道永真白が死んだ。それはまるで産卵後に役目を終えたと言わんばかりに散っていく生物のように呆気のないものだった。

 彼女の死後、世界は転換点を迎えようとしていた。AI――人工知能を利用した「人の記憶のデータ化」が、大国に本社を構える多国籍企業から発表された。これにより、データさえ保存されていれば人は故人とも会話をすることが可能となった。

 しかし多くの問題が存在した。一つは企業の独占だ。データがあればどんな人物とでも話せる、ということから一般人は有名人との会話を求めて殺到する。料金は企業が独断で決められるので、知名度が高い人物ほど値段は跳ね上がる。その収益の内の七割を現存者、または遺族に配当してもお釣りが来るレベルの儲けを企業は得ることとなった。

 二つ目は倫理的な問題だ。元来、人は死を迎えれば二度と会話を交わすことはできなかった。しかしこの技術により、人は別れから逃れることが可能となった。何より、事前にデータ化せずとも、死後にでも遺伝情報を含んだ物質があれば可能であるのだから驚きだ。さらに情報が欠如していた場合、遺族が補完的に情報を埋め込むことも許された。つまりは、依頼者にとって仮想人物を作り出すことができたのだ。

 これにより、人権や宗教団体の一部からは批判の声が出た。人類は神の領域を踏み越えた――今まで誰もが心の底に持っていたその言葉は、データ反対派のトップの一言により瞬く間に世界で広がり、トレンドワードとなった。

 思想の異なりが争いの火種となることは歴史が証明している。ある国ではこのHMD(Human Memory Data)法を巡って政府と民衆が衝突した。保守系でHMD反対派の与党に対して賛成派の民衆がデモを実行。軍も投入する事態に陥り、多くの死傷者を出す結果となった。その上で法律の可否は先送りとなり、新たな抗争が起きるのか予断を許さない状況が続いている。

 さらにある小国では未成年の少女が売春や窃盗など、複数の罪を重ねて捕まった。なぜそのような行為に及んだのか? の問いに、HMDを利用して、事故で亡くなった彼氏に会いたかったため、という回答が世間をざわつかせた。少年の家庭はHMDに対して否定的だったため、それならば自分がお金を集めて依頼をしようと考えたらしい。

 少女のような事例はその他にも様々な国で見られ、HMDはその後多くの規制をかけられていくこととなった。



   ●



「それじゃあ行ってきます」


 目覚めてから朝食をとり、髭や髪の手入れを手短かに済ませ、シャツに袖を通して靴を履く――それが男のルーティンだ。


「いってらっしゃい」「いってらっしゃー」


 中谷清治は結婚していた。今日も妻と娘の声を背中に浴び、二人の返事に軽く手を挙げて応える。娘の希美のぞみは眠たそうな目をこすりながら見送りをしており、自然とその姿に清治は笑みがもれ、一日の活力の糧となっていた。しかし、今日に限っては罪悪感が彼の心を支配していた。


 玄関を出るとふっと息を吐く。十二月だと言うのに気温は十度を軽く超えており、白い息も見えずらい。清治は家族にをついてでも出かけなければならない理由があった。

 改札を顔認証で通り、自宅の最寄駅から電車を利用するが、今日は三十分以上電車に揺られ、普段滅多に訪れない駅に到着する。さらに乗り換えを行い、ようやく目的地付近の駅に辿り着いた。

 そこから歩くこと三十分。市街地から大分離れたこの町では、文明の進歩がまるで感じられなかった。少し移動しただけでこれほどまでに雰囲気が変わるものなのか、と素直に驚いた。


「ああ、中谷様ですか。はじめまして、天海と申します」


 受付で予約の確認を済ませると、数分後に天海と名乗るいう女性が現れた。本日の清治の担当のようだ。

 株式会社Connection――清治が訪れた企業である。シンプルすぎる名前ではあるが、実質この企業の行っている内容は「繋がり」なので正しいと言えるだろう。そこには繋がりをことも含まれているのだが。

 担当者の天海に連れられ、個室へ入る。


「本日はご利用ありがとうございます。中谷様の要望は『故人との面談』でしたね。我々も十年以上前の方の記憶データを取り扱うののは稀でして。そのため今回の面談も調整までに時間がかかり申し訳ありませんでした」


「いや、こちらこそ無理を言ってすみません」


 深々と頭を下げる天海に対し、清治も同様に頭を下げる。


「いえいえ、我々も日々技術を発展させていく必要がありますから。今回の件で課題も見つかりとても参考になりました!」


 熱意に圧倒される清治を置き去りに、天海は説明を続ける。

 HMDを生業とする企業は数多く出現したが、それに比例して、政府のかけた規制により法から逸脱した企業も多く存在した。そんな中でもこのConnectionは政府も認定する優良企業であった。


「――とまぁ、十年以上前の毛髪ですので、やや記憶の欠落している部分もあると思いますが、その辺りは大丈夫でしょう。もしあれでしたら、中谷様が補完を行う形をとりますが」


 天海の熱い説明も終わり、清治はその提案を手で制すと、彼女はにこりとした顔を崩すことなく退席した。その姿を後目に、清治は起動ボタンを押す。読み込みが終わり、の姿が浮かび上がった。



