第5話「暴君の休日」

 今週は色んな事があった。

 晴れて高校に入学出来た……。と胸を踊らせ登校した学校で変態に襲撃され、それを兄が撃退してくれた。

 そんな襲撃した変態と同じ学校に通う事に一抹の不安を覚えていたかと思えば、翌日にはその変態の弟と友達になる事が出来た。

 と喜んだのも束の間、又しても変態の襲撃に合い、流石に温厚な智夏もキレてしまい実力行使に出ようとしたなら、今度は見ず知らずの少年が助けてくれた。


 それから三日、今日は入学して初めての週末。学校が休みの日だった。

 薄手で智夏の体格には少し大きめのパーカーを羽織り、キチッと足の長さに裾併せをしたジーンズを履き智夏は春の麻九良市を歩いていた。


 今日は智夏の入学祝いを兼ねて家族で外食をする予定だった。

 だと云うのに今現在彼の周りにその家族は居ない。

 と云うのも彼の両親は超が付く程の放任主義者であり。こう言った家族での催しがある日でも「現地集合」が常であり。

 瀬名家ではこうやって一人で目的の場所まで赴く事が当たり前だった。


 智夏もそのスタイルに寂しさを覚えていない訳では無い。

 たまには皆で行こうと提案をしてみるのだが、両親は決まって定刻までデートするから無理と撥ね付けられる。

 40を過ぎて未だに休日はデートしているのは微笑ましくはあったが、その息子としては少し悲しかった。


 兄は兄で生徒会長としての職務と勉強が忙しく、予定の時間ギリギリまで家で雑事やら勉強やらをこなしている。

 そんな兄に折角の休みくらいゆっくりすれば良いのに……、と思ってしまう事も常だった。


 そんな各々自由な家族ではあったが、家族仲は他の家庭に比べてもかなり良好な部類だった。

 嫌、少し仲が良すぎて家族と云うより友達に近い事が欠点とも思える。


 まぁ、それは両親が若干アレな人だから仕方がない……。


 兎も角、色んな事があった一週間が漸く終わりを告げ。安息できる休日を向かえたのだ。

 余計な事は考えずゆっくり、じっくり休む事にしよう。


 そうは考えども智夏の脳裏にはあの謎の少年の事が浮かんでしまう。



「背が高い……、姉ちゃんを一撃で気絶させた……。それ多分、総治朗(そうじろう)さんだな」



 少年に助けられた後彼が何者なのか気になっていた智夏は、介抱後に無事意識を取り戻した尊士に容姿の特徴と何が起こったのかを説明し問い掛けた。

 すると尊士は総治朗と云う名を口にした。


 総治朗……、最近にしては凄く渋い名前だと感じたが。その風貌と立ち居振舞いを見た後では彼に合った名だと納得出来た。


 年は美羽莉と同じ17才、つまりは智夏の一つ上。

 何でも尊士達の両親の親友の子息らしく、昔から家族での交流があり親しい間柄だと云う。

 元々は他県に暮らしていたのだが、この春から麻九良市に親元を離れ単身越して来たそうだ。


 何より尊士が口にしたその理由が凄かった。

 武者修行の為……。

 今は西暦2000年を越えていると思わず突っ込みを入れたくなるような、時代錯誤も甚だしい理由に智夏は苦笑いを浮かべてしまったが。あの美羽莉を一撃で沈める程の実力を持っているのだ。それにも不思議と納得させられてしまった。



「おい、ボウズ」



 不思議な少年だった……。

 その出で立ちを見ただけで黙らせてしまうような空気が漂っていると云うか。

 余計な言葉を語らずとも説得力を持っている、そんな風に智夏の目には総治朗が写った。


 決してマイナスでは無い、寧ろ好感すら抱いた総治朗とはその後の三日出会う事は無かった。

 と言っても、総治朗と同様に美羽莉とも出会す事は無かったのだから上級生との関係など本来そうあるべきだと思えた。


 初日、二日目と嵐のやうに様々な事が巻き起こったが。その後の二日は至って平穏、平和その物だった。

 これが嵐の前の静けさにならなければ良いが……。



「おいボウズ! テメーわざと無視してんのか!」



 そんな不吉な事を智夏が考えていると、唐突にそんな怒号が響き渡った。


 突然何だ……?

