12 これからの相談
夜が更けるもここは都心部。車の音や人の話し声が外から聞こえ、まだまだ街は眠りそうもない。
居間からはユーラが観ているだろうテレビの音がする。
イサムは食堂で缶ビールを片手にピーナッツをつまみながら、本屋で購入した週刊の経済誌を眺めていた。
大学の就職セミナーで役に立つと言われて読み始めたそれは、今は半ば習慣と化している。只、毎週興味深い記事はあるのだが、肝心の就職活動の場面で活躍したことはない。
誌面を眺めながらもイサムが考えているのは、ヨシヒサとの電話の内容だった。自分の好きなようにすればいいと言われても、正直困る。就職活動で結果の出ない中、イサムは自身のこだわりを次々と捨ててきた。最早自分が何をしたいのかがわからない。就職活動すらも義務感に突き動かされただけで、自分のやりたいことではない気がしてくる。
誌面に視線を落としながら考え事を続けていると、視界の隅から手が伸びてきてピーナッツをかっさらっていく。
「観てないならテレビ消せば?」
顔を雑誌へ落としたままのイサムの言葉に、手の持ち主はこの場から離れた。そして居間のテレビの音が消えると戻ってきて、イサムの対面の椅子を引き、そこに座った。
「日本語を喋れるのも知識共有のおかげ?」
『そうよ』
イサムが雑誌から顔を上げれば、正面に座るユーラが目に入る。
ユーラはテーブルに片肘をついて頭を支えながら、イサムを見据えていた。その目はとろんとしていて、眠そうに見える。先ほど着替えたTシャツのよれた襟からは白い鎖骨が覗いていた。
ユーラの無防備な姿に、イサムはふと電話でのカヨコの言葉を思い出し、顔に熱を感じた。その熱を払おうと、自分の顔を手で一度撫で付ける。
答えのわかりきった話を振ったのは、それを枕に昼間の続きをするためだ。意識的にカヨコの言葉や就職活動のことを遠くにやると、イサムはユーラと目を合わせて、棚上げになっている今後の話を切り出した。
「これから、どうすればいいんだろう」
イサムがそう言うと、ユーラは意外そうな顔をした。
それもそうだろう。これまでは只、思い浮かぶ疑問をユーラへひたすら尋ねていた。ここへ至って初めてイサムはユーラの意見を求めて、相談を持ち掛けたのだ。
『あなたはどうしたいの?』
ユーラは肘を戻し、テーブルの上で手を組むと、そう返してくる。
「顔のこれが消えれば、後はどうにでもなるんだけど。……無理なんだよね?」
『忘れてるかもしれないけど、多分私の分のしるしも体にあるはずよ』
「この際、目立たないならそれはいい。銭湯やプールにはあんまり行かないし」
イサムはユーラと二人で状況を整理していく。
現状、イサムの顔のしるしは自然には消えない。皮膚移植をすれば現代医学の力で消えるかもしれないが、それはあくまで可能性だ。
また魔力糸で繋がっているため、ユーラと離れることはできないらしい。そうなると今後は一緒に生活することになるのだろうか。
「その、魔力糸とかいうのが外れないなら、どれくらい離れられるか確かめないと。わからないと、これから不便だし……」
イサムは自身の言葉に、ユーラとの共同生活を想像して緊張を覚えた。けれどユーラは気にした様子を見せず、軽く頷いてくる。それを見ると自分だけが意識しているようで馬鹿らしく、落ち着こうと話し合いに集中した。
「あれ?」
そうして再び状況把握に努める中、ふと頭に浮かんだ疑問に声が出た。
『どうしたの?』
「あのさ、この、蛇って何処にいるの?」
ユーラが目を見開いて、動きを止める。
二人の間には今日、何度目かとなる沈黙が流れた。
魔力糸のことを考えていれば、イサムが蛇のことに思い至るのは必然だった。そしてユーラと出会う前の小屋での出来事以来、その蛇を見掛けた覚えがない。そもそもユーラは例の蛇を見たことがなかったので、意識になかったのだろう。ユーラの話の通りならば、蛇は近くにいるはずだった。
『探してみる』
ユーラがそう一言口にして、目を瞑った。
行動から判断するに、ユーラは周辺の魔力の気配を知覚することができるらしい。先ほどの眠そうな様子を見ていると単に寝ているようにも思えたが、その表情が難しげに変化することから、集中していることがイサムにもわかった。
「それも魔術なの?」
『いえ、感覚的なものね。強い魔力に触れる機会が多いと、自然にできるようになるのよ』
