第9話 魔界へ



「お次はジェム駅、ジェム駅です」



 列車の中から音声が流れて来た。


「ごちそうさまでした。色々教えてくれて、ありがとうございました。」

 みどりはヤスコさんにそう告げ、席から立ち上がった。

「またね。」

 ヤスコさんはそういうとみどりに微笑みながら手を振った。


 みどりは降りた。そこにはコンクリートのプラットホームがあったが、列車に乗った地点と変わらない荒野の景色に見える。同じように広い空間だ。でもここにはあの綺麗な水溜りは無い。さっき見たのと同じ、白い正方形のプレハブのような建物はある。どうやらそれが駅のようだった。

 後ろを振り返ると、列車が動き始めていた。窓から中を見ると、他の車両にも人はちらほら乗っているようだった。みどりが降りた車両の窓から、ヤスコさんが笑顔で手を振っている。みどりも手を振って列車を見送った。


 列車が見えなくなると、みどりはとりあえず白いサイコロのような駅へ向かった。駅の中は、閑散としていた。白い剥がれかけたペンキ塗りの壁が四方を囲み、それぞれにガラス窓が付いている。そこから外の荒野の景色が見えた。向かいの壁には鉄製のドアがひとつある。みどりから見て右手の壁には、待合席用の木の長椅子が置かれていた。反対側の壁の方には駅員さんの座っている机と椅子のスペースがある。

 

 みどりはその駅員のおじさんに魔界への行き方をおそるおそる聞いてみた。すると彼は、当然だろうと言わんばかりに部屋の奥にあるドアの方に顎をしゃくった。


 またドアか。予想してはいたけど。常識的に考えたらそのドアを開けたら外の荒野に出てしまうのだが、ここら辺ではドアが別の次元につながっているのは当たり前のことなのかもしれない。


 みどりは鉄製のドアの方に向かって歩いた。そのドアは古く、グレーのペンキが剥がれかけていて、所々赤黒く錆びている。ノブには埃がかかってある。その接合はゆるく、いまにも壊れそうだった。それでもみどりはノブを回し、ゆっくりと重いドアを開けた——。


 途端、何かが爆発したかのような大きな音がした。みどりは反射的にぎゅっと身を縮ませてしまった。が、すぐにその音の正体がわかった。それは、喧騒の音だった。


 目の前は、見渡す限りの人だかりだった。ここはどうやら横丁か市場のようだった。お店が石畳の道の両側に連なって、ずっと奥まで続いている。

 ここは静かな『ボーダー』とは一番性格のかけ離れた場所かもしれない。だから音量差もはなはだしかったのだ。


 ここが魔界でいいのかな?さっきドゼさんに見せられた場所とは全然違うけど……


 駅員さんの方を振り向くと、彼は、何か書きものをしながら不機嫌そうに大きな咳払いをした。さっさと行けと訴えていた。


 なんでこのおじさんはこんなに不機嫌で、しかもいっさいものを言わないのだろう。初対面なのに嫌われたのか。魔界への行き方を聞いたからだろうか。みどりは少しショックを受け、傷ついた。同時になんだか腹が立って、ああこんな殺伐とした部屋はこちらから願い下げ、出ていってやるよという意思ができれば伝わるように、いつもより少し乱雑に、少なくとも丁重ではないドアの閉め方をして、人混みの中へ出ていった。


 ドアの外へ一歩踏み出すと、喧騒の音はさらに大きくなった。同時に今まで見えていなかったものが見えてきた。

 人々は皆、楽しそうに笑いながら、食べ物を買い歩いている。大道芸人と思われる人たちが、魔法(どう見てもそれ)で火花を作り、お手玉のようなことをしている。宝石屋ではこれでもかという量のアクセサリーがジャラジャラとぶら下げられている。その隣の店では、つやのある銀やガラスでできた、精密な道具が売られている。古本屋さんの前では古くて厚い本が大量に並べられ、積み上げられていた。奇妙なものがいっぱいあった。みどりには何もかもが目新しかった。

 いい匂いがしてくる。デパ地下に流れるパンのような、焼き菓子のような香ばしい香り、別のところからは香辛料のようなスパイシーな香りがした。香水屋の前では、花のような、でもどこか海を思わせる懐かしい匂いが漂ってくる。

