スーサイド・フロム・ラブレター
気づいたら、なんともくそったれた人生だった。
親族は私に興味のひとつも向けたことがない。子供は所詮世間体をよく見せるためのもの、アクセサリーのようなものとしか思っていない。自分自身、それが当たり前だと思っていたし、親はそんなものだと思っていたが実際は違うらしい。そんな世の中だった。
屋上で、白紙の手紙を抱えている。秋口あたりのこの季節は、夕方少々肌寒いが別にどうってことない。
風がひゅうひゅう泣いている、なんて文豪は記しそうだが私のひねくれた脳には「嘲笑っている」ようにしか記されないし、そうとしか感じない。この何も書かれない虚無の手紙だって、所詮君がくれたガラクタの花束だ。君が私に与えたもの、それは、絶望の愛と救いようもない生き方、そして愛されたいという欲求だった。
なんともタチの悪いものを与えてくれたね、君は。愛と欲求を知ってしまった私は、これまでの何も感じない日々がまるで汚物のようにしか見えなくなった。君が笑えば世界が輝くとか、阿呆らしいことまで考えられる。今までの私がこの状況を見たら皆、口を揃えていうだろう。
「夢なんて観ても何もならないじゃあないか」
屋上のフェンスから腕だけを差し出す。風に飛ばされ、手紙がばら撒かれていった。そんな夢みる少女なんて消えてしまったよ。今君からもらったガラクタの愛を捨ててしまえば、この息苦しさも少しだけ変わるとか馬鹿みたいだ。そう思ってもそれに縋った。縋ることで、少しでも楽になりたかったのだ。
階段で地上まで降りた帰り道、雲行きの怪しい空を見上げる。
ひと雨くる気がする。いや、もう小雨が降っている。
溜息を吐いて鞄をあさっても折り畳み傘などの類はない。
それがますます気分を沈めた。
灰色の空、ぽたぽたと降る雫が髪に当たって落ちた。冷たくはない。
ひとり、傘も差さず雨降る夜道を歩いていた。車のライトがチカチカしていて、目が痛い。ボンネットに乗る雨粒がするりと沿うように滑り落ちていった。道路の端っこにある水溜りにタイヤが乗って、しぶきを上げた。靴下までも濡れてしまう。
昨日のこと、明日のこと、今日のこと。全部忘れてしまえるよう、両耳に突っ込んだイヤホンから流れる音楽で全てかき消す。それでも雨に打ち付けられながら、君のことを考えてしまう。君が私では幸せになれないこと。告げた言葉の意味を君は知らないこと。君の好きは、私ではないこと。なんで音楽でかき消せないのだろう。明日誰かとちゃんと笑えているか不安とか、そんなことはかき消せるのに。君のことは両耳から流れる音楽ではかき消せない。思考中の、ただの環境音と同等だ。
くだらない思考のなか、下を向く視界の端に君が映った。
そんな、まだ神様は私に試練を与えたいのか。
雨音はまるで最初から居ないように、静かになる。
もっとちゃんと、ほら観てごらんよ。
そう言わんばかりに、視界は君を捉える。
君は優しそうな誰かと、傘をはんぶんこして歩いていた。長くさらさらしていそうな髪。陶器のような白い頬と薄紅色の唇。くりくりとしたおおきな瞳。ころころと変わる表情に花が咲くような可愛らしい笑顔。何もかも私にはないもの。そして君が愛する誰かのもの。私には、そんなもの存在しない。
君と誰かが繋ぐ手のひら。少し頬を染めた君の表情は、私に見せたことのないもので。
そして君の唇から言葉が紡がれる。聞き取れなくても、その表情でわかってしまう。回転の早い頭がどうしようもなく憎かった。
「好きだよ」
そう紡がれた言葉。私にはもう二度と紡がれることのない言葉。
胸が悲鳴を上げた気がした。ズキズキと痛む胸に、こみ上げる涙がもう限界だといっている。
君と誰かが路地裏へ消えていったのを尻目に、近くにある公園に安定しない視界のなかたどり着く。
雨で湿って濡れているベンチに顔を埋めた。涙が止まらない。しゃくり上げて、何度も呑み込んできたはずの涙がこぼれ落ちる。雨なのか、涙がなのか。それすらもわからなくなるほど、泣いた。頬にはいくつもの線が描かれていた。
君と私が笑いあえている未来、そんな未来やってこないよ。
君と私の時計を合わせることができたら、そんなことできたら苦しんでないよ。
想像しても叶わないって何度思い知らされたか。
愛されたい。親にも、君にも、愛されたい。愛しているの、ねえ。
「私を愛して」
愛して、愛されたい。叶わない未来がどれだけ私を苦しめているか。
「私を愛してよ、兄さん」
湿ったベンチにぽたぽた、涙が落ちた。
もう限界だった。
誰にも愛されない私に存在意欲はなかった。
前までだったら、傘をはんぶんこできたのに。
「妹としか思ってないよ」
恋を自覚した頃に聞いた言葉。
もう側にいられない、そう思って逃げるように帰った。私はただの妹に過ぎなかったのだ。夕暮れた空が憎い。
「彼女ができたんだ」
そう紹介されたとき胸が張り裂けそうだった。貼り付けた笑みでお似合いだねと呟いたことだけは覚えている。
愛が胸にあるコップから溢れ出して、だらだらと胸を染めた。もう限界だ。何回も好きだと言いたかった。言えない私が憎かった。誰にも必要とされない、兄さんからも愛されない私が憎かった。兄さんから愛される誰かが憎かった。
愛してたって記した紙を紙飛行機に折る。それを手に取る。
もう生きていたくなかった。
死にたかった。
兄さんは何も知らないから、当然のように優しく笑うだろう。
もう命の糸を引きちぎってしまいたかった。
夢なら素直に笑えて、隣にいれるのにな。
自室の窓を開け、紙飛行機を飛ばす。雨に打たれた紙飛行機はそのまま力を失って、そのまま地に堕ちる。
私の恋はそんなモンだったのだろう。言葉の雨に負けた、惨めな恋。
紙飛行機を見送って、窓を閉めた。
ハサミを手にとった。もう何回死のうとしたかわからないけれど、今日はもう死ぬつもりだった。
首筋に当てる。
瞼を閉じれば兄さんとの思い出と、笑顔が映る。
それを搔き切るようにハサミを滑らせた。
血しぶきが弾けて、目の前に火花が散った。そして白くなる。
終わった。
くそったれ人生なんてゴミ箱だ。
終わった。
嗚呼
さようなら、私の兄さん。
そう思ったら最後、完全に意識が消えた。
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