第10話 新しい生活

「ここが、我らが拠点。さあ、中へ」 


 みどりはたじろいでいた。

なぜ魔界にはるばる招かれて初めて入る建物がこんなに汚い小屋なのか。こんな汚い小屋でどうして拠点としてつとまるのか。


 自信満々で扉の前に堂々と立つ海王石に文句など言えるはずもなく、とりあえず中に入った。


 途端、みどりは目を疑った。


 そこには豪華な絨毯が敷かれ、いくつものランプが灯っていた。建物の大きさには釣り合わない長い長い廊下が無限に続いている。絵本の中のお城のように美しい装飾的な空間だった。

 

 みどりが言葉を失っていると、海王石が話し出した。


「さあ、疲れただろう。食事を採って休んだほうがいい。」


 そう言って、海王石は廊下の中のドアの一つを開けて、中に入るように促した。


「ここはみどりの部屋だ。しばらくここで生活してもらう。必要なものはだいたい揃っているはずだ。困ったことがあったら、私に聞いてくれ。すぐ向かいの部屋に居るから」


そこは、まるでいつか小さいときに見たドールハウスのおうちの中のようにきれいな家具や調度品のある部屋だった。


「すごい!とってもすてきなお部屋ですね。」


「この建物は魔界の王宮が用意した。この部屋は実物だが、この建物の奥の部屋は全部魔法だよ。」

そう言って、海王石は建物の廊下を少し歩いた。そして、ある地点で止まると、

「この辺かな、魔法との継ぎ目は。」

と言って、床を足でトントンッと叩いて何かを確かめていた。そして、俯き加減に、ちょっとため息をつくように、

「王宮もくだらないことをしたもんだ。」

と言った。


「なんでですか?すごく綺麗だし、広い方がいいじゃないですか。」

みどりは口走った。すると、海王石はぱっと顔を上げてみどりの目をすうっと見て言った。

「本気で、そう言ってるのかい」

みどりは、海王石の目を見つめ返した。なにも言えなかった。海王石は片目だったけど、そのまっすぐな青い目に見つめられると、こちらの心の中まで見透かされているような、落ち着かない気分になった。


「魔法は、事故も起こる。」

海王石は、下を向いて目をそらし、話し出した。

「魔法は、無限だと思ってるかい?たいていのものがそう思ってるが、実際はそうじゃない。魔法を使うときには、それなりのエネルギーが消費されるんだ。そのエネルギーは、術者から注がれる。じゃあ術者はそのエネルギーを一体どこから得ているかといったら、自然界からとしかいいようがない。魔界には、独自のエネルギー体が至るところに流れていてね、『呪素』とか、『エナジ』と呼ばれている。人間界にもいくらかは流れているだろうが、魔界はそれが特別濃いんだ。魔法使いというものは、そのエネルギーを術によって変換して、不可能を可能にしているに過ぎない。自然の摂理をいじくっている点に関しては、あんたのいた人間界の社会の仕組みと何ら変わりはないんだ。だから、魔法は不完全だし、事故も起きる。」


ここまで海王石が言い切ったとき、みどりはもう自分の今まで考えの浅はかさに気づかされた。

そして、恥ずかしくなった。魔法って、無限じゃないんだ。


でも、事故が起こったら、何が起こるのだろう?

「もし事故が起こったら、どうなるんですか?」

みどりは、聞いてみた。

「そのときによるよ。」

と海王石は答えた。


その後、食事をとることとなった。大きなテーブルのある部屋に案内されて、みどりはそこの席に着いた。海王石が用意した魔界の料理はどれも見慣れぬものだったけど美味しくてみどりはすぐに平らげてしまった。海王石は指パッチン一つで食器類を片してしまった。それらはテーブルの上から跡形もなく消えた。


「明日は早朝に起こす。だから早く休ませたいのだが、その前にひとつ質問がある。」

と、海王石が切り出した。


「何ですか?」

「何故、この世界に来ることに承諾したんだ?」


みどりは答えに迷った。何故といわれれば、困っている人たちを助けたいから、と答えるのが"正しい"だろう。しかし、本当にそれだけだろうか。みどりは自分自身の心に問いかけた。何故この世界に来たのか。