 その声に驚きながら、智夏はその叫び声が聞こえた方へと視線を向けた。

 するとそこには智夏と同じ高校生くらいだろうか。揃えたように170センチ中盤ぐらいの身長の男達四人が智夏を睨み付けていた。


 自分を見てるな……。嫌、でも勘違いだろう。

 そう思い智夏は気にせず歩き出そうとしたが。



「何勝手に逃げようとしてんだ! 無視すんじゃねぇー!」



 やはり男達は智夏に声を掛けていたらしく、男達を気を止めず去ろうとする智夏に語気を荒げそう叫んだ。

 そう言えば先程から呼び止めるような声が聞こえていたような気がする。



「もしかして……僕に言ってます?」



 実際に呼び止められたと云うのに智夏は未だに自分に言っているのか半信半疑で、思わず間の抜けた事を問い返してしまう。


 それも無理は無いだろう……。

 暴君と呼ばれるようになってからと云うもの、こんなにもあからさまな敵意を向けられる事など無かったのだ。

 彼を前にした者は、年上も年下も、不良も普通の人間も恐怖し。皆彼の前から足早に去ってしまう。



「お前に決まってるだろ! お前以外に誰もいねーだろうが!」



 それがどうだ、高校に進学してそれまでの容姿から劇的に身形を変えたお陰か。こうやって彼を暴君と知らずに語り掛けて来る輩が現れたでは無いか。

 智夏は思わず感動した。これ程嬉しい事は無かった。

 漸く自分も普通の人間と同じになれたんだと心の底から歓喜した。



「あ、僕約束があるんで」



 だが、今はこんな柄の悪い輩に構ってる暇は無かった。

 家族との食事が待っている。待ち合わせの場所は麻九良でも有名なスイーツ店だ。

 甘い物に目がない智夏にとってはそれほど喜ばしい待ち合わせの場所も無かった。

 もし待ち合わせの時間に遅れでもしたら、鱈腹スイーツを食べた家族が直ぐに次の店へ行こうと言い出しかねなかった。

 遅れる訳にはいかない。定刻よりも早くついて思う存分スイーツを貪らなければならない。


 だからこそ、智夏は男達の目的が何なのか気にも止めず。そう一言告げてその場から去ろうとした。



「テメー……、舐めるのも大概にしとけよ!」



 と云うのに、自分達を意に介さない智夏の態度にキレた不良擬きの一人が怒りの余り智夏に掴み掛かって来た。


 男の手が背を向ける智夏の肩に掛かろうとした――。

 その瞬間智夏は背後を振り返りもせず、右手を真後ろに向かって振り抜いた。



――ドン!――



 すると、智夏の拳は背後に迫っていた男の鳩尾に裏拳の格好で入った。

 多少加減はしたとは云え智夏の腕力はその背丈に見合わずかなりの怪力であり。それが更に急所に入ってしまった為男は一撃で悶絶し行動不能になってしまった。



「ふぐぅッ……」



 男はそんな情けない声を漏らしながら膝をつき、前のめりに倒れ込もうとした。

 しかし、ただ倒れる事を智夏は許さなかった。智夏の背丈まで男の顔が下がったと思った瞬間、既にグロッキーになってしまった男に止めを刺すように。だめ押しとばかりに男の顎に体を捻りながら左アッパーを放った。



