4 少女と少年(1)

 森の中は鬱蒼としていて、差し込む日差しは少なく、暗かった。


「もう帰った方がいいんじゃないかなぁ」

 情けない声を出しながら、ペルトが忙しなく辺りを見回している。


 いつもより少し森の奥へと入っただけなのに。そう思うと、シーナは辺りが見慣れない光景になった途端、おどおどし始める幼馴染に呆れてしまう。


「私達だってもうすぐ大人になるのに。そんなんじゃ馬鹿にされるわよ!」

「いいよ。別に馬鹿にされたって……」


 ぐずぐずとして足を進めないペルトに、シーナは次第に怒りを隠すのが面倒になってくる。


「どうしてよ! イングさんみたいな猟師になるんでしょ」

「それは……」

 彼の父の名前を出したからか、ペルトは黙った。


 次の言葉を待ってみても、ペルトは下を向くばかり。その様子を見ていると、シーナは自分が何に怒っているのかわからなくなり、馬鹿らしくなった。


 そのまましばらく待っても動かないペルトに痺れを切らして、シーナは視線を森の奥へ向けると足を進め始める。


「あ、待ってよ!」

 進むシーナに気付いたペルトが声を上げる。


 奥に進むほどにより暗くなる森を見て、ペルトは躊躇しているようだった。だがどんどんと離れていくシーナの背中に、意を決したように足を踏み出し、追い掛けてきた。


「皆、村に篭もっちゃってさ。もうすぐお祭りなのに」

 森を進みながら、シーナは愚痴る。

「仕方ないよ」

「仕方ないってことはないじゃない。年に一度なのよ。美味しいもの食べたいじゃない!」

「だからってこんな森の奥まで来なくても……」

 シーナの言葉に、ペルトは溜息をついた。


 話しながらも、シーナの視線はきょろきょろと動き、辺りを探し回っている。


「それで何を探してるの?」

「卵よ。動物は捕まえられないけど、それぐらいなら私達でも持って帰れるでしょ」


 そして木の陰を覗き込むと、それはあった。


「見つけた!」


 木の根の間で隠れるように、小枝や樹皮で組まれた鳥の巣があった。その中には両手でもはみ出るほどの、大きな卵が三つ置いてある。


「これなら運んでる最中に割れないわね」


 一つを手にして、その殻の硬い感触に満足するシーナ。それをペルトに手渡すと、巣からもう一つ取り上げて自分の手に持った。


「それじゃあ、もう帰ろうよ」

「そうね」


 目的の物を手に入れて、二人は颯爽と帰路に就く。


 手に持った卵はじんわりと温かい。温もりが心地良く、シーナは抱え込むようにそれを運ぶ。

 シーナの頭の中は卵を手に入れた嬉しさで占められている。卵を見つけるまでは頭にあった親鳥のことが、今は気にする必要のない些細なことだと隅の方へ追いやられていた。


 そんなシーナの隣を歩くペルトは、帰路を進みながらも頻繁に後ろを振り返る。


「どうしたの?」

「いや……。何か、見られてる気がして……」


 ペルトの言葉が気に掛かり、シーナも足を止めて振り返った。しかし、そこには森が広がるばかりで何も見当たらない。


「気のせいじゃない?」

「だと思うけど……」


 強い風が森の中を吹き抜け、木の葉が大きく音を立てた。

 暗い森に響くその音に不安が煽られて、二人の歩みは自然と早くなる。

 風が止むと、森のざわめきも一旦は収まった。だが二人が進むと、それを追い掛けるように茂みも再び音を立てては揺れていく。

 葉擦れの音が聞こえる度に二人は体を強張らせ、次第に会話はなくなった。

 もう茂みは風もなく、二人の後ろで音を立てている。


 追い掛けて来る音から逃れようと二人の速度は増していき、遂には緊張感に耐えかねて森の中を駆け始めた。


 追われている。シーナは顔に焦りを浮かべながら、その事実を認めざるを得なかった。


「親鳥かしら!」

 呼吸を荒くしながらも、心の内の不安を吐き出すようにシーナは喋る。


 ペルトに顔を向けてみるも言葉を返す余裕はないようで、その顔は走り続ける辛さと追われる恐怖で歪んでいた。


 どうして巣には親鳥がいなかったのか。手間が省けたと思うだけに留まり、シーナはその理由を全く考えようとしなかった。

 親鳥の不在は、別のものに襲われていたからかもしれない。抱える卵の大きさと、その親を襲う肉食性。今になってそれを想像して、シーナは自分の顔も歪んでいくのを感じ、抑えようと気を張った。


