9 村の事情(1)

 それにしても、いつまでここで待たされるのか。

 ペルトが両親との再会を果たしてからしばらく経っても、村の入口にはバゴどころか他の者も姿を見せずにいる。


 喧騒は止んだが、入口から窺える村の中の様子は依然として人の行き交いが少ない。日はとっくに昇っているのだが、家に篭もっている村人が多いようだった。

 ユーラとナリアも手持ち無沙汰といった様相で、ぼんやりと村や周りの森へと視線を向けている。


 そんな中、シーナはイサム達の傍でじっと村の中を見ながら立っていた。


 シーナの親はどうしたのだろうか。イサムは最初ペルトの両親の反応を見て、一日会えなかっただけで大袈裟だと思った。しかしペルトが実際負傷したことを考えれば、当たり前の反応だった。森に住む人達だからこそ森の危険を認識しているのだろう。それであるのに、シーナの無事を喜ぶべき親の姿はいまだ現れていない。


 ペルトとその両親は再会を喜んだ後、今は村の外で何があったのか話しているようで、話し声と共に時折ちらちらとイサム達に視線を向けてきている。


 あまりの動きのなさにイサム達が訝しげになる頃、村の奥から一人の男がようやく姿を見せた。


 現れた男の姿にシーナは一瞬顔をほころばせるが、すぐにその顔と体を強張らせた。

 男はペルト達の脇を抜けて、村の入口までやって来る。

 ペルトの両親はその男が来るなり、じっと男を睨み付けていた。


「シーナ」

 男がシーナを呼ぶ。その口調は淡々として厳かなものを感じさせた。


 恐らくシーナの父親だろう。肩幅のあるがっしりとした体型で、身長はイサムと同じくらい。獣化はしておらず、短く刈り上げた茶色の髪に同じ色の瞳を持つ彫りの深い顔立ちの男だ。


「……はい」

 呼ばれたシーナは静々と返事をすると、イサム達の前に出て男の前に立つ。


 男が右手を振り上げると、ナリアは顔を背けた。

 ぱしんっと乾いた音が辺りに響き、振り抜かれた男の右手がイサムとユーラの目に映る。

 気丈にも男から視線を逸らさず、姿勢も崩さないシーナだったが、その左頬は赤くなった。


「今回は運が良かっただけだ。わかっているだろうな」

 男はそう言うと、シーナは何か言いたげにしながらも結局口には出さず俯いた。


 シーナと男によって気まずい空気が辺りに広がり始める。

 しかしユーラは目の前の光景を見過ごさず、それを破った。


「いきなり叩くなんて、あんまりじゃないですか」

「何だ、お前は?」


 今になって気付いたか、男はユーラ、イサム、そしてナリアへと視線を向けてくる。


「その子達を助けた者です。傷も治して帰したのにそれを叩くなんて……。見過ごすことはできません。まずは無事を喜んで、次は事情を聞くのが筋でしょう?」

 ユーラは手を上げた男に憤っているようで、礼儀として敬語を使っているが、次第にその声を大きくして捲し立てた。


 傷を治したのはナリアで、その相手はペルトだろう。イサムはユーラの言葉を訂正しようかとも思ったが、後が怖いので空気を読んで黙っていることにした。

 それはナリアも同様のようで、静かに事態の成り行きを見守っている。


「ユーラさん……」

「普通の子供ならそうかもしれんが、シーナは違う。俺の子供だ。責任がある」

 シーナが何か言おうとして、男が言葉でそれをかき消す。

「村の子供達を救ってくれたことには感謝する。これで満足か? 見てわかると思うが、今は大変な時期でな。村に部外者を入れる余裕はない。わかったなら道を進んだ方がいい。森を抜ければ泊まれる村もあるだろう」

 男が続けた言葉に、イサムは怒りを通り越して唖然とした。


 それが自分の娘の恩人に対する言葉だろうか。自分の耳を疑うも、ユーラとナリアの表情を見れば、それが聞き間違いではないことがわかった。


「……俺の子供って、あなた、そんなに偉いんですか?」

 怪訝そうな表情でユーラが問い掛ける。その顔は言外に男に対して、礼儀知らずの上に何様のつもりだと文句を滲ませていた。


 入口から少し離れた場所で再会を喜んでいたペルトの両親も、ユーラと男の言い合いに村の入口まで歩み寄ってくる。


 剣呑な雰囲気が漂う中、男が口を開こうとする。その時、後ろから別の声が掛かった。


「村長! 恩人に対して、ものの言い方ってものがあるでしょう!」

 声の主は先ほど村の奥へと走っていったバゴだ。今さっき走って戻ってきたようで、肩で苦しそうに呼吸をしているがユーラと男の会話は聞こえていたようだった。


 イサムはこの男を村長だという事実に驚いた。シーナの父親を悪く思いたくはないが、この短時間でさえ内外で人と応対する仕事に向いていないと察することができる。こんな調子では普段から村長の仕事ができているとは到底思えなかった。


「……言葉が過ぎた。だが言いたいことは変わらない。早く村から出ていってくれ」

 バゴの言葉に自分の非礼に気付いたのか、男は気まずそうな顔を見せるも、言葉の内容自体を訂正しようとはしなかった。


 その言葉を聞いて、それまで成り行きを見守っていたナリアがずいと前へ出る。


「私は聖教会の修道士でナリアと申します。あなたがこの村の村長ということでよろしいのでしょうか?」


 いつもながらのナリアの丁寧な態度だが、今回はえも言われぬ凄みがあった。自分に言われたわけでもないのに、イサムは背筋に冷たいものを感じた。

 ユーラはナリアが出しゃばってきたことが不満なのか、ナリアへ睨むように顔を向ける。

 そんなユーラを、ナリアは任せろと言わんばかりに手で制して、男と顔を合わせた。


「……ああ。村長のガフだ」

 ナリアの服装を確認すると、緊張した面持ちで男は名乗った。

「村長ならば、巡礼路沿いの村が税を免除される代わりに課された義務を、当然ご存知ですよね?」

「知っている。巡礼者の援助だろう。それでも今は、無理なものは無理だ」

 苦々しい顔をしながらガフはそう口にすると、ナリアから視線を逸らした。

「私は教会の者です。そこまでお困りなら他の巡礼者のためにも、何が原因なのか是非とも村の中を確認させて欲しいですね」

「そっ、それは困る!」

 ナリアの言葉に、バゴが声を上げた。


 ガフがバゴを睨み付ける。バゴは失言したことに気付いたようで、ガフに向いた顔は狼狽しているのか歪んでいた。


「やはりお困りのようですね。教会が力になりましょう」

 ナリアはそう言うと、にっこりと善意を全面に押し出したような笑みを浮かべた。


 イサムが辺りを見回せば、ナリアの笑みにガフやバゴだけでなくペルトの両親もその顔を青ざめさせている。シーナとペルトだけはそんな様子の大人達をきょとんと見詰めて、事態を把握していないようだった。


 イサムも何が何やらわからないが、どうやら形勢は自分達に優位らしい。ユーラに説明を求めて視線を向けてみるが、黙って成り行きを見守るように促された。

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