二章

1 亡骸

「森で死体が見つかったそうだ」

 部屋に入ってくるなり、ドニスがそう話し掛けてくる。


 わざわざ自分に知らせてくるほどのことなのか。オルモルはそう疑問に思うと、作業の手を止める気にはならなかった。生きていれば当然いつかは死ぬ。それが森の中だったというだけだろう。


「埋めればいいんじゃないか?」

 オルモルは小鹿の解体を続けながら、言葉を返した。


 愛用のナイフが折れ、手に持つのは代用で作った石のナイフ。その切れ味の悪さに苛立ちが募り、オルモルが返す言葉の調子は自然ときついものになっていた。


「見つかったのは人間の死体だ」

 オルモルのそんな調子に、ドニスは慣れた様子で言葉を続けてくる。


 そしてその言葉を聞いて、オルモルの手は動きを止めた。




 ドニスと仲間の先導で、オルモルは森の中を進んでいく。


 その進路は村の方角ではなく、むしろ村が遠くなると最初に覚えた焦りは落ち着いてくる。


 早足でしばらく歩くと、太陽が高い内にその場所へ辿り着いた。


「むごいな。これは……」

 オルモルはそう言って、顔をしかめた。


 そこは死屍累々たる有り様だった。

 血の臭いが辺りに充満している。只、腐敗臭はない。この惨状が起きてからさほど時間は経っていないようだ。

 散らばる死体は恐らく人間のものが三体以上あり、大型の動物の死骸も数多く散乱している。

 ここで戦闘があったのだろう。

 死体は獣に食い散らかされた跡があり、顔は潰れ、手足は繋がっていない。これでは誰が見ても身元を確認することはできない。またそれは動物の死骸と折り重なって混ざってしまい、正確な犠牲者の数は人間と動物、共に把握できそうもなかった。


 赤黒い目の前の光景と立ち込める臭気に、オルモルは吐き気を催しそうになるのを、奥歯をぐっと噛み締めて堪えた。


 森で狩りを行う以上、こういった光景には慣れているつもりだった。しかしその対象が人だと思った途端、気力ががりがりと削られてしまう。オルモルは自身を甘いと思いつつ、まだこの感覚があることに安心もした。

 このまま放置しておくと血の臭いに煽られ、さらなる肉食の虫や獣が集まってくる。獣が集まれば、縄張りの問題も起こりかねない。後々の面倒よりも今の手間を取るべきだろうと、オルモル達は死体を埋めるために穴を掘り始めた。


 そうして死体は次々と穴へ埋められていく。


 死体には装飾品など様々な物が残されているも、それを剥ぐという真似をオルモルはしなかった。衣服は獣に噛まれ、穴が開いている。それで使い物にならないから取らなかったわけではない。オルモルは十数年ほぼ森の中で暮らし、外の人間と接触をしていない。それでも守るべき人としての矜持がオルモルにはあった。

 とはいえ、脇に落ちていた短剣は頂戴した。森の中で鉄製の武器は貴重だ。戦闘のためか血に濡れているが、手入れをすればまだまだ使えそうである。これでようやく獲物の解体が楽になると、オルモルは短剣を手にほくそ笑んだ。


