猫をかぶった処女 VS 皮をかぶった童貞

@makotomanabu

プロローグ

 俗に童貞とは性経験のない男性を指す言葉だ。15歳で童貞は捨てておくべき、20を超えて童貞だと人間を疑う、30を超えて童貞なら魔法使いになれるとか言われているが、ここに異論を唱えたい。

 それはセックスをしていないからといって童貞とは必ずしも言えないということだ。 頭の中で想像をして考えてみて欲しい。僕や君たちはいったい生まれてくる時どこを通って生まれてきたのかということを想像してほしいのだ。そうだ、それは母親の膣から出てきたのである。つまりはもうそこを通っているのだ。体全身で。生まれてくる前に体全身でそこを通ってきているのにも関わらず、大人になってから股間の一部をそこに入れて喜び、それを一種のステータスのように語るのはアホくさいと思わないのか。もう味わってるじゃん全身で。

この話をすると、「生まれてくる時に性的な快感はなかっただろう」と言ってくるバカがいる。快感がなければセックスと言えないのか。じゃあセックスをしたけれど気持ちよくなかったから、私はまだ処女だよなんて抜かす女がいても許されるのか。おかしいと思うだろう。そうなのだ、性的な経験に快感は伴なわなくともよいのである。

「ではお前の初めての相手はお母さんということなのか?」

この問いかけには一種の破壊力がある。今積み上げてきた理屈から考えると、僕の初めての相手は母親ということになるが、それを潔く認められるほど僕の肝は座っていないし、そうは思いたくない。

 しかし僕の主張にはまだ続きがある。今の世の中には代理出産というものがある。母親の卵子と父親の精子を体外受精させ、代理母が出産するというものだ。代理母から産まれた子供は代理母とは血の繋がりはない。世の中にはきっと若く美人な代理母もいるだろう。

 つまり世の中には血の繋がりのない若く美人な女性の膣を産まれてくる瞬間全身で通り、産まれきた時には既に童貞ではない強者がいるということだ。それに比べれば「俺は中学生ですでに済ませた」だの「大学生だけど経験人数ふたけた」だの、結局は童貞であった期間があるのだ。代理出産の強者は童貞であった期間が一秒もなく、強者の前ではどんな男であろうとも負けてしまうのだ。

 たしかに僕は21歳にして彼女がいたことは一度もないし、キスどころかハグすらしたこともない。実際に目を合わすことも相手の顔を見ることも、ましてや満足に会話すら出来ない。貶したければ貶せばいい、馬鹿にしたければ馬鹿にすればいい。けれども、そうして馬鹿にしてくる君たちも僕も強者の前では同じ敗者なのだと強く強く言いたい。

 そもそも何かにつけて思うのが日本の教育がおかしいのだ。まず物事には順序がある。算数なら足し算引き算掛け算割り算、筆算分数、国語ならひらがなからカタカナ易しい漢字から難しい漢字へと、物事は簡単なものから難しいものへと順を追って勉強していくのが普通だ。なのになぜ保健体育は避妊を教えるのか。セックスに辿り着くことが出来ない僕のような童貞が山程いるのだから、避妊ではなくまずセックスをするまでの過程を教えるべきなのだ。避妊の方法はその後にするべきだ。

 それから童貞という言葉もおかしい。辞書で引けば分かるが童貞とは元々カトリックの修道女を指す言葉であり、性経験のない男性を指す言葉ではなかった。ところがいつしか意味が変わり、性経験がなく男性をさげすむような意味で用いられるようになってしまった。残念なことである。

 さて色々申し上げてきたがこのお話は、猫を被った処女と皮を被った童貞の話である。あらかじめ結末を書いておくと、バラ色に覆われ拍手喝采で幕を閉じるようなハッピーエンドはならず、犬の糞を踏んだショックで固まっているところに鳩の糞が頭に落ちてくるような最悪な結末を迎えることになることを、ここに記しておく。

 

 

 

 

 

 



 

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