――ドガ!――



 そんな鈍い音が響いた後智夏よりも遥かに大柄の筈の男は宙を舞った。

 二撃目で完全に意識を失った男の体は数秒間空中を浮遊した後、3メートル程後方に仰向けに地面へと叩き付けられた。


 普通ならば仲間に何をすると連れ合いの連中はいきり立ち、智夏に襲い掛かろうものだが。

 目の前で倒れている件の仲間は白目をむき、ピクピクと痙攣し完全に意識を失っていた。

 こんな小さな子供に、それもたった二撃で伸された……。

 余りにも一瞬、余りにも唐突な出来事に何が起こったのか整理も理解も出来ず。ただ呆然とするしか無かった仲間の一人が、その惨状を見て思い出したように慌てて呟いた。



「も、もしかして……瀬名智夏……さんですか?」



 智夏の名前を一人の少年が口にすると残りの二人の少年の血の気が引いた。

 智夏の容姿を知らないとは云え、この界隈の不良でその名を知らぬ者は居ない。


 暴君だ……、有無を言わさぬ圧倒的な暴力で血祭りに上げた不良の数は千にまで届くと噂されている。

 無論そんなにも智夏が不良を相手にしてきた訳も無く、かなりその数は尾ひれが付いて盛られてはいたが。

 この辺り一体では暴君と魔王には絶対に喧嘩を売ってはならない別次元の存在だと畏怖されていた。


 そんな暴君智夏は自分の名を仲間の少年が口にするとニコッと微笑みを浮かべ、ゆっくりと残りの少年達に向かって歩き出した。

 否定も肯定もしないその姿は男達の目には余りにも不敵に見え、自ずとその行動が答えを指し示していると理解した。



「す、すす、すいませんでした! お、俺達貴方が智夏さんだって知らなかったんです!」


「勘弁して下さい! もう二度と調子に乗った事しませんから!」



 理解した後即座にその場に跪き土下座しながら謝罪した。

 智夏が暴君だったとしたなら自分達が到底敵わない。数十人を一人で蹴散らしたなどざらに聞く暴君の武勇伝だ。

 たった三人で太刀打ち出来る訳が無い。


 そう感じたからこそ即座に謝罪した訳だが、智夏はそんな男達の謝罪を聞き、土下座する姿を見てもそれまでの微笑みを崩さずゆっくりと男達に歩み寄って来る。

 その姿は恰も男達の謝罪には耳を貸さぬと告げているようで、このままでは伸された仲間と同じ目に合うと恐怖した男達は即座に智夏の前から逃げていった。



「勘弁して下さい! 勘弁して下さい!」



 そう何度も同じ謝罪を叫びながら、ちゃっかりと気絶した仲間を抱え上げ智夏の前から走り去っていく男達。

 その情けない後ろ姿を見つめながら「ふぅ……」と智夏は小さく溜め息を溢した。


 こう言った輩の扱いは手慣れている。今まで何度も同じように蹴散らして来た。

 だが、その度に彼の心に残るのは虚無感だけだ。何の生産性も無い。

 まるで弱い者虐めをしているような悲しさしか残らないのだ。


 兄のようにもう少し身長が高く、がたいが良ければ多少は無用なトラブルを回避する事も出来たのかも知れない。

 それに関しては父親似になってしまった事を多少なりとも恨めしく思わずにはいられなかった。


 かと云って逆に良すぎても美羽莉のように目立ち過ぎ、無用な厄介事に巻き込まれてしまうのだが。経験した事の無い智夏には分からない苦悩だった。


 ヒソヒソ――。しかし、少々派手にやり過ぎたようだ。男達が去った後辺りを見れば疎らにいる人々が智夏を見ながら何か小声で話している。

 土曜の午前中、近隣では最も栄えている麻九良にしては人通りが少なく。必要以上に目立たずに済んだのは僥倖だったが、折角高校進学に合わせて見た目を変えたと云うのに。この身なりで噂が広まっては全てが水の泡になってしまう。

