第2話 新聞社

ナルミは小さな石造りの建物に入っていった。


痩せて顔色の悪い、眼鏡をかけた男がナルミにわずかな給料を渡した。


ナルミは頭を下げてそれを受け取った。


ナルミが部屋を出ていく瞬間、男はわざとらしく憎まれ口を叩いた。


ナルミは黙ってそこを出ていった。肩が強ばり、目はまばたきもせず、ただランと光っていた。


体中にドロッとした汚れがまとわりついているような気分だった。


汚れが空気中に流れたように感じるまでしばらく歩き、ようやく落ち着いた。


ナルミは新聞配布を初めてこのかた、あの社長に気分を振り回されていた。こういうことに対して、対処出来ないのがナルミの悩みだった。


できることならナルミも返し文句の一つや二つ言ってのけたい。それも笑顔で。

それができたらどんなに気持ちが良いだろう。しかしナルミは出来なかった。もしもそんなこと言って、今の自分の生活までもが無くなってしまったら?


力は圧倒的に相手の方が上だった。自分がどんなことを言っても、その言葉すら馬鹿にされるに違いない。ひょっとしたら、気が狂った奴と思われるかも。上司に逆らうなんて、まともじゃない。


そう考えて、いつもナルミは彼の前では一切何も言わないで黙っていた。それに、反撃に出ることは相手に「私は苦しんでます」と教えているようにも思われた。相手と同じことをして身を落とすのが嫌というのもあった。


だけど、まともに見られることに意味があるだろうか?綺麗に正義を貫くことには?このままじゃ自分だけが精神を喰われてしまう。相手のいいおもちゃだ。それに、ナルミの知っている「まとも」な人間は、いずれもこわい人ばかりだった。


そう、ナルミは人がこわいのだ。


人が皆、自分と同じように脳ミソや心を持っていて、幾つものそれらが同時に働いている思うと、恐ろしくてたまらなかった。


そして、人を恨むなんていけない、やはり狂っているのは自分かも知れないという結論に至ったりする日さえあるのだった。

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