10 無用の長物
イサムの胸中は複雑だった。
昨日、ユーラに痕が消えないと言われてから、イサムは覚悟をしていたつもりだった。しかしそれが魔術によるもので病気や怪我とは違い、現代医学では治療できないと改めて言われると、相応の衝撃がある。
イサム自身が既に魔術を使っているという言葉には、なかなか理解が及ばなかった。だが自分が数少ない魔術師で、さらに滅多にいない種類の魔術師だと言われると、特別な存在だと思えて自尊心が満たされてしまう。思えば就職活動を始めてから、イサムは集団面接などで人の話を聞く度に、凡庸な自分を思い知らされてきた。何もしてこなかった自分への後悔ばかりを重ねていた。久しく自分自身を認めるということから離れていた気がする。
けれどここで思考を冷静に現実へ戻せば、魔術が使えるからといって今の自分、目下の問題である就職活動に、それが役に立ちそうもないことは想像に難くない。もし活かせるとしたら動物園や水族館の飼育員かと想像するが、動物を従属させる度にしるしと称する腫れ痕を作れば、感染症を疑われ病院直行、退職の流れだろう。動物を操る芸人にでもなって、自分の身一つで切り開かなければいけないかもしれない。
これからを思うと、先行き不透明な不安ばかりが沸き起こる。だがそれでいて尚、魔術師という言葉の響きにイサムの心は踊ってしまった。幼い頃から親しんだ漫画やアニメ、ゲーム。その中の登場人物に憧れたことは一度だけではない。それが今こうして自分の手の中にあると思うと、妙な感動があった。
『話はまだ途中なんだけど』
今一度、この力で何ができるかを考え込もうとしていると、ユーラの強い声と睨むような視線が飛んできた。
イサムが慌てて意識を戻し、ベンチを振り返ってユーラの顔を窺えば、ユーラはすっかり呆れているようだった。
「それで話の続きは?」
イサムは気恥ずかしさから取り繕うように、話の続きを促した。
その言葉に、ユーラは再び説明を再開する。
けれどその口調はイサムの落ち着きを装う声とは裏腹に、先ほどの説明と違って少し暗く感じられた。
『あなたの身体に何が起きてるか、それは私にも正確にはわからない。けど魔術師として、大体の見立てぐらいはできるわ。
それで私が調べた感じだと、あなたの魔力の量はわずかでしかない。噛まれたのか、何かの衝撃か、しるしは魔力糸が蛇と繋がっていることを示してる。その、あなたの魔力量ではそれを維持するのが精一杯で、別の魔力糸を出すことは無理だと思う。只、その顔にあるしるし自体からは強い魔力を感じるから、それなりのものと繋がってるはずよ』
何だか歯切れが悪い気がする。ユーラの口調が暗いのも相まって、イサムの浮かれていた気分が次第に落ち着いていく。
「……その、蛇は何ができるの?」
イサムの脳裏に、山で見た蛇の姿が浮かんだ。
一瞬のことでおぼろげな姿しか思い出せないそれは、何の特徴も持ち合わせていない印象の薄いものだった。
『私よりあなたの方が知っているはずなんだけど』
「うん……?」
『魔力糸による特質、知識共有のはずだから』
ユーラの言葉を聞いてもよくわからない。イサムが顔に浮かべた困惑を消さずにいれば、ユーラはむっとした表情を見せた。
『……あなたの魔力糸は、そもそも魔力の量が少ないせいか、本当に糸みたいで細くて力がないのよ。それで繋いだ相手をどうこうできるわけないでしょ。
だけどあなたの魔術、魔力糸はそれを伝って、お互いの知識が共有できてるの。変な特質だったら、こんな魔力糸じゃ無駄に魔力を消費するだけだし、きっと無意識に最適解を選んだのね』
淡々と続けられるユーラの説明は、どちらかといえば肯定的なものかもしれない。それでもイサムは地面へ叩き付けられたような気分になった。
「蛇が持つ知識を共有できて、それが最適?」
想像や期待を裏切られて、イサムの発する声は嫌味な響きを持った。
「……こんなの、無駄でしかない。魔力糸を外せばこれも消えるんだろ。どうすればいいんだよ」
顔のしるしを触りつつ、イサムは溜息交じりに言葉を続ける。
『できない』
「え?」
『それはできないって言ったのよ』
イサムの聞き返す声を押し潰すかのように、ユーラの声は大きくなった。
一瞬、二人の間に沈黙が流れる。
黙ったまま、ユーラは座っていたベンチから立ち上がった。
『しるしが身体に刻まれると、もうそれはあなただけの魔術じゃなくなるの。
お互いの魔力が複雑に行き交って、どういうわけか解除できなくなる。一度結んだ以上は、それは契約のようにお互いを縛り続ける』
「なんだそれ。聞いてない!」
『今まであなたが、話を聞こうとしなかったからじゃない』
声を荒げるイサムに、ユーラが反駁してくる。
「そもそもお前も知らないんだろ! さっきそう言ったじゃないか。それなのにこっちが言うことをできない、できないって、おかしいだろ!」
『……私だって試したの』
「は?」
『あなたと繋がってるのは蛇だけじゃない。私も、魔力糸で繋がれてるのよ。離れられるかなんて、自分で試すに決まってるじゃない……』
ユーラの声に静かな怒りを感じて、イサムはたじろいだ。
その様子を見てだろう、ユーラは気まずそうに顔を逸らした。
『山で倒れた時、私はもう魔力がほとんどなかった。さっきも話したけど襲われて、体に本来残しておかなきゃいけない分まで逃げるのに使ったの。結果、逃げることはできたけど魔力が足りなくなって倒れた。山に入れば何か食べて回復できると思ってたんだけど、あの山には魔力を持った生き物が全然いなくて、それもできなかった。
逃げながら人のいる痕跡を見つけて、それから体の限界で倒れて、気が付いたら小屋にいた。そこであなたと会ったの。魔力の気配を感じて無意識に伸ばした魔力糸が繋がって、それで今はあなたから魔力が供給されている』
イサムの方へ顔を向けず、遠くを見ながら語り続けるユーラ。
この目の前の女性と繋がっている。そう言われても、イサムには意識しようがなかった。
『ゲンゾウさんの家に行って、カヨコさんに会って、そこでようやく落ち着いて自分の状況が把握できた。あなたから流れてくる知識で、ここが別の世界だってこともすぐに気付けた。
だけどそれでも、こんなこと起きるなんて思うわけないじゃない! 異界があるとは知ってたけど、そこに飛ばされるなんて誰が想像するのよ!』
声を荒げるユーラに、イサムは何も言うことができなかった。
『私だって不安なのよ、これからのことを考えると……。それなのに、あなたは話を聞こうともしない。聞く耳を持ったと思えば、自分の質問をするだけして文句を言う。一体何様のつもりよ』
ユーラの顔が喋りながらイサムを捉え、その言葉と視線がイサムの胸に突き刺さる。
返す言葉もなく、イサムは黙って自分を恥じた。先ほどの自身の態度を振り返れば、あまりの幼稚さに顔が赤くなった。
それからしばらくの間、二人は黙ったままだった。
そして無言の時間にじれったさを覚えるほどの間を空けてから、ユーラは再び口を開いた。
『お互い、少し熱くなってるみたいだから、ちょっと時間を置きましょう』
ユーラの提案に一言、イサムが「ああ」と最後に答えて会話は終わる。
最後まで、イサムは自分の至らなさを見せ付けられた。
随分と話し込んでいたようで、辺りは夕闇に赤く染まっていた。
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