11 実家

 夏は日が長い。そんな当たり前のことを、イサムはすっかり失念していた。


 目の前の問題から逃げるように、イサムは一旦日常へ回帰するために公園からの帰路の途中で本屋、ビデオ屋へ寄り道した。そしてその後、暗くならない内に帰ろうとバス停に向かったのだが、その時には既にバスの運行は終わっていた。

 日の長さを忘れてバスを逃したことに頭を抱えながら、イサムは今後の予定を立てた。夜道を徒歩で、山村まで帰ることは無理だろう。そうなると母が留守にしている住まい、自分の実家にユーラと共に泊まるしかなかった。


 家の中に入ると、懐かしい生活臭がした。


 実家はマンションの一室。四階建ての三階に位置をしており、間取りは三DKとなっている。帰省初日、駅から直接ゲンゾウの家へ向かったので、実家に戻るのは一年半振りのことだった。イサムが最後に過ごした時と家の様子に大した変化はなかったが、自室だった部屋は物置と化していた。


『ふーん』

 うろちょろと家の中を見て回るユーラの声がする。


 そんなユーラの姿を視界に入れては何か壊さないかと心配しつつ、イサムはカヨコに今日は戻れないこと、実家に泊まることを電話で連絡した。

 用件は簡単に済んだのだが、会話の終わりに「女の子と二人なんて、まだ学生なんだから間違い起こさないでよ」と、事情を知らないカヨコの的外れな心配をされる。その声に、イサムは思わず気の抜けた返事をして電話を終えた。


『夕食はどうするの?』

 電話が終わるや否や、家の散策を終えたユーラが声を掛けてくる。


 のん気に思えるユーラの様子に、本当に今後に不安を感じているのか疑問を覚えてしまう。

 しかし空腹を感じていたのはイサムも同じだ。

 一人暮らしをしていたイサムだが、食事は外食や中食中心で自炊に対する意欲は低い。冷蔵庫の中を確認することなく、「外に食べに行こう」とユーラに告げると、二人して家を出た。



 向かったのは、近所にある街の中華料理屋だ。その店はイサムが幼い頃から家族で通う店で、上京してからも帰省の度に必ず一度は食べに来る店だった。


「いらっしゃいませ~」


 親しみやすい店主の奥さんの声に迎えられ、イサムはユーラと二人で空いているテーブル席に腰を下ろした。

 店内は冷房が効いていて涼しい。

 道中にかいた汗が冷えていき、冷房に慣れていないユーラが小さくくしゃみをした。


「久しぶりねぇ。えらい綺麗な方だけど、彼女さん?」

「コンニチワ」


 水を運んできた奥さんに、ユーラが笑顔で挨拶をする。

 イサムは、知り合いですと苦笑いで奥さんに応じつつ、物怖じしないユーラに内心感心した。


「ツカサはちょうど配達に出てるのよ。戻ってきたら、声掛けさせるから」

「ああ、いいです。大丈夫です」

「おい、注文!」

「あ、はーい」

 店主の声に、奥さんは慌てて別のテーブルへ向かった。


 日本人の老夫婦が経営するこの店は小ぢんまりとしている。地元で長く、不景気なご時世でも客入りはまずまずのようで、奥さんは別の客の注文を受けた後はテーブルを拭いたり、料理を運んだりと忙しそうに動き回っている。


 奥さんが口にした、ツカサこと野地ツカサはこの店を経営する老夫婦の孫で、イサムの小、中学生時代の同級生だ。イサムの友人の中でも数少ない異性で、この店に通っていた縁でお互いの家族ぐるみで親しくなった間柄だ。だがそれもイサムが上京し、さらにここしばらく帰省していなかったことですっかり疎遠になっている。

 ツカサとはお互い連絡先を交換しているが、用件もなく連絡するようなことは今までない。店や道端で会えば話し込むことはあるけれど、周りが思っているほどに特別親しいわけではなかった。けれど幼い頃からの付き合いが薄くはなれど、今に至るまで切れていないと考えれば、やはりそれは特別であるのかもしれない。イサムが地元のことを考えた時、頭に思い浮かぶ中にはツカサがいて、それは今日この店を訪れる動機の一つにもなっていた。