 記憶される前にとっととこの場を後にしよう。



――パチパチパチ――



 そう考え、顔を隠すように俯き加減で去ろうとした瞬間。突然手を叩く音が聞こえた。

 人が殴り飛ばされる様を見た反応としては不可解であり。今まで喧嘩をして手を叩かれた事が勿論無かった智夏は怪訝な面持ちで音がした方を見やれば。

 そこにはニコニコと笑みを浮かべた三瀬総治朗が立っていた。



「やるなー智夏」



 そう笑みを浮かべながら総治朗は言い、手を叩く強さを強めた。


 突然の総治朗の登場にも驚いた智夏だったが、まるで祝福でもするかのように拍手される事で衆目の関心を更に集めてしまっている事に戸惑い。



「や、やめてください! 目立っちゃいますから!」



 そう慌てて総治朗に駆け寄り制止した。



「ん? 目立っちゃ何か不味いのか?」



 その智夏の反応に総治朗は心底不思議そうな表情を浮かべながら率直な言葉を告げた。

 確かに、あれだけ派手な事をしておきながら今更目立つもくそも無い訳で。

 その行動に対してその言動は本末転倒としか思えないのも仕方が無かった。



「ま、不味いですよ! だって僕、中学生の頃暴君何て呼ばれてて……、友達が出来なくて……。それが嫌で必死に頑張って今の高校に進学したから、目立ちたくないんです!」



 そんな総治朗の疑問に対し、智夏は切実な思いを告げた。



「暴君? 何だそれ? 変なあだ名だな……、三奈輪お前何か知ってるか?」



 しかし、この街に引っ越して来たばかりの総治朗が暴君と呼ばれる事が何れ程の意味を持つのか分かる訳も無く。不可解そうな表情を浮かべて真後ろに向かって語り掛けた。


 三奈輪――。その名を聞いた瞬間智夏は驚いたような表情を浮かべた。

 突然現れた総治朗、彼に連れ合いが居るとは思っても無く。それにも驚いたが、それ以上にその名には聞き覚えがあった。



「暴君? へぇー、君がそうなんだ。総ちゃんあのね、暴君って言うのは簡単に言うとこの街の不良の頂点の事だよ」



 そんな総治朗の言葉を聞くとその後ろに居た智夏よりも頭一つ分くらい背の高い少女がひょっこりと顔を出し、智夏の姿を少し驚いたような表情を浮かべながら見ると。ざっくりとした暴君の説明をした。


 不良の頂点……。端的に云えばそうなのだが、ニュアンスが少し違った。

 暴君自体は別に不良を指す名称では無い。

 そな有り余る力と、体格の特徴によって呼称されるようになった名称なのだ。

 不良なのだから呼ばれる訳では無く、どちらかと云うと想像を絶する力を持った者に与えられる呼称と云えた。


 普段の智夏ならまずその誤りを訂正したであろうが、この時はそんな場合では無かった。



「あ……、君は同じクラスの春日さん……だよね?」



 何故なら姿を見せたその少女の名と姿に覚えがあったからだ。


 智夏は友達を作る為にたゆまぬ努力を重ねていた。

 同学年の生徒の名と顔は全て把握し、友達になれそうな人間を調べあげていた。

 無論以上の理由によって彼女の事も知っていた。


 春日三奈輪(かすがみなわ)、出席番号は24番。廊下側の壁際が彼女の席であり。暗い……、と云う訳では無いのだろうが。何時もボーっとしていて誰かと話している所はこの一週間では確認する事が出来なかった。

