5 少女と少年(2)

 始終一緒にいる同行者から秘密を守り通す。それがこんなに大変だとは、イサムは思ってもいなかった。


 同行を決めた後にユーラから話を聞けば、獣化病を病だと決めたのは聖教会とのことだった。それは獣化病に対して当たりが強くなるだろうことも想像が付く。

 またそんな聖教会は獣化病の罹患者だけでなく、異界からの来訪者にも厳しいとのことだった。


『厳しいって、見つかるとどうなるの?』

『そこまでワタシがシるわけナいじゃない』


 それは聖教会の歴史の中で語られているらしいが、ユーラは関心がなく、詳しく知ろうともしなかった。そもそも異界が本当に存在していると、ユーラがそう認識したのは自身が日本へ渡ってから。それ以前には異界人を見たこともなければ、周りの誰もが別の世界の存在など信じていなかった。

 ユーラの話はそこまでで、具体性の欠ける情報に聖教会の真意は不明なままだった。只、特段不利益もなさそうならば安全策で、イサムの素性もナリアに隠すことにしたのだ。


 イサムには異界の知識が全く足りていなかった。森の中で生きていくための知識はそこそこあるが、異界の国家や宗教、教育などの社会制度がどのようになっているのかがわからない。

 イサムが行使しているとされる魔術、ユーラとの知識共有が上手く働いていないようで、機能していると思われた言語についても、細かい発音の知識にイサムとユーラとの間で齟齬があった。それらの事柄から、得た知識のほとんどが実は蛇からもたらされたではないかと、イサムはしばしば思いもしていた。


 ナリアに語った素性ではイサムとユーラは山奥の村の出身で、常識に疎いことになっている。だが常識に疎いとしても程度の問題がある。イサムは下手なことを言わないように、ナリアとの交流の全てをユーラに任せたかった。しかし二人の相性が悪そうなことは出会いから既に露呈していて、それでいてナリアの同行を決めたのはイサムだった。ユーラ一人に対応を任せることは許されず、イサムは当たり障りのない話題でお茶を濁しつつ、愛想笑いを浮かべる日々を送っていた。


 そうして三人となってからも、旅に変化はなかった。

 訪れる村全てで門前払いされる。それはイサム、ユーラ、そしてナリアが訪ねても同じことだった。


 カラトペを目指すナリアは巡礼路を進路とは逆の南へ抜けて、森を抜けた先にある半島から、さらに海を渡った島にある王都を出発してきたとのことだ。

 どれぐらいの距離なのかは想像できないが、長い旅路を進んできただろうことはイサムにもわかる。

 その長い旅路の中で門前払いされることは珍しく、けれどその頻度はカラトペに近くなるほどに急増しているそうだ。ナリアが同行を求めたのは、同行者がいればそれが変わるかもしれないとも思ったから。そんな修道士らしからぬ打算的な考えに、ユーラは逆に好感を持ったようだった。


 遠くからやって来たナリアではあるが、出身は元々ここらにある村とのことで、道中の森歩きも慣れている様子だった。その故郷の村には大分昔に後にしてから戻っておらず、今回も通り道にないので寄っていく予定はない。

 大分昔に村を出たという話に、イサムはナリアの年齢が気になって探りを入れてみた。

 小柄な体格に可愛らしい顔立ちは庇護欲をそそられるが、落ち着いた雰囲気はそれなりの年齢だと思わせてきて、イサムにはその年齢の判断ができずにいた。それはこれからどのように接したものかとの思いからの疑問だったが、当のナリアには笑顔でかわされ、ユーラには睨まれる羽目となった。

 結局、ナリアの年齢はわからないままで、イサムは無難に目上への対応を心掛け、それは旅をまた一つ面倒なものにするのだった。



 道中に変化があったのは、一団の構成が三人と一匹となって数日経ったある日の午後だった。


 日はもう傾きかけ始めて、三人は今晩の野営のことを考えながら道を進んでいた。日が沈み切ると身動きが取り辛く、そろそろ野営地や食事の準備をしなければならない。足を動かしつつ、三人は辺りに視線を巡らせ、都合のいい場所を探していた。


