第4話「一陣の風」

 智夏が教室の外へ出ると、そこには昨日彼を襲おうとしたあの魔王が待ち構えていた。

 モジモジと体をくねらせ、頬を赤らめながら、智夏の登場を今か今かと待ち詫びていた。


 昨日の凶行を忘れ、改めて見ると容姿だけは本当に綺麗な人だった。

 その態度自体も少女然として、可愛らしいとも言えない事も無かった。



「ち、ちち、智夏くん!」



 そんな乙女美羽莉は教室から弟に連れられ智夏が出てきた事を確認すると、更に顔の色を赤く高揚させ言葉を詰まらせながら智夏の名を呼んだ。

 そんな彼女の恥じらうような言動を聞いて智夏は少しだけ自分の早計さを悔いた。


 良く見れば本当に普通の少女では無いか。

 昨日の一件と、その高い身長から常人とは掛け離れた感性の持ち主だと決めつけてしまっていたが。ちゃんと接してみれば良い人なのかも知れない。

 そう見た目や第一印象で彼女の人間性を手前がってに誤解していた事を恥じたのだが。



「さ、昼休みももう残り時間が少ないわ! パッパと行って直ぐ済ませましょう!」



 そんな彼の後悔を嘲笑うように次の瞬間智夏の腕を突然掴むと、何処かへと連れていこうとする。



「ちょ、ちょっと姉ちゃんどこ行くつもりだよ! 話が違うだろ、待てよ!」



 それに智夏以上に慌てたのは彼女の口車に乗せられ彼を此処まで連れて来た尊士だった。

 尊士は智夏の顔を見るなり彼を何処かへ連れて行こうとする姉を必死に制止した。



「うるさいッ、ガキはすっこんでろ!」



 そんな必死に止めようとする自分の弟に冷淡に吐き捨てると。



――ゴッ――



 あろうことか尊士の首筋に手刀を食らわせてしまった。



「うっ……」



 美羽莉の手刀を食らうと尊士はその場に倒れ込み気絶してしまった。

 血を分けた実の弟に容赦の無い一撃を食らわせるとは、外道きわまりない……。



「た、尊士くん!」



 自分を守る為に姉に楯突き返り討ちにあった尊士の無惨な姿を見て、智夏は思わずその身を案じ駆け寄ろうとしたが。

 美羽莉が掴む手の力は尋常では無く、並みの抵抗ではビクともしなかった。



「さ、邪魔者は消えたわ。保健室へ向かいましょ。あーもう……、バカのせいで更に時間を浪費しちゃったから一回くらいしか出来ないじゃないの」



 何をするつもりだッ!