 その落ち着いていると云うか、マイペースそうな姿から友達になれそうだと何度か智夏も話し掛けようとしたが。

 彼女は昼休みになれば決まってお弁当を持って何処かへ消え、放課後も帰宅部なのかそそくさと家路についてしまう為未だに話し掛ける事が出来ずにいた。


 そんな娘が正か総治朗と知り合いだとは驚いた。

 親しげなその姿からもしかしたら彼女なのかも知れない……。



「あれ、私の事知ってるの? 同じクラスなんだ……、ごめん私まだ同じ学校の人の名前覚えてないや」



 智夏の言葉を聞くと少し困ったような表情を浮かべた後、おどけたように笑いそう言った。

 智夏とは対極の答えだった。一週間観察して感じた通りやはり三奈輪はマイペースのようだった。


 智夏にとっては羨ましい答えだ。周りに流されず、我を通している。

 顔色を伺う事も無く、他人の視線など意に介さず、自分らしくある自然体の少女。

 その言葉から、その表情からそんな事が読み取れて。彼女に対する興味が俄然湧き起こってしまった。



「なら、改めて自己紹介するね。君と同じ一年三組の瀬名智夏、よろしくね春日さん」



 彼女へ対する興味が湧いたからこそ会話が出来る今が絶好の好機とばかりに。智夏はあざとく自己紹介をした。

 友達は出来るだけ多く欲しい。一人でも沢山作る為にわざわざ自分の学力以上の学校へ進学したのだ。この機会を逃す訳にはいかなかった。


 正直に云うと尊士だけでは心許ないと云うのもあった。

 想像を絶する変態の弟――。正直平常ならば絶対に近寄りたくない部類の人間だと云えたから、尊士以外の友達を早く作っておきたいと云う気持ちが強かった。



「智夏くんね……、オッケー覚えたよ。ただ智夏くん、私の事春日って呼ぶのはやめてね。苗字で呼ばれるのはちょっとくすぐったいから。三奈輪で良いよ」



 打算にまみれた考えを智夏が浮かべているとも知らず、三奈輪は智夏の言葉を聞くと爽やかにそう告げた。

 その言葉は数日前尊士が口にした言葉と似通っていて、智夏の心に深く突き刺さった。


 ああ、これが同年代とする普通の会話なんだ……。

 新鮮だった。何だったら尊士の時とは比べ物にならないくらい嬉しい響きを智夏の胸に与えた。



「わ、分かった。なら三奈輪ちゃんって呼ぶね」



 言ってもあっちは変態の弟だし、今度こそ普通の同年代の知り合いが出来たのだと。ちゃっかりと三奈輪との会話を重ねながらかなり失礼な事を智夏は考えてしまった。


 自分の預かり知らぬ所でどんどん貶されているとも知らず、哀れ尊士……。



「ははは、面白い奴だなお前は。自己紹介したくらいでそんなに嬉しそうな顔する何て」



 智夏が三奈輪との会話に感激にも近い感情を抱いていると。その表情から智夏の感情を読み取った総治朗が笑った。

 見ただけで分かるくらい嬉しそうな顔をしていたんだろうか……。


 表情がコロコロと変わって気持ちの悪い奴だと思われたら友達を作る以前の話になってしまう。

 そうだったとしたら気を付けなければ……。



「さて、面白い物も見せて貰ったしそろそろ行くぞ三奈輪。全く、美羽莉だけかと思ったら他にも面白い奴が居て楽しくなりそうだぜ」



 総治朗の言葉で自分を戒める智夏であったが。

 そんな智夏を尻目に、愉快そうに笑いながら総治朗はそう言い。三奈輪の頭を軽くポンポンと叩き合図を送り、智夏の前から去ろうとする。


 その言葉の最後に又意味深な事を言っていた。

 それがどういう意味なのか、前の言葉と言い気になっていた智夏は総治朗に慌てて問い掛けようとしたが。



「智夏くん気を付けてね、総ちゃんまともそうに見えるけど頭の中は誰が強いのかしか考えて無いから。自分が強いと思う相手と戦って自分が強くなる事しか考えてない格闘バカだから相手にしちゃダメだよ」



 智夏が問い掛ける前に彼の言葉の真意を三奈輪が教えてくれた。



「こら三奈輪、格闘バカは良いけど相手にすんなって言うな! 智夏のやる気が削がれたらお前マジグリグリしてやるからな!」



 そんな三奈輪の言葉に総治朗は格闘バカと呼ばれた事を否定するのでは無く、智夏の戦意を削ぐ言葉の方を怒り、三奈輪の頭を乱暴に掻きむしった。



「ああ! ごめんごめん! 総ちゃんのグリグリは本当に痛いからやめて!」



 元々智夏に無益な戦いをする意思などは無いのだが……、自分の余計な一言を悔いながら三奈輪は必死に自分の頭を掻きむしる総治朗の手を振り払い謝った。


 さっきは恋人同士にも見えていたが、その姿は仲の良い兄と妹のようで。微笑ましく見え、思わず智夏は笑みを溢してしまう。

 二人は自分と明子のような関係なのだろう。そのやり取りからそんな和やかさを智夏は感じた。



「心配しなくても僕は総治朗さんとは戦わないですよ。そもそも人を殴ったり、殴られたりするの好きじゃないですから……。二手って云う意味が良く分からないですけど、そんな目で見られても僕はぜったいやりませんから」



