第26話 大人になる

 海王石が風呂敷から取り出したのは、あの水晶玉だった。

「どうしてこれを?」

みどりが聞くと、海王石はまあまあと言って水晶玉をみどりの手に渡した。

「天河石は嫌なハッタリをかけたんだ」

 みどりは、水晶玉をじっと見た。心の中で、問いたいことは念じられていた。すると、そこに映し出されたのは、みどりを賞賛する人々の影だった。みどりは、ドゼとレオンに感謝されていた。領事館に缶詰になっている状態を救ったからだ。また、海王石が金剛石に、電話のようなもので、みどりとすみれは期待できると言っている映像が流れた。また、すみれが、あの海底洞窟で、策を講じて挑もうとするみどりを頼もしげに見る映像も流れた。


「みんな、あんたが好きだよ。」

 海王石に言われて、みどりはまた涙を流し、水晶玉を持ったままうずくまってしまった。


「後、あの人間界の女の子のことは許してやりな。あの子は、本気で言ったわけじゃない。ま、私が許さないけどね」

 海王石はそう言うと舌を出して笑った。みどりも泣きながら笑った。もう、エミちゃんに言われたことは、自分の中で小さくなっていた。


 それからしばらく経って、すみれが中に入って来た。海王石は代わりに出て行った。


 すみれはみどりに何か言いたさそうにしていた。

「聞いたよ、天河石に、色々酷いこと言われたって」

みどりは、

「まあ、大したことじゃないけどね」

と言った。すみれはしばらく経って、こう言った。

「みどりちゃん、人間界に帰りたい?」


 みどりは考えた、本当のところ、どうなんだろうか。自分は、人間界に帰りたいのか、どうか。家には家族がいる。学校には友人がいる。そのほかにも、みどりの出会った、いろんな人たちがいた。


「人間界の友達は、嫌な子だね」

 不意に、すみれはそう言った。

 そう言われて、みどりはハッとすみれを見た。

「そういう言い方はやめて。海王石さんがさっき、あの子は本気じゃないって言ってた」


「ごめん。でも、みどりちゃんはお人好しだね。私は、人間界の人間を許さない。それに、人間界にも帰らない。」

 みどりは、すみれの顔を見つめた。あの穏やかなすみれが、なんてことを言うんだろう。

「私にはね、人間界に帰っても優しくしてくれる家族も、友達もいないの。いるのは、私を毛嫌いするクラスメイトと、それを放置する教員と、家に帰れば私を打つ父親だけ。ねえ、みどりちゃん、私、人間界に帰りたくないよ。でもドゼさんが、もう天河石を捕まえた今が帰る頃だって言ってる。私たちは、用が済んだら、返す物なのかな。こんなの、あんまりだよ」

「そんな言い方」

「私たち、本当の友達になったよね?友達だったら、ドゼさんに説得してよ。それで、私と一緒に人間界に居続けてよ。私きっとここで強くなるから。役に立つから…」

 すみれはよほど人間界に帰りたくないらしく、しくしくと泣き出した。もちろん、みどりも帰りたくなかった。魔界で出会った人々と別れたくなかったからだ。しかし同時に人間界の人々とも会いたくてたまらなくなっていた。


「すみれ、私たち人間界でも会えばいいんだよ。」

 この時、初めてみどりはすみれを呼び捨てにした。そのことに気づいたすみれがハッと顔を上げた。

「で、何回でもこの魔界に二人で来ればいいじゃん。人間界は嫌なところかもしれないけれど、帰らなきゃ私たちきっと、大人になれないよ。そんなの、つまらないじゃん」

「大人になんかならなくてもいい」

 すみれはなおも泣きじゃくりながらそう言った。

「何言ってんの、中学高校大学行けば、嫌なやつらとも別れるって。大人になれば、一人暮らしして、自由に生きられるよ」

 すみれはみどりのいうことを間の抜けた顔で見つめていた。

「本当に、そうなるかな?」

「なるって、なるなる」

「わかった。私、大人になる。ありがとう。みどり」

 すみれもこの時初めて呼び捨てにした。二人は可笑しそうに笑い合った。



 それからしばらくの日々が過ぎ去った。そして、人間界に帰らねばならぬ日がやってきた。

 みどり、すみれ、レオン、ドゼ、海王石の5人はあの喧騒な横丁の中にある、境界ボーダーへと続くドアを目指して歩いていた。ドアの前まで来て、海王石は言った。

「ここでお別れだな。」

 海王石は素っ気なく言った。その態度がますますみどりの気分を落ち込ませた。

「なあに、また会えるさ。すぐ呼ぶから」

 そう言われてみどりは顔を上げた。

「闇サンゴの影響はまだ残っている。悪党の部下も皆散ったわけじゃない。新たな問題が渦巻き出している。すぐに助けが必要になる。一旦別れるが、またタイミングがあったら、な」


 また会えるのだ。そう思うとみどりは嬉しくなり、すみれと顔を見合わせた。二人とも笑顔になった。


「そうは言っても、寂しいんだろ、海王石。最後の汽車の旅ぐらい、一緒に行かないか?」

 レオンがそういうと、

「お前がどうしてもというのなら、遠慮なく」

と言って、ドアを一番最初に開けて境界ボーダーに入って行ってしまった。



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