、イサムは明日の予定を立てていく。
問題は最近の夜型の生活に、イサムには早く起きられる自信がないことだった。そしてこうなるならば自分も早く寝ればよかったと思い、気分をげんなりとさせながら床に就くのだった。
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