 自分が気絶させた弟には目もくれない処かバカ扱いしながら腕時計を見やりそう嘆き不穏な事を呟いた彼女に、智夏は思わずそう心の中で突っ込みを入れた。

 実際に口にしなかったのは彼の返答に又昨日と同じようなとんでもない言葉が返って来るのが怖かったからだ。


 絶対に奴は淫らな事を考えてるに違いない

 奴の頭の中には不純異性交遊しか無いだろう。


 段々腹が立ってきた。

 普通の学生生活が送りたくて、必死に努力して入学した高校に突如として現れた敵。

 智夏の学生生活を滅茶苦茶にするだけでは飽き足らず、折角出来た初めての友達に暴力を振るった。

 その上又しても貞操の危機に直面させられている。


 台無しだ、何もかも、こいつのせいで……。


 許せなかった。込み上げる怒りを抑える事が出来なかった。



「離せ……、離せこの変態!」



 沸き上がる激情は拒絶の言葉となり智夏の口から放たれ、力一杯握られていた腕を乱暴に振り払った。



――バッ!――



 確かに美羽莉の握力は常人と比べれば遥かに強かったが、そこは小柄とは云え暴君と呼ばれ恐れられる少年。

 少し強めに振り払うと難なく美羽莉の腕から抜け出す事が出来た。


 それに美羽莉は驚きを隠せないようだった。「え……?」と間の抜けた声を漏らすと驚いたように振りほどかれた自分の手を見た後、呆然と智夏を見つめた。


 本気で掴んでいた訳では無い。彼女が本気で人の手を掴めば華奢な人間の腕なら容易く折れてしまう。

 だが、決して加減していた訳でも無い。

 漸く智夏と二人きりになれるチャンスが訪れたのだ。この機を逃すつもりは無く、逃げられぬように最低限の力は込めていた。


 それが雑作も無く振りほどかれた。

 意外だった。その見た目に反して智夏が高い腕力を有していた事に驚きを隠せなかった。



――ニマァ――



 普通の神経の持ち主なら変態と罵られ、乱雑に繋いでいた手を振りほどかれればショックの一つでも受けそうだが。彼女は普通の神経など持ち合わせてはいなかった。

 笑ったのだ……、あからさまな拒絶を智夏が示したと云うのに。薄気味悪い笑みを浮かべ智夏を見つめている。


 ゾゾゾッ――。彼女の笑みを見ると智夏の全身に鳥肌が立った。

 得体の知れない恐怖が彼の心を覆い尽くした。


 常軌を逸している……。頭が可笑しいとしか思えない……。

 この人は常識と云う物がそもそも欠落してるんだ。


 嫌、そんな物持っていたら無理矢理彼を何処かへ連れて行こうとはしない訳だが……。

 その表情からそれを感じ取った智夏は恐怖した。

 恐怖した上で覚悟した。


 この人とは幾ら言葉を交わしても無駄なのだと。

 だったら、力ずくでも分からせなければ自分の身は守れないと彼は漸く悟った。



「智夏くん意外と力強いんだね……、私ビックリしちゃった」



 そう言い、変わらず薄気味の悪い笑みを浮かべながら美羽莉はジリジリと智夏との距離を詰めて来る。


 力どうこうの前に変態と貶された事を気にしろ!


 そう吐き捨てたい衝動に襲われながらも何を言っても無駄だと理解した智夏は距離が詰まらないように一歩、又一歩とゆっくり後退していく。

 急激に動いたら襲い掛かって来そうな気がしたから……。



「私こんなガタイだから人よりも力が強くって色々と困って来たの。やれゴリラ女だとか……、魔王ってあだ名もそうよ。とても女の子相手に呼ぶような呼称じゃないわ」



 それは暴君と渾名され疎まれてきた智夏には痛い程分かる話だ。

 同情してやりたいのも山々だった。


 山々だったが、暴君として扱われる事に辟易していた智夏とは彼女は明らかに違った。


 魔王と呼ばれる事を、自身の恵まれた腕っぷしの強さを楽しんでいるようにしか見えなかった。

 彼女には彼女にしか分からない苦悩があるのかも知れない。

 しかし、そんな苦悩を今の彼女から感じる事は出来なかった。


 先程までとても文字には出来ないような卑猥な事を智夏にしようとしていたのに。自分が想像しているよりも智夏に腕力が備わっていると理解した彼女は、その表情とは裏腹に恰も獲物を前に高揚する猛獣のようなオーラを放っていた。


