16 それから

「カヨコさん、まだ心配してるの?」

 心ここに在らずといった表情のカヨコに、向かいに座るヨシヒサが声を掛けた。

「大丈夫だよ。もう二十歳超えてるんだよ」

「そうは言っても……」


 イサム達が家を出たのと入れ替わるようにその日の午後、ヨシヒサがゲンゾウ宅にやって来た。

 いつもは笑顔でヨシヒサの帰りを迎えるカヨコだが、どうにもイサムとユーラが気になって、その態度は上の空だった。


 イサムは何でも抱え込む癖がある。人に相談することなく、悩み苦しんで、そして最後には一人で決断してしまう。そうした息子の自立した姿を、カヨコは素直に成長を感じて嬉しく思った。しかしそれと同時に、その決断が突拍子もない方向へ進むのではと心配もしていた。

 最近は就職活動が上手くいっていないせいか、いつ電話をしても余裕がなさそうで、毎年恒例だった帰省の連絡もしてこない。今回強引に話を進めなければ、イサムは帰ってこなかっただろう。

 悩むのは大いに結構。だが、一人で抱え込まずに誰か相談相手を作ってくれると安心できるのに、とカヨコは常々思っていた。

 そこへユーラがやって来たのだ。

 最初、イサム自身が連れて来たのに、イサムは随分とユーラを警戒しているようだった。

 只、イサムがそこまで女性を意識するのも珍しく、カヨコは何かあると思い、ユーラを焚きつけて、イサムが都心部へ出掛けるのに同行させた。出会って数日、ぎこちない方が当たり前。そんな中で二人が打ち解けて戻ってきた姿を見て、カヨコは自分の判断を自賛した。

 しかしそれが間違いだったのかもしれない。

 帰ってきたイサムは、都心部で確認しただろう就職状況の話をすることもなく、突然山の向こうへ行くと言い出した。

 ユーラの存在が、イサムの突拍子のなさに拍車をかけているのではないだろうか。


 思い返すのは、一人でハルに話を聞きに行った一昨日のことだ。


「カヨコさんは本当にチヨさんに似てるわね」

 ハルにそう言われて、カヨコはきょとんとした。

「イサムくんが心配なんでしょ?」


 イサムとユーラが都心部に出掛けた日、カヨコはハルの家を訪れていた。

 最初はチヨの思い出話を聞きたくて訪れた。だが、チヨが語り部として覚えた民話や伝承に話が及ぶと、ふいと山の向こうを知りたくなった。そしてカヨコはハルに、山の向こうの話がないか、あったら自分にも聞かせて欲しいと頼んだのだ。


「そう……なんでしょうか」

 思い出話の延長として聞こうと思ったカヨコだったが、ハルに言われるとそんな気がしてくる。

「チヨさんもそうだったわ」

 ハルはそう言うと、チヨがハルに民話を聞きに来た経緯を語り始めた。

「神隠しがあったのよ」


 今から五十年ほど前、チヨがまだ十代半ばの頃のことだ。

 チヨが友人の少女と二人で山に入った時、その友人が消えてしまったのだ。

 それは秋に入り、暑さが和らいで日々過ごしやすくなってきた頃だった。チヨは少女と山菜採りに山へ出掛けた。神社から山の奥へ入り、村人達の馴染みの場所を回っては山菜を摘んでいく。そして籠の中が一杯になると、二人とも早々と帰路に就いた。

 それは山村の日常の光景であった。

 しかしその日は運悪く、チヨが木の根に足を取られて転び、右足首を挫いてしまった。

 一緒に来た少女の心配する声へ気丈に「大丈夫」と返すチヨだったが、その顔色は悪く、何とか神社の小屋まで戻るとそこで一旦休むことになった。

 しばらく様子を見るもチヨの右足は良くなるどころか、どんどんと腫れが増していくようで、十代の少女二人だけでは不安が募る一方だった。

 そして何が正しい判断なのか、わからなくなってしまったのだろう。

 いつの間にか天候が崩れ、外は霧が満ちている。

 そんな中を一向に腫れの引かない足を見て、少女は「誰か大人を呼んでくる」と言って、小屋を出て行ってしまったのだ。

 チヨはこの天候で下山できるのかと心配だったが、少女の「大丈夫だから」という言葉を信じて送り出し、待ち続けた。

 しかししばらくして天候が回復しても、誰も来ない。山が夕日に赤く染まる頃になっても誰も来ないと、チヨは少女が先に帰ってしまったのだとそう思った。怒りを抱えながら、仕方ないと自力で痛む足を引き摺って、チヨは夜になる前にゆっくりと下山した。そして村へ戻り、自分の家に帰ってくると、手当をして早めに休んだ。

 少女の両親がカヨコの家に来たのはその日の晩だった。

 娘を知らないかと問うその言葉で、カヨコは初めて少女が家に帰っていないことを知ったのだ。

 捜索は村人総出で行われた。しかし手掛かり一つ見つからなかった。その後も細々と捜索は続けられたが、年明けでそれも打ち切られた。

 山村の老人達は神隠しだと口々に言い、自分のせいだと深く沈んでいたカヨコはそれを耳にして、藁にも縋る思いでハルに民話を聞きに来たのだった。


「それで、話を聞いて母はどうしたんですか?」

「雨の日や天候が悪い日になると周りが止めるのも聞かずに、よく山に行ってたらしいわ。結局何もなかったみたい。山に呼ばれないと向こうには行けないのかしらね」


 その日、ハルの話はそれでお終いとなった。


 イサムは山から来たユーラに呼ばれたのかもしれない。それが良いことなのか、悪いことなのか、カヨコには判断が付かない。

 只、遠くなる息子の手助けができないことは確かだった。


「もう少し自分の息子を信じてあげなよ」

 苦笑しながら、ヨシヒサが言う。


 ヨシヒサは出張ばかりで、最近はあまりイサムと接していないはずだった。それなのに、その息子に対する信頼感は一体何処から生まれているのだろうか。


「まぁ、息子が親から離れていけば寂しいもんか」

「え?」

 カヨコの驚く声に、「違うの?」とヨシヒサが聞き返してくる。


 私は寂しかったのかと思うと、カヨコは不意にしっくりくる気がした。


「僕がお義父さんとお義母さんに挨拶しに来た時も大変だったし……」

「なんか呼んだか?」

 しみじみと言うヨシヒサの声が聞こえたのか、縁側で本を読んでいたゲンゾウが顔を上げた。

「ただいまー……」

 その時、玄関から聞き慣れた、帰宅を告げる声が聞こえてきた。

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