 ツカサは就職をどうするのだろうか。この店を手伝っているのは既に内定が決まって余裕があるのか、それともこの店を継ぐのか。店内を動き回る奥さんを目で追いながら考えていると、イサムは先ほどまで現実離れした会話で頭を悩ませていたのに、今は同い年の友人の就職事情を気にする自分に気が付いて、その落差に自然と苦い笑みを浮かべた。


 ユーラはそんなイサムの様子を気にも留めず、テーブルに備えてあったメニュー表を真剣な表情で手に取り、見詰めていた。

 再び奥さんがテーブルへ注文を取りにやって来ると、イサムとユーラは慌ただしい店の空気に押されるように注文を決める。

 イサムはラーメン、ライスに餃子一人前。ユーラは昨晩の夕食と同じエビチリにライスを頼んだ。


 イサムはユーラの注文に、外へ食べに来たのだから昨晩とは別のものを食べればいいのにと思いつつ、一品料理の値段をメニュー表で確認して、全く金の心配をしないユーラを羨ましく、また恨めしく思った。だがいざ料理が席に運ばれてきてユーラが食べ始めると、その様子があまりにも美味しそうに見えるので、イサムはぐだぐだと考えているのが馬鹿らしくなって、自分も料理を食べることに集中した。


 三十分ほどで二人は食事を食べ終えたが、その頃になってもツカサが配達から戻って来ることはなかった。

 イサムは少し後ろ髪引かれる思いを感じながら、店主に挨拶をすると長居をせず店を後にした。


 一時は食事どころではない心地のイサムだったが、ユーラの食事をする姿に触発されて料理に集中したためか、店を出る時にはすっかり満腹になっていた。


 二人はうだる暑さの中、汗をにじませて帰り道を歩く。


 馴染みのものには特別な美味しさがあるのか、ユーラも満足しているようなので、単純に美味しかったのかもしれない。美味しいもので満腹になると、それだけで満ち足りた気持ちになる。イサムは心に余裕ができると、未来も何とかなりそうな気がした。



 家に着く頃には、二人とも全身から汗の臭いをさせていた。


 イサムは替えの衣類の準備をすると、ユーラを先に浴室へ行かせた。そしてユーラが汗を流している間、テレビでも観ようと居間へ入る。

 ちょうどその時、居間の電話が鳴った。

 こんな夜に誰だろうかと電話を取れば、それはイサムの父、ヨシヒサからのものだった。


「カヨコさんは、もうお義父さんのところ行ってるんだっけ。どうだいイサム、就職の方は?」


 ヨシヒサはカヨコと違い、イサムへ滅多に電話を掛けてくることはない。仕事が忙しいのか、放任主義なのか。カヨコが月に一度以上は電話をしてくるので、釣り合いは取れていた。

 たまに掛かってくる電話の内容は体調管理の話題が中心で、将来の話をすることはまずなかった。だからなのか、こうしてヨシヒサが就職活動を話題としてくることに、イサムは少なからず衝撃を受け、父に心配を掛けているのかと申し訳なさを感じた。


「別に心配してるわけじゃないんだけどね。いやー、話をする取引先、皆不景気で苦しいって言っててね」

「……やっぱり厳しいよ。最近周りが内定貰ってるから、ちょっと焦ってきてる」


 穏やかでいて力強さも感じるヨシヒサの声は、聞いていて安心感を与えてくる。イサムの口から、素直に弱音が出てしまうのは相手が父親だからというだけはないだろう。


「大変だと思うけど、自分の好きなようにすればいいよ。新卒入社が全てじゃないし。まぁ何より僕の人生じゃないしね」

 ははは、とヨシヒサは軽く笑った。


 その後は二、三言葉を交わし、最後に「明後日ぐらいに帰れると思うから」とヨシヒサが言って、電話は切れた。


 電話を終えたと同時ぐらいに、ユーラが早々と風呂を終えて居間へ戻って来た。それを確認すると、イサムは早く自分も汗を流さんと浴室へ向かった。

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