03



 意外な事に二十世紀風の銭湯に似た浴場がハヤテの指示によって建てられていた。


 ギリシャ風の宮殿とは別の場所に建っていた金閣寺風の家屋があって、そこでハヤテがたまに生活していて、ハヤテのために用意された風呂だということであった。


 ハヤテ・バーレンシュタインと名乗っていたものの、見た目はまんま日本人であったし、本名はありきたりな日本人の名前だったのかもしれないなんて思ったりした。


 だから、日本恋しさでこんな家を建てたりしたのではないだろうか。


「……私はどうすれば?」


 その家に案内するように、ハヤテに土下座していた少女に頼むと、喜んで受け入れてくれた。


 さすがに肌が透けてしまう衣服ではと思って、ここの市民が着ている服を人数分用意させて、皆に着てもらった。


 ハヤテの方針で、身分が高い者ほど良い服を着られて、一般市民は品質の低い木綿で作られたワンピースに似た原始人が着ていそうなものであった。


 そういったワンピースのような者をその少女にも着てもらった。


 けれども、身分の低い市民は下着をつけることさえ禁じられており、その制度に未だに縛られているかのように下着などははいていないとの事だった。


「後は自由にしていいさ」


 俺がそう言うと、若干戸惑いの色を見せた。


「えっと、それは私が不要という意味ですか?」


「え?」


 自由と不要、どこがどう繋がってそうなるのであろうか?


「何か価値観の相違があるようだ。君が不要と感じた理由を素直に教えてはくれないか?」


「今日は夜とぎの相手として私を選んだのですよね? けれども、ここまで来て、私では不満だと思った、と」


「はいはい、そういう事か、なるほど、なるほど」


 ハヤテはあれだけの少女を宮殿にはべらせていたのだ。


 女をとっかえひっかえしていても不思議ではない。


「私は召されてまだ数日しか経っていませんので、お役目を果たしてはいません。……けれども、初めての女にはむごいことをするのだと耳にしており、私は恐怖していましたが……」


「そういう嗜虐的なものは趣味じゃない」


 転生十二戦士の他の奴が『リョナ』と呼ぶほどの奴だ。


 むごいというのは、言葉通りの行為なのだろう。


 あまり想像はしたくはないが……。


「俺はそういうのを求めてはいないし、まあ、中にいて、誰かが来たら対応してもらうだけでいいか」


 たぶん俺を訪ねてくる奴などはいないだろう。


「分かりました」


 俺は金閣寺のような家に入ろうとして、ふと立ち止まった。


「……名前は?」


「私……ですか?」


「うん」


「ハーブ・ターネット。くのいちとして育てられていた忍びの一族の娘です」


「くのいち?! この世界にもいるのか。忍術とか使えるのか?!」


 勢い込んでそう言うと、ハーブは些か困ったように笑った。


「……にんじゅつ、とは何ですか?」


「不思議な術とかその辺りが使えるのかな、と思ってね」


 そういえば、この世界には魔法があるのだった。


 不思議な術の一つや二つ使えてもおかしくはないだろう。


「術の範疇になるのか分かりませんけれども、魔法をはじき返すくらいしかできません。それ以外だと諜報活動くらいなものです」


「魔法ははじき返せるのか、今度教えて欲しいものだな」


「私などよりももっと適任はいると思いますけど……」


 くのいちという事もあって、表舞台に上がるのは好きではないのかな。


「ま、気が向いたときでいいから」


 家に入ろうかと思って歩き出そうとするも、ふと気になった事があって、足を元に戻した。


「……でも、忍びなのにどうして、ハヤテなんかに?」


「私の家は表向きは商人ですが、裏の稼業として忍びをやっていただけです。ですが、最近、仕える者がいなくなってしまったので、忍びではなく、ただの商人になってしまいましたが」


