9 魔術

 缶飲料を飲み干すと、イサムはユーラの方へ顔を向けた。

 ユーラは味わうように少しずつ飲みながら、その視線を手元の缶に落としている。


 改めて見るユーラの姿は外国人の美醜はわからずとも、非常に整っていることがわかる。髪の間から小さく覗く尖った耳が特徴的で可愛らしい。イサムは我ながらどうして、今まで無関心でいられたのかと疑問に思った。

 ユーラと話をする機会はこれまでそれなりにあった。にもかかわらず名前だけしかわからないのは、イサムが今まで逃げ回っていた故の結果だ。

 相手のことを知らず、現状を把握できていないという自身で招いた事態の遅れを、自分の都合で挽回しなければならない。それを思うと、イサムは羞恥に気が重くなった。しかしこの状態で動かずにいて、物事が前に進むなんてことは絶対にありえない。


「俺の名前は浅間イサム。年齢は今年で二十二になる。今は大学生だ」


 イサムが口を開くと、ユーラは顔を上げた。そのままイサムへ視線を向けてくるが、そこに浮かぶのは突然のイサムの自分語りに対する困惑のようにも思えた。


「……三月に大学を卒業して、就職する予定だ。就職先はまだ決まっていない。就職先を探すのに顔のこれが邪魔になる。だから、何か知っているなら力を貸して欲しい」

 顔が赤く、熱くなるのを感じたが、イサムはそれを無視して言葉を続けた。

「まずはユーラのことを教えて欲しい。どこの出身とか、どうしてここにいるのかとか」


 イサムが言いたいことを言い終えると、辺りには沈黙が流れた。


 露骨な態度の変化に、呆れられているのかもしれない。そう思うも、イサムがユーラへ向けた視線を逸らさずにいれば、ユーラはすぐに真面目な表情で軽く頷き、口を開いた。


『前にも一度名乗ったけど、ユーラ・ベイロンよ。出身は、まぁ、プレダの開拓地ね。年齢はあなたと同じ二十二歳。普段は開拓村で魔術師として村の防衛をしてるわ』

「魔術師……」

 イサムは聞く姿勢を保ちながらも、異様な単語の登場に思わずオウムのように繰り返した。

『村は森の中にあるから、時々魔物やら変なのが出るのよ。それで人があまり来ないところなんだけど、祖父から手紙が来て。ああ、祖父は別のところに住んでるの。手紙で呼び出されて……』

 思い返しながら喋るユーラは遠い目をした。

『街に出てから手紙の指示で馬車に乗って、それから移動してたら襲われて、気が付けばここにいたのよ』


 ユーラの話は現実の話のはずなのにまるで漫画やゲームのようで、イサムは頭がくらくらとしてきた。

 魔術や魔物、馬車など話に出てくる単語を拾えば、頭に浮かぶ世界は中世ヨーロッパを舞台にしたファンタジーだ。


 物語のような別の世界からこちらにやってきたユーラ。

 ハルの話は本当だったのだ。


 このユーラの話だけを聞いて、素直に信じる人間などいるわけがない。しかしイサムにはハルから聞いた話に、自身で経験した山での出来事があった。

 現実から離れた話を聞き流そうとする悪癖を押さえ付け、イサムは話の中身に踏み込んでいく。


「魔術っていうのは何? 日本語が喋れるのもそのおかげ?」


 イサムの問いに、ユーラは今日何度目かとなる怪訝そうな表情を見せた。


『何って、あなたも使ってるのに』

「は?」

『顔のそれ、魔術によるものよ』


 言葉の意味がよくわからず、イサムが何も言えずにいると、隣からは溜息が聞こえてくる。


『魔術っていうのは、神様によって決められてるものに人の意志で干渉する理よ。

 あらゆるものに魔力は含まれていて、それは私達の体も同じ。魔術はその自分の体にある魔力を使って、他のものに干渉する。

 魔力は安定していて普通の状態じゃ何も起きないんだけど、人の意志でその安定を崩して、方向性を与えるの。すると干渉したものを燃やしたり、冷やしたり。膨らませたり、潰したりできるようになる』

「……それだけ聞くと、何でもできるように思えるんだけど。それでその、魔術はどうやって使うのさ?」

『方法は言葉にすると簡単なんだけど、自分の体の魔力を干渉する相手の魔力に繋げるだけ。

 目には見えない、感覚的にわかる糸みたいなものを飛ばして繋ぐの。

 魔力糸って呼んでるんだけど、その糸の本数、長さ、それにどれくらい変化を与えられるか、そこに人それぞれで差があって、優れた人が魔術師と呼ばれるのよ。

 自惚れてるわけじゃないけど、私は開拓地で一番だと言われてるわ』


 誇らしげにそう語るユーラを尻目に、イサムは話半分に聞いておこうと心に留めた。

 話を聞きたいと言ったのはイサムからだ。だが行き倒れていたのを知っていれば、魔術とやらの程度は高が知れていた。


「それで、これが魔術って言うのは?」

 とにかく現状の確認を最優先に、イサムは自身の腫れ痕を示して質問を重ねる。

『魔術を行使できるものっていうのは、何も外のものに限られるわけじゃない。自分の体に魔力糸を張り巡らせれば、身体能力を上げることもできるの。

 自分の体に繋げられるんだがら、魔力糸が繋げられるのは物に限った話というわけでもない。他の生き物に魔力糸を繋ぎ、特質を付与して、それを従属させたり、人だったら奴隷のようにできたりするらしいわ』