 嫌、別の意味で襲おうとしていた先程も猛獣と云えば猛獣だったのだが……。



「だからね、ずっとずっと思い描いてた理想があるの。この先付き合う人が出来たら、私と対等に渡り合える人が良いなって」



 そんな猛獣は自分の理想を語りながらそれまでと変わらず距離を詰めて来る。

 何と無くその先の展開は分かった、会話の終わりが近い……。

 恐らく次の言葉の後襲い掛かって来るだろう。


 それを悟った智夏は後退する事を止め身構えた。

 この手の輩は身をもって分からせなければダメなのだ。


 年齢が一つ上で体格差もある。性別を考慮しても余りある力量差は明白だ。

 普通に戦ったら勝てないだろう。

 だが、智夏も今まで暴君と呼ばれ恐れられて来た自負がある。


 ただでは屈しない、この変態に見せ付けてやる。教えてやる。

 自分が拒絶されていると云う事実をその身に、その脳裏に叩き込んでやる。



「それが一目惚れした人が私と同じくらいの力を持ってる何て……。私……、私……、もう我慢できない!」



 そして、そう悶えるように叫ぶと想像通り襲い掛かって来る変態。



――お前は一生悶え苦しんでろ!――



 何処まで行っても手前がってな美羽莉に対し智夏は心の中でそう吐き捨てると右拳に力を込めた。


 こうして暴君と呼ばれる少年と、魔王と呼ばれる少女の貞操を賭けた頂上決戦が幕を開ける……。



「学校で何をしてんだこのバカッ!」



 事は無く、正かのバトル展開は唐突に終わりを告げた。



――ドンッ、ドサッ――



 突然臨戦態勢に入った美羽莉の背後に人影が差したと思うと、美羽莉の背後に立った人物はそう叫ぶと美羽莉の首筋に当て身を食らわせた。



「うっ……」



 当て身を食らった美羽莉は小さな呻き声を上げその場に倒れ込んで身動き一つ取らなくなる。

 気絶した……、のは分かった。まるで先程の尊士の焼き直しのような光景だった。


 しかし、腐っても魔王と呼ばれる少女。普通の人間が当て身を食らわせた所で意識を奪えるとは思えない。

 思えないと云うのに見事に気絶している。


 一体誰が……。

 急すぎる展開に思考が混乱しながら、智夏は突然現れたその人物を注視した。


 お兄ちゃん……。では無かった。

 背は兄や美羽莉と同じくらい高いが服装が対照的だった。

 生徒会長をやっている手前兄は教科書に書いたようなしっかりとした制服の着かたをしていた。カッターのボタンも首筋までしっかりと止め、ネクタイも学校に定められた通りしている。


 それが、目の前の人物はカッターのボタンは胸までしか止めていない。その下に着ているのは学校指定のシャツでは無く、バンドか何かのロゴのような物が描かれているTシャツだった。

 はっきりと見えるくらい胸の部分がはだけていた。

 それが分かると云う事は勿論ネクタイもしていない。

 カッターとブレザーの襟も変な角度で曲がっている。アイロンをかけていないのだろうか……。所々皺が寄っててだらしない印象しか受けない、見るからに不良学生と云う出で立ちだった。



「全く……、久し振りに会ったと思ったらこんな小さな子に襲い掛かろうとしやがって。バカが加速しすぎだろ……」



 突然現れた不良学生風の男はそう呆れながら美羽莉の横にしゃがみ込むと、彼女を抱え立ち上がった。

 その言葉から美羽莉の知り合いなのは分かった。

 どういう関係かは勿論智夏には分からなかったが、顔見知り程度の間柄で無い事だけはその言葉と行動で分かった。



「おい少年、バカが変な事しようとして悪かったな」


「あ、いえ……」



 男は気絶する美羽莉を両手に抱えながら、美羽莉の非礼を詫びた。

 その風貌から感じられた不良っぽさはその言動と表情からは感じられず。美羽莉に比べれば圧倒的に常識を持った好青年のように感じられた。


 そのギャップに戸惑いながら返答をした智夏だったが、そんな智夏の姿を見ると男は少し驚いたような表情を浮かべながら、智夏の頭の天辺から爪先までまじまじと見つめた。

 まるで品定めでもされているような視線だった。



「へぇ……、二手ってとこだな」



 男の視線に智夏が居心地の悪さを感じていると、男は小さな声でそう呟いた。

 二手……、何の事なのか……、智夏には理解出来なかった。



「少年名前は?」


「ぼ、僕の……ですか? 瀬名智夏ですけど……」



 そんな智夏の戸惑いを知ってか知らずか、男は唐突に智夏の名前を問い掛けた。

 不可解な態度を取る男ではあったが、第一印象は変わらず決して悪人には見えなかった。

 だから敢えて嘘を吐く事も無く、智夏は戸惑いながらも名を告げた。



「瀬名智夏ね……、楽しくなりそうだ」



 智夏の名を聞くと男は小さな声でそう呟いた。

 楽しくなりそう……、その言葉の真意は全く理解出来なかった。想像も出来なかった。


 ただ、男の表情は印象的だった。

 新しい玩具を与えられ胸を踊らせている子供のように無邪気な笑みを浮かべていた。



「んじゃ智夏、尊士の看病よろしく。俺はこのバカにきつーく説教しなきゃならないから」



 男の不可解な言葉と表情に困惑する智夏を他所に、男は唐突にそう言うと美羽莉を抱えたまま智夏に背を向け手をヒラヒラと振りながら去って言った。



「あ、あの……! 行っちゃった……」



 突然現れて窮地を救ってくれた礼も、ましてや男の名も聞いてはいなかった智夏は彼を呼び止めようとしたが。

 智夏の声に気付かなかったのか、或いは気付きながらも敢えて反応しなかったのか……。そのどちらかは分からなかったが男は一度も智夏に振り返る事無く彼の前から去って行った。


 そして、残されたのは余りにも急すぎる展開が続き、事態の把握が出来ないでいた智夏と、気絶したままの尊士と、嵐の後の静けさだけだった。


 何が起こったのか……。

 嫌、これから何が起ころうとしているのか現時点で智夏には知る由も無く。

 ただただ、一陣の風のように男が去った方を呆然と見つめる事しか出来なかった。


 その出会いが智夏の今後の学生生活を劇的に変える事になるのを知るのは、これよりももう少し後の話である。

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