りんご飴の甘さ
「クソッッ」
またテスト用紙をぐちゃぐちゃに丸めくずかごに放り投げる。思い通りに行かない日常で、成績も上がらず、もうすぐ受験生なのにという親の声も苛ついていた。思春期という年頃のせいか素直になれないのも、自分を苛つかせる要因のひとつだった。
深い深いため息を放つ、心に淀んだ黒い想いまでも吐き出して消え去ってしまえばいいのに。
苛つきに任せて染めた襟足の赤も、耳たぶのピアス穴も、全部全部全部消えてしまえ。そしてそんなことで思い悩む僕自身までも。全てを透過したい。
頭を抱えて、ベッドに横たわる。
側に備え付けられた窓から、青空が澄み渡っていた。もくもくと入道雲がそびえ立ち、白い鳥がたくさん舞っていた。
するりと自分の部屋の扉を入り込み、俺の隣に飼い猫である黒猫が踞ってゴロゴロと喉を鳴らした。
その黒猫を掴み上げて、その顔を凝視する。
「おまえ、ほんとに可愛くねぇ顔してんな」
そう言うと言葉が通じたかのように、ニャッと太い声を出して猫に顔を引っ掻かれた。頬に引っ掻き傷でもできたんじゃないかってくらい頬に痛みが走り、思わず手を添えた。
猫は自分の手から抜け出し、先程のベッドの端っこ、俺の隣でまるまって眠りに入ろうとしていた。
コイツ、寝る気かよ。と、思わず口に出そうになったが、呆れて喉につかえたまま自分もベッドに寝転がる。
勉強しなきゃ、そう思いながらも心が重くなり眠りたくなった。鉛を飲んだみたいに、重くて苦しい。
うとうと、と眠りこけていると扉の開く音がした。
「やっほー、生きてる?」
聴きなれた声。
また来たのか、と心の奥底で思ったが眠気には勝てないのでそっと瞳を閉じようとした。
「起きましょうね、まだお昼ですから」
そうやって声の主は俺の頬の引っ掻き傷の部分をつまんで思い切り引っ張った。
「イッッ!?」
あまりの痛さに声じゃない声を発しながら飛び起きる。隣では君がニマニマと笑いをこらえながら、立っている。じんじんと傷跡は痛む。
「あー、おもしろい!」
くすくすと笑う君を思い切り睨みつけながら、痛む頬を抑えた。
「なんだよ、なんの用事?」
「いやー、用事ってほどじゃないけど、君はどうせ家に引き篭もってゲームでもしてるんじゃないかなぁって思って来てみたんだよ。そしたら案の定だったね」
「そんなんで俺の部屋来んなよ、母さん居ただろ」
「君の家なんて顔パスだもの。何年幼馴染みやってると思ってるの?」
そう人を痛みつけて笑っているサイコパス(仮)は、俺とふたつ違いの幼馴染みなのだ。昔から何かと面倒を見てくれるし、高校でなかなかの好成績を叩き出している彼は尊敬するけれど、よく比べられて嫉妬もしていたこともあった。
だから中1くらいの時から避けてきたのだが、彼は変わらず俺の部屋に来るし、ゲームを勝手にやり出すし、勝手に寝ていることもある。そして何故か俺の飼い猫と仲が良い。何も変わらず接してくれる彼を感謝しているのが現状で、素直になれない俺は憎まれ口を叩き合う事しかできない。だから今日もこうやって。
「幼馴染みだからって無断で俺の部屋に入っていいなんて言ってないだろ。」
「いーでしょ、僕が好きでやってるんだから。」
「良くねぇよ」
「まぁまぁそんな君に良いお誘いがあるんですよ」ベッドの端っこに腰掛けた君は微笑んで言う。
嫌な予感。
そんな予感が的中する気がした。
「僕と夏祭りに行こうよ。」
なんで俺はこんな人混みのなかに来ているんだろう。そうだ、アイツが俺なんかと夏祭りに行きたいと言い出したからだ。クソ、人混みなんか得意じゃないのに。
顔をしかめて、人混みを掻き分ける俺と反対に君は嬉しそうに笑いながら祭りの中に溶け込んでいく。