 みどりは人の多さと匂いにやられてフラフラしながらとにかく前へ進んで行った。目は珍しいものをもっとよく見ようと辺りをキョロキョロと見渡しっぱなしで、首まで動かしていた。

 この大通りには、色とりどりの衣装を着た人がいる。ピエロのように派手な原色の服を着たものもいれば、魔法使いらしい、真っ黒いローブやマントなどに身を包んだ人もいる。かと思えば、ものすごくシンプルで人間界にもいそうな、ワイシャツとズボンといった出で立ちの人もいた。みどりの着ていたストライプのシャツとサスペンダーなんて、誰も気にしていなかった。人間界から人間が一人迷い込んできたことなど誰にもわからなさそうだった。 もっとも、こんなに人がいては、みどりになど誰も目をくれなかっただろうが。


 みどりはとりあえず、できるだけ奥へ奥へと進んでいった。目を奪うものは色々あったが、こんな人混みでは、まともに見れやしない。


 ある店の前で、


「そこのお嬢さん、何かお困りでないか」


と、みどりは呼び止められた。しわがれたおばあさんのような声だ。


 みどりはそちらを振り返ろうとした。しかし、体は思う通りに動かなかった。

代わりに、


——まずいっ 逃げろ!!!


という声がして、みどりの体はひとりでに動いた。一瞬のことだった。膝カックンよりも素早くガクッと地面に低く伏せられたかと思うと、頭から体が引っ張られ、ものすごい速さで人々の足の間を縫うようにくぐり抜けた。ぶつかるかと思ったが、一度も衝突することない。ビュンビュンと進んでいった。もはや足は地面から離れ、低空飛行していた。まるでウナギかドジョウになってすごい速さで泳いでいるようだった。


 みどりは息もつけずに、顔に風と砂ぼこりを浴びて飛んでいた。そして、急に空気の壁にぶつかったかのように、止まった。みどりは地面にもろにうつ伏せに倒れ落ちた。みどりは痛みを感じながら、腹這いからゆっくりと四つん這いになった。まだ人だかりの中だ。目の前にはつやつやとした美しい黒いパンプスを履いた脚がある。


 急に片腕を掴まれ、立たされた。

「すまない、予定が狂った。」


 顔を上げると、目の前には美しい女の人がいた。パンプスの主だ。濃いグレーのマントを羽織っている。


「本来なら領事の案内で自動的に私のところまで来られる手筈になっていた。しかし、何か胸騒ぎがしたので来て見た。もう敵に目をつけられているとは……」


 みどりは女の人の言っていることをちゃんと聞いていなかった。それよりその人の容姿の方に気を取られていた。この女の人は、髪の毛が青かった。しかも、かなり高い位置でポニーテールにされているその髪は、地面に着きそうな長さに達していた。


 みどりはこういう、視覚的にインパクトのあるものを見せつけられると、耳から入る情報を拾うのを忘れてしまうことがよくあった。今回もその状態だった。


「おい、大丈夫か?しっかりしろ。」


 女の人が心配そうにみどりの顔を覗き込んで来た。黒目に見える右目も、よく見ると青い。すっごく綺麗だ。左目は長い前髪が垂れて隠れている。

 みどりはハッとしてこの人との会話に応えようとした。でも、今、何の話をしていたっけ……領事がどうのとか言っていたけど……

 

 女の人は話し続けた。

「私たちの情報網がこんなにヤワだったなんて、先が思いやられるな。ここからは私が安全な地帯まで運んでいく。怪我はないな?」


 怪我は、あった。さっきうつ伏せに地面に落ちた時に膝と肘を軽く擦りむいていて、少し痛かった。でもこんなのはこの人の言う怪我には入らないのだろうと思って頷いていると、その人はみどりの膝と肘に手をかざして上をかすめて、あっという間に傷を消した。痛みも消えた。