「多分それは私が、この世界に興味を持ったからなんです。」


みどりは考えながら話しはじめた。


「私はもともと、魔法や異世界の出てくる物語が大好きなんです。だから実際に異世界がこの世にあるとわかったときに、驚いたけど嬉しかったんです。」


「で、この世界に来ることができるとなれば、どんな危険も厭わないってわけかい?」


「来る前はそうではなかったですけど、来てしまってからは、変わりました。この世界に来てまだ少ししか経っていないけれど、私はもう不思議な体験をしている。それが嬉しいんです。これからどんなことが起こるのかと思うと、わくわくするというか……」


「恐怖心より好奇心の方が勝るってわけかい?」


「はい、もちろん恐いですけど」


「なるほどね。気に入ったよ。魔界はあんたにとって刺激的なものなんだな。これから長い付き合いになる。腹を割って話をした方がいいと思って聞いておいた。一緒に頑張ろうな。」

「はい。」

海王石は微笑んで片手を差し出した。みどりはその手を取って握手をした。



その晩みどりは部屋に用意されていた寝巻きに着替えてぐっすり眠った。

翌朝、早朝にみどりは起こされた。海王石が部屋の中に入って来たのではなく、代わりに黒猫がベッドの上に乗っていた。黒猫はみどりが起きるのを見るとベッドから降り、隙間が空いたドアの方に向かっていってその前で止まってこちらを振り向いた。ついて来いといっているようだった。みどりは寝間着と同じく用意されていた魔界風の衣装、黄緑色のワンピースにベルトで腰回りをしめたものを身につけた。そして黒猫について部屋から出ていった。


 黒猫はみどりを玄関まで連れていった。そこには海王石がいた。

「まずは水を汲んでもらおう」


 みどりと海王石は玄関から外へ出て、家の裏方へ向かった。そこには井戸があった。


「魔界ではなんでも魔法でできるとはいえ、食べ物と水のことだけは魔法でごまかすことができない。こちらの世界に来たからにはしっかり働いてもらう。」


 これはみどりには堪えた。人間界には水道があるのに、この世界では無いというのだ。

 井戸の滑車を引く作業は想像以上にしんどかった。綱を引いていた手には豆ができた。


「あんた、料理はできるかい?」

「いいえ、ほとんどできません」

 みどりの家庭科の成績はとてもいいとはいえなかった。

「そうか、じゃあこれから覚えていこうな」

 海王石は特に怒っていなかったので、みどりは安心したが、恥ずかしかった。


 その日の朝食は海王石が作った。人間界でいうトーストとハムエッグのようなものだった。ただ、変わった調味料を使っているらしく、少しスパイシーだった。後片付けは昨日と同じく海王石が指パッチンの魔法であっという間に終えてしまった。


「さて、今日からあんたを魔女に仕立て上げるために修行を始める。」

海王石の言葉にみどりは背筋を伸ばした。

「今日もうすでに行った水汲みやこれから行っていく料理の仕事なども、あんたにとって生活の根幹となる修行の一部だと思ってほしい。だが、これらの修行とはまた別にやるべき修行もある。今から行うのがそれだ。」

 みどりはゴクリと唾を飲み込んだ。どんな修行をするのだろう?


「あんたの好きな色を教えてほしい」

「え?」


突然の質問にみどりは拍子抜けして覆わず聞き返した。


「好きな色だよ。一色ぐらいあるだろう?」

「……緑です」

 みどりは自分の名前と同じ色の名前を答えるのは少し恥ずかしかったがそう答えた。


「なるほど。ではお前は今から緑の魔女だ」

「え?」


「この世界ではその人の好きな色と使う魔法のエナジ密接に関わっているんだ。」

 そういって海王石はみどりに一つの植物の種のようなものを渡した。それはみどりの手の中で発芽し、変形して、みるみるうちに一本の木の棒のようなものになった。

「それは魔法使いの杖だ。使うものの強さに応じて成長する。いまはまだ小さな木の棒だが、そのうちに立派になるだろう。」


 みどりは自分のものとなった杖を壊れやすいもののようにそっと手のひらに乗せていた。


「それから、新しい仲間を一人紹介しないとな」


海王石はそう言うと、部屋のドアの方へ歩いていき、ドアを開けた。


そこには、みどりの知らない女の子が立っていた。





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