「らしい?」

 ユーラの説明の中で初めて不確かなものが混ざり、イサムは素直に疑問の声を挟んだ。

『もうそんな魔術を使える人がいないのよ。大体、他の話も使い手の経験をまとめたものでしかないし』


 どうやら魔術は実践的なものであって、学問的に方法論が確立し、体系化されたものではないようだ。ともすれば今までの説明も何かが発見されれば容易に覆されるかもしれない、あやふやなものでしかないということだ。


「……なんだかなぁ」

『生き物に魔力糸を繋ぐ魔術の使い手がいなくなった理由に、魔術自体の特性があるの。

 体の外か内か、魔力糸の使い方はどっちかしかできないのよ。感覚に差異があるらしいんだけど、魔力糸を結局使うから区別が付きづらいって話。昔から何人も両方できないか挑戦してるけど、成功したなんて人は今までいない』

「話が見えてこないんだけど……」

 一向に腫れ痕の話にならず、イサムが不満を口にすれば、ユーラはもう少しだと言わんばかりに手で制してくる。

『そもそも魔術を意識して使える人は少ない。皆、魔力は持ってるけど安定してるから、量が多くないと意識できないの。

 魔力は体の外に出すと不安定な形で、時間が経つと霧散する。だからかなりの魔力量がないと、外に出した魔力糸はものに触れる前に消えてしまう。

 逆を言うと体の内に伸ばす分には霧散しないし、効果も高い。身体を鍛えてる人で自然とそれをやってる人もいて、そうなると普通に身体を動かしている感覚に紛れちゃって、意識して魔力を使うのが難しくなる。実はほとんどの人がこれで、魔力が多い人でも魔術師にはなれないらしいわ』

「……なんだか魔術師の私すげーって自慢、ずっと聞かされてる気がするんだけど」


 質問を始めたのは自分自身だが、下地のない知識の詰め込みにイサムは段々と疲労が溜まる。


『……あなた、前から薄々思ってたけど性格悪いって言われない?』

「良くも悪くも、素直な奴だって皆は言うね」


 ユーラの顔に浮かぶのが得意げなものから一転して、呆れたものへとなった。


 軽口が契機となって、二人は会話に一息入れる。

 ユーラは手持ちの缶に口を付け、イサムも真似するように自分の缶を傾けて、空だったことを思い出してすぐに戻した。

 缶飲料を飲み終えて、ユーラが視線を向けてくる。イサムがそれに頷くと、会話はすぐに再開された。


『とにかく、皆身体を強くするのに魔力を使ったりで魔術師の数はそもそも少ない。それで、生き物に魔術を行使する人がいなくなった理由なんだけど。

 物と違って、生き物は自分の意思を持つじゃない。その意思を無視して、魔術師の思うように動かすなんて簡単にはいかない。物であれば行使する時だけ繋ぐ魔力糸を、ずっと繋ぎ続けなきゃいけないの。手綱にするのね。

 力が強い生き物ほど魔力糸を繋ぐ時間も本数も多く必要で、人なんか繋ごうとしたら、他に何もできないくらいずっと繋いでなきゃいけないの』

「へー……」

 再開されて早速始まる長い説明に、イサムは相槌程度でしか言葉を返せない。

『……それで、ずっと魔力糸を繋いでると他の魔術ではなかったことが起きるらしいの。

 何でも繋がれた先の生き物の魔力が逆流して、繋いでる魔術師の身体にも影響を与える。その生き物の魔力によって、その生き物を象ったしるしが身体に刻まれるとか……』


 今までの説明を全て前置きにして、唐突に本題が放り込まれる。


「しるしって……」

『そう、それよ』


 イサムは顔の腫れ痕に手で触れながら、ユーラの目を見た。

 ユーラはイサムの視線に狼狽えることなく、静かにそれを肯定してくる。

 腫れ痕に触れた手が強張るのを感じて、イサムは深く息を吸うと静かに立ち上がった。座っていたベンチを背に数歩前に進むと、視界には依然として人のいない公園の芝生が広がる。

 芝生の緑が日の光に映えて美しい。腕を組んだイサムは、それをじっと見詰めた。

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