 ハーブは自虐的に微笑んだ。


 いなくなったという事は、どこかの王国か何かが滅びてしまったという事なのだろう。


「なら、俺にでも仕えてみるか? お給金とかは出せないかもしれないがな」


「わ、私などでよろしいのですか?」


 驚きの表情を見せながらも、ハーブは幸せそうな微笑をその口元に刻んだ。


「すぐにとは言わない。考えておいてくれ」


 何故アーリの事を出てくるのか分からなかったが、俺はそれだけ言って、風呂場へと向かった。


 脱衣所も銭湯を模したもので、カゴ、扇風機、マッサージチェアまで置いてあり風情がある。


 俺は服を脱いで礼儀正しく籠の中に入れ、脱衣所とお風呂場とかわけ隔てている引き戸を開けてお風呂場へと進んだ。


 そして、風呂場は二十世紀風の銭湯そのものだった。


 タイル張りの浴室、そして、富士山の絵が描かれていて、私設のお風呂ではなくて、本当に銭湯に来た気分になる。


 ジェットバスと普通のお風呂の二つが設置されていて、温度は熱すぎず冷たすぎずといったところだ。


 水道なども整備されているのか、蛇口がいくつも設置されており、蛇口をひねると水だけではなくお湯も出てくる。


『ケロピョン』という文字まで書かれた桶が置いてあり、桶を一つ持ってきて、蛇口の前にお風呂椅子を置いて腰掛けるなり、お湯を注いだ。


 ここは異世界ではなく、二十世紀の日本ではないだろうか?


 俺は夢を見ていて、異世界も何もかもが夢なのではないだろうかとふと考えてしまった。


「そんなワケはないか」


 俺はお湯をかぶると、汗が流れたせいか、身体が軽くなったように思えた。


 俺はもう一回お湯をかぶり、お風呂に入ろうと立ち上がったときだった。


 お風呂場の扉が力一杯開けられたのか、けたたましい音がした。


 なんだ?


 そう思って出入り口の方を見ると、一糸まとわぬアーリがずかずかとお風呂場に入ってくるところだった。


 この異世界では混浴の風習なのだろうか?


 恥ずかしげもなく裸で乱入してくるとは……。


「お前、あの女に『仕えるか?』と訊いたのか?」


 アーリが俺の目の前に立ち、じろりと睥睨して、俺の事を責めるように言ってきた。


「あ、ああ……」


 魔王とはいえ少女のアーリの裸体はどこか幻想的だった。


 しかも、恥じらう様子もなく晒してはいるせいなのだが、どういうワケか、今はアーリの目を直視できなくてつい目をそらしてしまう。


 そうするとどうしてだろうか。


 アーリの魔王とは思えない華奢な身体が視界に入ってしまうのだ。


 胸はあるかないかと言われれば、かの大賢者ワーキュレイ・シュトラバスよりかはある。


 小ぶりではあるものの、さすがは少女である。


 さくらんぼのようなものがその小ぶりなものの上に盛られていた。


「何故お前は私に『仕えるか?』と訊かなかったのだ? 隷属させた相手は奴隷か何かとでも思ったのか? お前は私の事が何も分かっていない」


 俺は慌てて視線をアーリに戻す。


 悲哀に満ちながらも切実に訴えかけるような瞳であった事で、俺は何か勘違いしていることに気づいた。


 俺の元のいた世界の常識と、この異世界の常識は同じなようで多少は異なる。


 その多少がいかほどであるのか、俺はまだ分かっていない。


「何か問題でも?」


 俺は間違った事を口走っていたのだろうか。


「私にとっては大問題だ!」


 アーリは俺の肩に手を添えると、そのまま抱きつくかのようにその身体を押しつけてくる。


 滑らかなアーリの肌が俺の肌に触れた瞬間、俺は避けようとしていしまったのか体勢を崩して、そのまま倒れこんでしまった。


「うお?!」


 完全にアーリに押し倒されたような形となってしまった。


 アーリの吐息が俺の頬にかかるくらいの距離で、俺とアーリは向き合った。


 口調と勢いからアーリは怒っているのか思ったら、そうではないのだとその瞳が示していた。


 悲しみの色に染まった瞳は何かが間違っているのだと俺に分からせようとしているようでもあった。


「上に立つ男が生娘に仕えろと言うのは、婚約とは別の契りを交わすという意味なのだよ。心も身体も俺のものになれという意味があるんだぞ」


『仕える』


 俺の知っている『仕える』の意味は、『目上の人のそばにいて奉仕する』だ。


 俺が知っている『仕える』と分からないと思うのだけど。


 ん?


 ちょっと待て。


 ちょっと待って!!!


『上に立つ男が生娘に仕えろと言う』って言ったよな?


 生娘とは処女の事だから……ええと、『俺の側室になれ』とか、『俺のハーレムに来い』とかそういう意味なのか?


 俺の想像が確かならば、ハーブに『俺の側室になれ』と俺が言ったって事なのか?


「魔王たるもの人から奪うことも厭わぬ存在なのだから……」


 アーリの顔をさらに近づいてくるなり、俺は奪われていた。


 無防備すぎていた己の唇を……。


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