   ●



 道永真白が「同盟」を持ち出した翌日。再び清治は彼女と病室で二人きりとなっていた。今回は幼馴染の静香は来ていない。


「……それで、『同盟』って何のこと?」


「うーん、今日は落ち着いているね。昨日会ったばかりだからかなぁ」


「話をずらさないでほしいんだけど……」


「ごめんごめん、昨日言ったこと覚えている? 『恋を知らない』って」


「それは覚えているけど」


「そして清治くんも恋を知る必要があるってこと」


 一体どういう意図があるのか分からない。


「だから、私が教えてあげるよ」


 沈黙。


「そして私も清治くんを好きになる」


 さらに沈黙。


「どうかな?」


「……ごめん、混乱していて理解できない。そもそも道永さんは俺を好きじゃないんじゃ?」


「今はそうかもね」


「なら、こんなことしなければいいのに」


「私には、時間がない。例え偽物でも、恋というものが知りたいの」


 真剣な目で語る真白に対して、清治は何も言い返せなかった。彼女はさらに語る。


「それに――私は清治くんのこと、結構好きだよ」



   ●



 ホログラムにより浮かび上がった彼女の姿は少し幼い。生前の彼女の写真を基にAIが容姿を形成しているが、高校一年生時の写真しかアルバムには残っていなかったのだ。音声のみも可能ではあったが、やはり容姿が仮想でも存在している方が話している気がする。


《えーと、どちら様?》


 困惑するのは当然だろう。目の前にいる男は、十年以上の年月を経た元恋人なのだから。


「久しぶりだね、


《清治くん……?》


 清治は状況を説明した。とは言え納得できる話でもないだろうし、いま視認しているのが本物の真白ではないことも知っている。十三年前に彼女は亡くなっているのだから。


《へぇー、やっぱり技術の進歩はすごいね。眠りから覚めた気分》


 記憶と容姿に一歳差がある真白は現代の技術に感動しているようだった。そして清治もその笑顔に和まされ、あの頃の自分に戻ったような気がした。

 そこからの時の流れはあっという間だった。真白は主に今の世の中の流れや記憶のデータ化の仕組みと歴史について尋ねてきた。清治は自分が知っている範囲で説明した。その問題点や抗争、悲劇、奇跡、新たな技術の発見――。


 ピーッとアラームが鳴る。残り時間三十分の合図だ。


《何の知らせ?》


「……」


 二人の会話が始まってから、ずっと清治が避けてきたことを、時の流れは許さなかった。


「……ここまで黙っていてごめん、俺たちが話せるのは、後三十分だけだ」


《そう……》


 HMDの規制により、故人と話せる時間は二時間に限定されていた。今回清治が依頼したのも、過去に区切りをつけるためだった。




《……指輪》


 時間が刻々と過ぎていく中、真白の一言が静寂を破った。


「え、ああ、これか。うん、結婚したんだ」


《相手は誰かなぁ? 静香とか》


「当てられちゃったか。四年前にね」


《やっぱり。おめでとう、て言えばいいのかな》


 少し複雑そうな表情を彼女は見せた。深呼吸をし、清治は新たな話題を切り出す。


「『永続的に生きられるか』って、真白は昔言っていたんだけど、覚えている?」


《うん、覚えているよ。つい最近の話だと思ったのに。不思議だね》


 清治は頷き、指を組んだ状態で話し始める。


「あれからさ、十年以上の時を経ているわけだけど、やっぱり俺は永続的なものはないと思うんだ。始まりがあれば、終わりはあるんだよ、真白」


《うん、そうかもね》


「だから、俺は今日、別れを告げにきた。真白に貰った髪を利用して、こんな状況を用意したのに、残された時間は後少ししかない。本当に勝手なヤツで申し訳ない」


 こんなことで許してもらえるはずがないと知りながら、清治は頭を下げる。


《清治くんは真面目だなぁ。死んじゃった人にそこまでする必要ないのに……でも、私は話せて嬉しいよ》


「真白が言っていたように、今後もしかしたら永続的に生きられる技術が生まれるかもしれない。でも、俺はその願いを叶えることができない。あの『同盟』を結んだ時の、恋を知る機会を与えることはもうできない」


《あはは、あれは『同盟』とは言えないよね。私の一方的なお願いだったし。それに、私は分かったつもりでいるよ。恋を》


「あの時は俺しか異性がいなかったからじゃないの?」


《自分の知る世界の中では、あの時清治くんが一番だったのは本当だよ。会う度におどおどしてて可愛かったし》


「それ、男としては複雑なんだけど……」


 過去に関する話しでも、二人にとっての時間差は異なる。HMDがもたらした奇跡的な再会も、残り三分を切った。


《後数分しかないのに、話すこともなくなっちゃった》


「俺もだよ」


《話せて嬉しかったよ》


「うん」


《静香にもよろしくね、て言えないか。子どもは?》


「娘が一人。希美って言うんだ」


《いい名前だね。希美ちゃんにもよろしく》


「うん……」


《……清治くん》


「真白……」






 ――ありがとう。


 五文字の言葉が重なり合い、二人の二時間に及ぶ会話は終了した。

 それはつまり、中谷清治の十三年に渡る同盟にも終わりを迎えたことを意味した。彼の新たな人生は、ここから始まる。



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