「少し歩くぞ。人気のないところに行く必要がある。」


 そう言うと女の人はみどりの腕を掴んだまま歩き始めた。

 もうこの通りの終わりあたりまで来ていたらしく、すぐに人混みから抜けることができた。人通りのない広場のようなところに来て、女の人は指をパチンと鳴らした。

 すると、目の前に何やら黒々とした物体が現れた。

「これに乗ってくれ。あんまり乗り心地は良くないだろうが、私の作る乗り物の中では一番速くて簡単なんだ。我慢してくれ。」

 それは大きな石の円盤だった。よく見るダイヤモンドのブリリアンカットの形をしていて、上は平たくて下は尖っていた。地面に浮いて定期的にくるくる回っている。


 みどりは言われるがままにした。とりあえず石の平たいところに腰掛けた。

女の人も乗って、すぐに石は地面を離れた。

「酔ったらごめんな。あとで好きなだけ吐かせてやるから。」


 地面はどんどん離れて言って、人混みも遠く離れ、町全体が見渡せるようになった。この辺は赤茶色の屋根の家がたくさん群がっているようだった。


 みどりはこの女の人に会ってから何も言わずに黙っていたが、気になることがあって思わず口を開いた。

「私たちが飛んでるところは、誰かに見られたりしないんですか?」


「大丈夫だ。目くらましの呪文はかけてあるし、音や匂いも含めて、一切の気配を遮断してある。相当の力のある魔法使いでなければ、見つけられないよ。そんなことできるやつ敵にも味方にも滅多にいるまい。」

自信ありげに女の人は答えた。

 

 ははあ、と、みどりは言うことをなくしてそのまま下を見た。自分の足が宙ぶらりんになっているのが見えた。さっきまでいた町の家々が遥か遠く、豆粒のように見えた。


 急にレベルの高いことになって来た気がする。魔界に来たばかりのこの時点で、もはや安全ではいられないなんて。さっきまでヤスコさんとりんごを食べていた時間がウソのようだ。


 みどりが黙っていたら、今度は女の人から話し始めた。

「私の名前は海王石というんだ。自己紹介をしてなかったからいうけど。」



 でた!!石の名前!!カイオウセキ!!

 さっきのヤスコさんの話に出て来た『予習』の内容がこんなにすぐ出て来て、しかも当たっていて(当然だが)、みどりはなんだかちょっとだけ愉快な気分になった。おかしいことではないのに。

 みどりはこの感情がバレないように、顔に出さないようにと、真面目な顔をしようとした。


 海王石さんは続けた。

「あんたはみどりというんだよな?一応、こっち風の名前をつけといたほうが便利だと思うんだが……」 

みどりはそれを聞いて、慌ててすぐに答えた。

「やめてください、名前、つけないでください。みどりでいいです。少なくとも、普段はそう呼んでいて欲しいんです……」

みどりは必死で訴えた。

「わかった。安心して。私もむやみに変な名前をつけてうらみを持たれたくはないから。」

そう言って、海王石さんはニヤッとした。よかった、海王石さんは話のわかる人みたいだ。みどりも安心して少し笑った。


「だが、魔界人のふりをする必要のある時や、公式の書類なんかを通過しなければならない時とかは、偽名が必要だ。その時は使う。『緑柱石』とかかな。そこはよろしくな。」

「はい、そういう時は、しょうがないです。」

 みどりは頷きながらも、リョクチュウセキってなんだ、と思っていた。偽名ではあるが、まんまと名付けられてしまったぞ。


 海王石さんは空を飛んでいる間、みどりに色々と謝ったり弁明したりした。

 本当はレオンの『案内の魔法』がみどりを保護していて、海王石のいる拠点まで難なく行けるはずだったが、思っていたより敵の読みが鋭く、みどりはもう少しで連れ去られるところだった、とか。

 それに、さっき怪我をさせてしまって申し訳ない、あれはレオンの術の一部だ、私だったらあんな乱暴な飛行の仕方はさせない、とか。


 それを聞いて、みどりは、ふーん、じゃあ、ここに来るまでに何回か聞こえたあの声はやっぱりレオンのものだったんだ、と思った。やっぱり、領事の彼らは真面目に仕事をしていたのだ。多少手違いはあったようだが。


 そうしているうちに、目的地に近づいて、空飛ぶ石の円盤はゆっくり下降した。二人は着陸した。足の裏に柔らかい土の感触が広がった。


 そこは広い野原のようなところで、家が一軒立っていて、その裏に林が広がっていた。のどかな感じのところだ。


 家に近づいてみると、その家がなんともいえず古いことに気がついた。

 ここ、屋根の上に草が生えている?それに、木の壁はボロボロだし、全体が傾いてる。

 家というより、小屋といったほうがいいかもしれない。


「ここが我らが拠点。さあ、中へ」


 海王石さんはボロくさい小屋の扉をガチャリと開けて、中へ入るよう促した。




 


 

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