目を瞑ったまま、ユーラは答える。
それ以後、二人はしばらく言葉を発することを止めた。
その間、ユーラの表情は険しさを増していくばかりだった。
『……駄目。見つからない』
時間にして三分ほどか、目を開けたユーラが沈黙を破る。
『魔力糸で繋がってるんだから、こっちを襲ってきたりとかはないはずだけど……』
「手掛かりとか、そういうのは?」
イサムの言葉に、ユーラは無言で首を振った。
子供の頃からこの街で過ごしてきて、街中で蛇を見掛けたことなんてなかった。そんな話を耳にしたこともなく、もし近所で蛇が見つかればちょっとした騒ぎになるはずだ。ユーラが見つけられず、騒ぎも起こらないのならば探しようがない。一先ず蛇の件は棚上げにするしかなかった。
「……まぁ、それならしょうがない」
消化不良を感じつつ、イサムは言葉を続ける。
「あと、他にも聞きたいことがあるんだけど」
『うん?』
「魔術を使ってる自覚なんてないんだけど、これって普通なの? それにユーラはなんかこっちのこといろいろ知ってるけど、俺は言葉ぐらいしかわかんないんだけど……」
魔術行使のきっかけは、蛇に噛まれたことなんだろう。しかしイサムは蛇やユーラに対して、自ら魔術を行使した覚えが当然ない。またその魔術の特質だとされる知識の共有だが、明らかにユーラが恩恵に預かるそれとイサムとで差があった。これらは一体どういうことなのか、イサムは疑問に思えて仕方がなかった。
『……それは、ちょっと』
「ユーラ?」
『ごめんなさい。そういうこともあるのかも、としか言えない』
イサムが顔に困惑を浮かべれば、ユーラもまた困った様子を見せてくる。
『誤解しないで。誤魔化してるわけじゃないの。昼にも少し話したけど、魔術師は大体が自分の魔術に関心はあっても、魔術自体に興味があるわけじゃないのよ。それぞれが自慢話に経験を語ったりするけど、それらをまとめて理論立てたり、検証したりなんて普通しないの。魔術の前提の、魔力糸の話がまとまってるのが例外なのよ。だから私も、知らないことや自分が経験してないことを説明はできないの』
どうして異界の魔術の事情から、現代の体系化された知識、学問のありがたみを感じなければならないんだろう。そんなことを思いつつ、結局わからないことだらけの状況にイサムは頭を悩ませた。けれどばつが悪そうな顔をしたユーラが、それでも何かしら説明しようとする姿に、もう責めようという気は起こらなかった。そして仮に蛇が傍にいたり、自分に知識共有が上手く働いていたりしても、状況に大した差はなかっただろうと、そう思うことで気持ちに折り合いをつけようとした。
『でも、しるしを消すのは私には無理だけど、他に、方法はあるかもしれない』
只、そんなイサムの気持ちとは関係なしに、ユーラは言葉を続けてきた。
初めて前向きな言葉を聞いて、イサムの顔には思わず喜色が浮かぶ。だが一方で、ユーラの顔は険しい表情を崩さない。それを目にして可能性が低いのだろうと察すると、イサムはユーラの次の言葉を待った。
『さっき、普通は理論立てたり、検証したりはしないって言ったけど、体系化しようとする動きはあるの。
私の住んでるプレダは開拓地で、そこには魔術師が沢山集まってる。魔術師は領民に課せられた開拓義務を引き受けて、森の中で動物や強い魔力を持った生き物の魔物の狩りをしてるの。それで狩りには当然危険が付きものだから、集まった魔術師は安全や技術向上のためにお互いの技を教え合う』
「その中には、これに通じた人がいるかもしれないってこと?」
イサムがしるしに触れながら言葉を返せば、ユーラは頷いた。
『魔術師は数が少ないとは言うけどプレダには集まってるし、可能性はあるわ』
「どれくらい可能性が高いかだなぁ」
『まぁ、それも向こうの世界に戻れることができたらの話だけど……』
「ああ、それは大丈夫なんだ」
疑問を顔に浮かべるユーラに、イサムは昨日のハルから聞いた話を伝えていく。
当初はユーラだけを山の向こうへ送り返せば済むと思っていた。しかしイサム自身の状況も踏まえれば、もうそれで終わりとはならないだろう。
そうして二人は改めて今度の予定を考え始めた。
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