第22話 水晶玉
「まず、そんな遠いところにいないで、前に出てくるがよい」
みどりは命令どおり前へ進み出た。緊張、というより驚きがまさっていた。目の前にいたのは、まるで映画や漫画の中に出てくる、ヒゲの長い王様そのものだったからだ。頭は禿げているが、その上には確かに水色の珊瑚でできた冠を冠している。みどりは、感情を悟られぬように身を固くして天河石の前まで歩いた。
「そう固くならずともよい、みどり、わしはそなたを気に入ったのじゃ」
みどりは背中がぞっとするのを感じた。何も言わず、ただそこに立っていた。逃げ出したい、ここから立ち去りたいという気持ちを抑えて。
「そなたは人間界の子じゃな」
はい、とみどりは返事をした。
「そなた、わしの仲間にならんか」
えっとみどりは天河石の顔を見た。天河石は、人の良さそうな顔で微笑んでいる。
「わしはそなたがこの魔界に来るのを、実はこの国の誰より先に知っておった。そしてこの国に着いてからもそなたから目を離さなんだ。じゃから、そなたのことはよく知っておる。そなたには素質がある」
自分が魔界に来ることを誰より先に知っていた?それは、本当だろうか。そして、自分を監視していただって?
「先ほどの、ケルピーを落ち着かせた魔法は、誠に見事じゃった。」
みどりの全身に鳥肌がたち、冷たい汗がつと背中を流れた。
「気持ち悪がられて当然じゃな。じゃがみどり、わしはそなたをこちら側へ来させる自身がある」
天河石は自分の玉座の脇にあった大きな水晶玉を指差した。
「これが、なんでも見れる水晶玉じゃ。」
天河石の話し方は、ゆっくりとしている。
「これで、そなたの過去も垣間見たわけよ。え?魔界とは恐ろしいもんじゃろう。」
みどりはどんどん全身が冷たくなっていくのを感じた。
「みどり、そなたはそんなに良いやつじゃないな」
みどりは思わず笑ってしまった。そうだ。自分はそんなにお利口でもなければ、正義感の強い方でもない。
「ではなぜ、いまここにいるのか」
天河石はみどりの心の中を読むように、続けた。
「みどり、そなたは結局のところ、気にいられたかっただけなのじゃ」
みどりはその言葉を聞いて、愕然とした。
「そなたは結局のところ、人間界に特別に自分を愛してくれる人もいなければ、可愛がってくれるものも居らんと感じていた。家族や友人は、いるにはいたが、形だけのものと感じていた。そなたは、本物が欲しかった。そういう心境のところへ、あの領事の二人に出会った。そなたは、つまらぬ日常に流れ込んで来た思わぬチャンス、人に取り入るチャンスに、飛び込んだだけなのじゃ。」
天河石はそこまでいうと、一旦喋るのをやめて、ため息をついた。
みどりはお腹の中がもじゃもじゃと気持ち悪くなっていった。気持ちが悪い。みどりは呼吸が浅くなっていった。
「そして、こちらで多少うまくやって、本物の友情を手に入れたと思い込んでいる。」
みどりはきっと天河石を見上げて、言った。
「友情は、本物でした」
みどりはここに来て、この天河石の言葉に取り入られてはまずいと感じた。この男は、どうやらこういう風に人の暗黒面を見つけるのが得意らしい。
「そのようじゃな」
天河石は思いの外、そう言った。
「して、人間界のは、偽物じゃな」
「違います!!!」
みどりは、目の前が真っ赤に燃えそうに思った。この男は、どこまで人をバカにする気だろう、どこまで人の気持ちを弄ぶ気だろう?
「なぜじゃ、ではそなた、人間界に帰りたいと思えるかね」
「思います」
「人間界には、そなたの嫌いなエミちゃんもおるぞ」
天河石は、水晶玉の上で手を払った。水晶玉の中に、人間界の友人、エミちゃんの姿が浮かび上がった。そして、水晶玉の中の彼女は話し始めた。みどりをこき下ろす真に迫った罵詈雑言を。
みどりの目から、涙が溢れた。世界が壊れたように思えた。
「これは真実を映し出しておる。これでも、人間界に帰りたいと思うかね」
みどりは黙って泣き続けた。そして、しばらくたって、答えた。
「思います」
「そうか、それはめでたい。魔界の方も見るかね」
みどりはまた愕然として天河石を見上げた。魔界の方も、あるだって?
「いや、嫌です!見たくない!」
みどりは激しく拒絶した。
「そうよなあ。」
天河石はのんびりと続けた。
「そなた、結局のところ、そなた自身が大切なのじゃよ。結局は自分じゃ。そなたにはもう、本物の友情などは無い。」
みどりは震えながら泣きじゃくった。
「じゃが、わしだけはそなたを気に入っている。心からじゃ。特にそなたの意志力と秘めたる反骨心にはな。わしはそなたの良い面も悪い面も含めて、よく知っとる。わしはそれらを、受け入れるだけの器がある。そなた、わしと来い。悪いようにはせぬ。むしろ高い位につけてやる。」
天河石は立ち上がり、みどりの方に両手を広げてじりじりと歩み寄って来た。みどりはショックと恐怖で、一歩も動けないでいた。
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