 死体を埋め終わると、ドニスの仲間は去っていく。

 彼らを見送ってから、オルモルは周辺の探索を始めた。


 ここに至るまでの足跡から、死んだ者達の目的がわかるかもしれない。また生き残りがいる可能性もある。

 ドニスと足跡を辿ると、犠牲者は迷いなく目的地へ向かって一直線に進んでいたことがわかった。


「どうやら村に向かっていたみたいだな」

 ドニスの言葉に、オルモルは静かに頷いた。




 十数年振りに訪れた村は、荒れ果てたものだった。

 オルモルは五年ほど前に廃村になったと風の噂で聞いていた。だが自分の目で実際に確かめると、胸に来るものがある。

 木で出来た平屋の家屋は壁に穴を開けたものや、腐って朽ちたものが多く、まともに住めそうなものはほとんど存在しなかった。


 オルモルは記憶を探り、今と昔の光景を重ね合わせていく。家屋の数はいくらか増えてはいるが、建て替えはしていないようで概ね位置は変わっていない。

 そうして家屋を見て回るも、どれも少なくとも数年の間、人が住んでいた形跡はなかった。

 なぜ死んだ者達はここを目指したのだろうか。そんな疑問を抱えながら、オルモルとドニスは手分けして村の中を回って行く。


 とある家屋の前で、オルモルの足が止まった。

 その家は既に扉は朽ちてなくなっており、風が吹くと開け放してある入口から中へ砂埃が吹き込んでいる。他には、特に目新しいものはない。


 そんな家の中に、オルモルは足を踏み入れた。


 中はがらんとしたものだった。大分前に人が引き払ったようで、何もない。他の家では放置してあった机や椅子すら、その家にはなかった。

 オルモルが何もない家の中をぐるりと一回りして出てくると、外ではドニスが待っていた。


「……やっぱり人のいる形跡はないな」

 ドニスの顔を見ずに、オルモルはそう口にした。


 オルモルとドニスは家屋から離れ、村道を確認しに向かう。


 誰かがこの廃村を訪れていれば、村道にはその形跡が残っているはずだった。

 村道は広いものではない。森の中にあるいくつかの村を繋ぐものであるそれは、獣道を若干通りやすくした程度のものだ。昔は教会の巡礼路として指定され、人通りも多く、道も広かった。しかし新しく、広く大きい街道が作られると、森の村人とわずかな巡礼者しか利用する者がいなくなり、広かった道も徐々に森に飲まれていったのだ。


 道を確かめると動物の足跡が多いが、人が通ったような跡もあった。


 この道がまだ使われていることにオルモルは驚いた。村が廃村になったのだから、わずかな利用者もいなくなったと思っていた。しかしどうやら違ったらしい。

 死んだ者達は村ではなく、この道を目指していたのかもしれない。


 そうしてある程度の見当が付いた時、不意に森の奥から物音が聞こえた。


「お前ら、俺達の縄張りで何をしている?」


 それはのっそりと姿を現した。巨大に膨れ上がった体躯、口から鋭い牙が覗く猪だ。

 刺々しい茶色い体毛に覆われた皮膚は剣すら弾きそうだった。筋肉質な脚は蹄が地面にしっかりと足跡を刻み込み、そこから重量感と力強さをひしひしと伝えてくる。


 好戦的な雰囲気に押されて、オルモルの背筋には冷たいものが走った。


「済まない。ここがあんたらの縄張りだって知らなかったんだ」

「ほう。じゃあ、どういうつもりでここに来たんだ?」

 ドニスの弁解を聞きながらも、嗤笑を浮かべた猪はさらに問いを重ねてくる。


 露骨な挑発に、オルモルはこいつだけなら倒せるんじゃないかといきり立つが、それはドニスによって押し留められた。


「森に死体があったのは知っているだろう。村に人がいるんじゃないかと思って見に来たんだ」

「今度は森からだと! 馬鹿な奴らめ……。もう一度来ても同じ目に合わしてやる!」


 人の話題を出した途端、猪の鼻息が荒くなる。

 興奮する猪は今にもオルモル達を襲ってきそうで、オルモルはたちまち四肢を強張らせて緊張した。


「ふん! お前ら、もう行っていいぞ。そんな痩せてちゃ食っても不味いだけだからな!」

 猪の声に、周りから沢山の笑い声が重なった。


 いつの間にか囲まれていたらしい。

 その状況に猪の言葉を聞いても、オルモルは素直に緊張を緩めることができなかった。


「勝手に来るんじゃないぞ! 自分達の縄張りで大人しく引き篭もってろ!」


 背中に猪達の嘲笑を浴びながら、オルモルとドニスは廃村を後にした。


 オルモルは押さえてくれたドニスに感謝しながらも、力の足りない自分に不甲斐なさを覚えずにはいられなかった。

 悔しさを噛み締めながら、オルモル達は森の帰路に就くのだった。

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