効用
彼女はまるで先々がどうなるのかが見えているかのように、黒石を淡々と打っていく。私は特に考えもなく動き、彼女の術中にはまり、白が無惨にも黒一色へと染められていく。その光景に少しの畏怖を覚えると同時に、遊戯であっても容赦のないその強かさに魅了されていた。
「はい、また勝ち。静香は素直だね。誘いに全部乗っかってくれるし」
「わざと誘いに乗ってるんだよ。私はお遊びで本気は出さないの」
「それ、屁理屈」
先ほどまでの強かさが嘘のように真白は微笑む。その表情に安心する自分がいた。
「ねぇ、静香は恋をしたことがる?」
「私が? どうだろうね。あるとしたら小学生の頃かな。まだこんなに小さい頃」
静香は腰の辺りに手を置き、水平に移動することで当時の身長を再現する。
「それって清治くん?」
なぜ彼の名前が挙げられたのか不明だったが、全力で否定する。
「それはないよ。アイツとはただの腐れ縁だし」
本当かなぁ、とわざとらしく真白が疑ってくるので、しつこいなと思いつつも否定を繰り返す。すると再び真剣な表情をした真白が言った。
「じゃあ、私が好きになってもいいよね」
そのとき、私の心は変化した。
●
「中谷さーん、聞いてますー?」
意識を過去に持っていかれていたことに気付き、数秒遅れて反応する。
「ごめんなさい。少し考え事をしていて」
真白が亡くなり、先日の命日で十三年の月日が流れた。たった十三年。そう言われても仕方ないが、この期間だけで多くの技術が進歩した。私たちが理解する間もないほどの技術の栄枯盛衰に、何を信用すればいいのか分からなく、迷走する人も多くいたことだろう。
またタブーな領域に踏み込むものも登場し、個人の信仰や価値観による対立が目立つ期間でもあった。皮肉な話だ。「死」という永遠の別れによる寂しさや悲しみを取り除くために作られたシステムが、新たに争いの種となり、新たな骸を生み出すなんて。
とは言っても、それはほんの一部の話だ。世界は、間違いなく――
「ほらー、聞いてないですよねー? 中谷さーん」
後輩社員の話のほとんどを聞き流し、私は物思いにふける。
「ええ、聞いているわ」
この言葉を発せば、またしばらく後輩のターンとなり、喋らずに済む。後輩の喋りは多岐に及んだ。友達の彼氏の話、最近流行りのスイーツ、さらには政治、そして終着地は子育てについてだった。
「もう大変ですよー。中谷さんもそうですよねー」
言動とは裏腹に、後輩の表情は穏やかだ。子どもを持つことに憧れを抱いていた彼女なら今の状況はとても幸せなことだろう。
「いや、ウチはそこまで苦労はしてないかな」
「えー、ホントですかー。それって旦那さんも協力的だからなんじゃ。それに比べてウチの夫は――」
新たな愚痴ネタを見つけた後輩の喋りを他所に、私は「旦那」と言われた先ほどの言葉を反芻していた。娘との血の繋がりを考慮すれば、私には旦那などいないというのに。
●
夕食後のテレビは紅葉狩りの特集だった。十二月なのにも関わらず、だ。スイッチをオフにし、娘との遊びの時間へ移行する。
「希美、オセロでもしよっか」
「うん!」
真白は黒の石を好んだ。その理由を聞いたことはなかったが、聞いたとしても答えてくれなかっただろう。ただ、私には何となく彼女の気持ちが分かる。人気者であった彼女は、周りのイメージする「道永真白」と自分とのギャップに苦しんでいた。
そんな周囲の考える「真白」が嫌いだったのだろう。彼女は普通に扱われたかったのだ。だからさばさばした性格の私と交流するようになった。
けれど真白。あなたは間違いなく白が似合っていたよ。
「ママは黒にしようかな」
本当に黒いのは、私なんだよ。
「ええー、くろがいいー」
希美の要望により、結局白を使うはめになってしまった。こうして、娘とのオセロが始まる。
ほら、ここが空いているよ。
ほんとだー。
あーあ、ママの白が少なくなっちゃった。
やったー。
これはママの負けかなー。
あはは、ママよわーい。
こんな何気ない会話の中でも、私は真白のことを思い出す。
別に衝撃的な出会いであったとか、そんなことはない。ただ昔見た何気ない風景を、会話を、心地よさを覚えているように、その心の中のフワッとした温かいものが積み重なっていった結果、彼女の存在が私にとって大きくなっていっただけなのだ。
そして、自分がそれを『友愛』ではなく、『恋愛』なのだと確信に変わったのが、最後に彼女としたオセロだ。けれど時すでに遅し。あの時の彼女は、間違いなく清治へと心が傾いていた。
こうして私の初恋は無惨に散ったのだった。
ねぇ、真白。世界はどんどん豊かに、便利になっているよ。息継ぎする暇もなく、今も何処かで、新しい発明がされている。その世界を私はあなたに見せたかった。でも、この子には見せることができる。あなたの血が混じっているはずの、この子には。
「あー、負けちゃった。希美はオセロの才能あるんじゃない?」
「ええー、ママがよわいだけー」
同性同士の遺伝子の組み合わせによる生殖。以前から動物による実験が報道されていたが、ヒトを利用して行うことは認められていなかった。しかし、それも今では可能だ。
清治が持っていたお守り。彼が酔った時に、その中身について話した。私は真白との子どもが作れることに高揚したが、すぐに世間体や倫理的な問題に直面した。だがそれも彼と結婚することによりクリア。後は排卵日を調整するだけのことだった。
「ただいまー」
「あー! パパおかえりー!」
「お帰りなさい」
仮の父親である清治が帰ってきた。
「パパー! きょうもオセロかったー」
「強いなぁ、希美は。一番だな」
「いちばんー」
ピン、と我が子の小さな人差し指が突き立てられる。
この仮初の日常がいつまで続くか分からない。けれど、今この瞬間は、私は幸せだ。
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