 なかなか開けた場所を見つけられず、イサムは並んで歩くユーラを見た。先ほどから無言で、何か見つけたのかもしれない。そんな期待で隣へ視線を向けれみれば、そこにはいるべき人の姿がない。

 イサムが慌てて振り返ると、後ろ十メートルほどの位置でユーラは足を止めていた。じっと道を左に外れた森の様子を窺っている。

 ナリアもユーラの動きに気付いたようで、足を止めた。

 すぐに歩き出すだろうと、二人はしばらくその場で待った。しかしユーラは一向に動き出さず、イサムはナリアと顔を見合わせると、二人でユーラの位置まで引き返した。


「どうしたんですか?」

 ナリアが心配そうに、ユーラへ声を掛けた。


 ユーラの顔には険しい表情が浮かび、その両目で森を睨み付けている。


「何か……、向こうで集まってる」

 そう言うと、ユーラは空いた左手で視線の先を指差した。


 イサムはナリアと共に指し示された森へ視線を向ける。だがそこに何か特別な変化は見つけられない。


「気のせいとかじゃ……?」

「人が襲われてるかも」

 確認するイサムの声に、ユーラはそう言葉を被せてきた。


 森を見たまま、イサムは固まった。

 そんなイサムへ指示を仰ぐように、ユーラは顔を向けてくる。


「……確認しに行くしかないだろ」

 空振りかもしれない。むしろ空振りであって欲しいと思いつつ、イサムはそう言うしかなかった。


 道を外れて森の中へ進み始めると、首元の蛇がその巻き付きを強くして、イサムの首が軽く絞まる。

 蛇を確かめれば、不満気な様子は何かを察しているようで、イサムは蛇を宥めつつ気を入れ直した。


「私には何も見えないんですが……」

 ナリアの言葉に答える者はいない。


 ユーラの力を知らないナリアは怪訝そうな表情を見せるも、森の中を進むイサムとユーラに付いて来る。


 イサムには魔力の気配を探ることはできず、何が起こっているのかを把握しているのはユーラのみだ。そのユーラはイサム達の先頭で足早に森の中を進んでいる。その姿に、イサムはこの先の光景を思って不安が募った。


 聞こえてくるのは三人が地面を踏みしめる足音だけ。

 森の中は静かなものだった。


 この静けさに何かが起こっているとはとても思えない。だが何かが起きていると知っていれば、奇妙な静けさだった。まるで争いを避けて、辺りから生き物が皆去った後のようだ。


 そして三人はその耳に声が届くのと同時に、その光景を視界に収めた。


 イサムは足が竦み、後ずさった。

 ユーラは衝動的に飛び出そうとし、理性でそれを押し留めていた。

 ナリアはその光景を前に、呆然と立ち尽くした。


 木の上に、枝にしがみつく子供がいた。十代前半だろう少年と少女の二人組だ。

 少年は枝の先に体を倒して、左腕でしがみついている。もう片方の右腕は力なくだらりと枝から垂れ下がり、離れたイサムの目からもそれが真っ赤に染まっているのがわかった。

 少女はそんな少年を背に守るように枝に座り込み、幹を伝って襲ってくるそれに腕を振るっている。


 それは大きな鞠のような体をした鼠だった。その数、大よそ四十匹。大群で木にまとわりつくと木の幹をその体で半分隠し、お互いの体で支え合いながら、少年少女の掴まる枝へと向かって木を登る。だが幹を伝い、枝を伝い、少女の元まで辿り着いた鼠は、少女が腕を振るうと簡単に払い落とされている。それでも四メートルほどの高さから落ちた鼠は再び木を登る戦列に加わって、少女と、その先の少年を目掛けて殺到していた。またそうした戦列復帰の合間には、まるで補給を受けるが如く、少年のだらりと下がった腕から滴り落ちる血を求め、長い歯を持つ口を天に向かって開けていた。


 持久戦の様相を呈するそれは、イサム達が見つける大分前から行われていのだろう。懸命に腕を振るっている少女の動きは緩慢で、少年の苦痛を訴える声も弱々しく、二人共に限界が近いことが見て取れた。

 そんな中でも少女は気を張るように、呼吸を乱しながらも少年を叱咤しているのだった。

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