 だから智夏は二人の関係を壊さぬように、自分には総治朗と戦う意志が無い事を予め告げた。

 その言葉に総治朗は複雑な表情を浮かべる。


 オモチャを取り上げられた子供のような、残念がっているようにも見える。

 何故自分の名前を知っているのかと不思議がっているようにも見える。


 そんな色んな感情を内包した表情を浮かべた後総治朗は何かを告げようとしたが。



「二手……って嘘? 私でも四手なのに、智夏くんそんなに強いの!」



 その前に三奈輪が驚愕の表情を浮かべ総治朗に詰め寄った。


 二手……、四手?

 それが何を意味するのか想像もつかない智夏は何故三奈輪がそんなにも驚いているのか分からず困惑した。



「んー? まぁ、ざっくりとした見立てだけど、服の上からでも分かるくらい異常に筋肉が発達してるからな。下手したら腕力だけなら俺以上かも知れないぞ」



 そんな、驚愕する三奈輪に対し総治朗は初見で得た情報を口にした。


 確かに総治朗の云うように智夏は腕力に自身があった。生まれてからこの方力比べで負けたのは父くらいのものであった。

 そんな父とも最近では互角に渡り合えるようになって来たのだ。体格は非常に小さくとも腕力だけには自信があった。


 それを総治朗は見ただけで理解したのか?

 信じられない特技だ。どんな目をしているんだ……。



「そっか……、総ちゃんが言うなら間違いないね」



 さっきまであんなに信じられないと食いかかっていた三奈輪も改めて総治朗にそう云われると納得した。

 総治朗の眼力はどれだけ信頼されてるんだ……。



「こりゃ虎太朗も大変だわ。総ちゃんに、美羽莉ちゃんに、おまけに智夏くんまで越えなきゃいけないだなんて」



 そして、納得した三奈輪は又しても意味深な事を呟いた。


 突然名が上がった虎太朗と云うのは一体誰なのか……。

 まだ話がどのように展開して行くのか明確な指標すら出せてはいないと云うのに。次から次に新たなワードを出して伏線が張りまくられ事に智夏は混乱した。



「そうそう、その虎太朗が首を長くして待ってるんだ。これ以上遅くなるとギャーギャー騒ぎ始めるぞ」


「あ、そうだすっかり忘れてた」



 そんな混乱を来す智夏をよそに、虎太朗と云う名を聞くと総治朗は思い出したように三奈輪に促した。

 総治朗の言葉を聞くと自分で出した名の筈なのに三奈輪は染々とそう言い、智夏に背を向けると慌てたように早歩きで彼の前から去って行った。



「それじゃー智夏くんごめんね、私達約束があるから! 又学校でお話しましょ!」


「んじゃーな」



 去り際三奈輪はそう告げ、一瞬智夏に振り返り手を振ると彼の前から居なくなった。

 総治朗は総治朗で何か言いたげではあったが、端的に別れの挨拶を告げ彼女の後ろへと続いた。


 そして、その場に残されたのは智夏一人だけとなってしまった。


 まるで焼き直しのように感じられた。

 三日前、美羽莉を抱き抱え彼の前から消えた総治朗の時の焼き直しだった。


 折角再び会えた総治朗ともゆっくり会話をする事が出来ず。

 前々から友達になれそうだと目をつけていた三奈輪ともちゃんと会話をする事が出来ず。

 ただ、悪戯にニューワードが出ただけで終わろうとしている第5話にネタ切れなのかと余計なお世話だと言いたくなる事を考えながらも。

 智夏自身両親との約束があった事を思い出しその場を後にした。


 色々とすっきりしない部分はあったが、それでも総治朗と再び巡り会い。クラスメートの三奈輪とお近づきになれた。

 それだけで今日と云う意味の無いようにも思えた一日に意義を見付けられた智夏だったが。彼はまだ知らない。


 この後にこそ彼の今後を不安視させる絶望が待ち構えている事を、この時の智夏は知る由も無かったのだった……。

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