 二人の息が上がりそうなった頃、辺りはようやく見慣れた光景となった。


 日差しが差し込んで明るい森に、シーナは足を止めて人心地つく。ペルトも安心したのか、肩で呼吸をしながらその顔は安堵に満ちていた。


 木はまばらとなり、茂みも少ない。


 茂みに隠れて追ってきた何かは、隠れる場所がなければ追って来れないはず。無事に逃げ切れたのだと思いたくて、シーナの想像は願望混じりのものとなっていた。


 そしてそんな想像を嘲笑うかのように、二人の後ろでがさりと一際大きな音がした。


 恐る恐る二人が振り返れば、そこには一匹の鼠がいた。一見可愛らしいそれは、茶色の毛並みに丸々とした体を持つ。だが体長は二人の知るそれとは違い、両腕を使ってやっと抱えられるぐらいだろう大きさだ。くりくりとした可愛らしい目が二人の様子を窺うが、口から伸びた長い歯は赤く濡れていた。


 歯に付いているのは血だろうか。この鼠が親鳥を襲ったのかもしれないとシーナは思った。

 怖くないと言ったら嘘になる。只、想像していたものよりは小柄な獣であったことに、ペルトも少し落ち着きを取り戻したようだった。


「どうしよう?」

 ペルトが鼠から視線を外さず、シーナに問い掛けてくる。


 ペルトの手元に武器はない。素手で相手ができない大きさではないが、血塗れの歯を目にしてペルトの腰は引けていた。


「ペルトが引き付けて。私が仕留めるわ」


 卵を左手で抱え込むと、シーナは右手を静かに構える。その指先から隠れていた爪が鋭く伸びた。


 ペルトが了解したとばかりに前に出る。その顔には緊張の色が浮かんでいるが、同時にしっかりと集中していることがシーナにはわかった。

 鼠は先ほどから警戒したまま、動かない。

 じりじりと距離を詰めていくペルトの背中を目に映しながら、シーナは静かに側面へ回り込もうと動いていく。


 やがてペルトと鼠の距離は一足飛びで詰められるほどになる。


 途端、それまで動かずにいた鼠が突如動き出したかと思うと、森の奥へと逃げ出した。

 急に離れていく鼠の動きに、ペルトが間合いを維持しようと追い掛ける。


「ペルト!」

 シーナは声を上げた。


 鼠を捕まえたいわけではなく、追う必要はなかった。そう思って掛けた声にペルトは足を止め、その顔をシーナへ戻してくる。


 鼠はそれを待っていたのかもしれない。ペルトが視線を外した瞬間、その動きを反転させ、ペルトを目指して駆けてきた。

 さらに鼠の動きに合わせて、奥の茂みが動き出す。そこからは同じほどの大きさをした鼠が一匹、二匹と次々に飛び込んでくる。

 それは一様にペルトを目指して迫ってくる。鼠の大群だった。


「ペルト、前!」

 シーナは再び声を上げた。


 ペルトが慌てて前を向くと、その大群に驚愕する。

 鼠を追ったペルトとの間には距離がある。ペルトを助けようと、シーナは急ぎ、走った。それでも間に合わないと思うと、抱えた卵を鼠の大群に向かって投げつける。

 しかし鼠達は飛来するそれを容易に避けて、卵はごつんと硬そうな音を立てて地面に転がった。


 そして鼠の大群はその歩みを止めることなく、呆然と立ち尽くすペルトに向かって殺到した。

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