「すっごい!久しぶりに来たけど、やっぱり祭りって楽しいな!」
そう思うだろ?って振り返ってにこりと微笑む君になんとも言えない気持ちが胸を突く。
「俺、人混み得意じゃないから。」
「そーんなこと言っちゃって。小学生くらいのときは僕と祭りだーってはしゃぎまわってたくせに。あの頃の君はとってもかわいかったなぁ、それにさ」
「あーー!うるさいうるさい、人の恥ずかしい過去バラすなよ!」
耳を両手で塞いで騒ぐ俺に、君は吹き出すように笑っている。
するとやはりこの街で有名な夏祭りだけあって、たくさんの人がこちらに押し寄せてきた。一瞬君が人に流されて行くのを察知して、思わず手首を掴んだ。
ある程度人波を過ぎ去った場所まで手を引いて、人混みを掻き分ける。絶対に離すなよって後ろを振り向いた俺は君がうつむき加減にうん、と返しただけであることに特に疑問を持たず、ただ前を向いて歩いた。
ここならあんまり人も来ないだろう。そう思える場所までたどり着くのに相当時間がかかってしまった。縁結神社の長い階段前の木陰でうちわを仰ぎながら、君の手を離す。
「お前ほんと人混みに気を付けろよ…昔から興奮するとすぐどっか行っちゃうから慌てたじゃんか。」
そういつもの調子で言う。
しかし、いつもならからかってくるはずの君が無言でいるので思わず不安になり顔をのぞき込んだ。
「おい、だいじょうぶかよ。飲み物でも買ってくるか?」
前髪で隠れていて君の表情はよく見えなかったが、繋がれていた手首をぼぉっと眺めているのだけはわかった。
「おーい、生きてるかー?」
ひらひらと顔の前で手を振ってやったら、君はハッとした表情をしたあとすぐに笑顔を浮かべた。
「生きてますぅ!それより、いきなり手を繋ぐなんてヘタレな君が良くできたね!女のコ相手だったら女のコすぐ惚れちゃうんじゃない?」
ペラペラと流暢に喋る君にいつもなら憎まれ口を返す俺は何も言わず、ただ君の黄金色の瞳を見つめた。俺よりふたつも年上のくせに、童顔だからと幼く見える顔があまり好きじゃないと君は悲しそうに言ってたっけ。そんなことを考えていたら、君が心配そうに見つめたあと、俺の両手を握って言った。
「ほら、早く祭りを堪能しようよ!屋台行こ、屋台!」
そうやって笑う君に何度となく救われている気がするんだ。
射的で上手く行かない君を横目に、君が欲しいものを上手く当てて悔しそうに嘆く君にプレゼントしたり。たこ焼きをふたりでひとつ食べて、膨れる君の頬がたこ焼きみたいだって笑ってやったら余計に君の頬が膨れたり。金魚すくいで「レイニー」って隣にいる青年に呼んでいる男を見かけ、レイニーなんて変わった名前だなってふたりして首を傾げたり。
こんなにも笑ったことないってくらい、たくさん笑った。
君の存在がどれだけ俺を救っているか気づいた。
君が俺をどれだけ心配していることも。
「次、どこ行こうか。」
楽しいねって笑う君と隣り合わせで歩いているとひとつの屋台に目がいった。
りんご飴。
赤色の飴が艷やかにりんごをまとっていて、とても美味しそうだった。思わず立ち止まって、屋台のおじさんにひとつくださいって言ったあとお金を払う。
そして手に取った艷やかな赤色を君に差し出した。
「え、僕に?」
「そう、今日誘ってくれたお礼。」
「そんな、いらないよ。僕の我儘に付き合ってくれたのは君じゃないか。それにお金も。」
「いいんだよ、それにお前に似合うと思ったから。」
「……うん、そっか、ありがとう。」
花が咲くように微笑む君はりんご飴の先端をちろちろと舌先で舐める。そして少し囓ってみると、また嬉しそうに笑う。
「美味しい!甘いよ!ほら君も食べてみてよ!」
そう差し出されたりんご飴。どう食べようか、悩んだが、君の手首を掴んでりんご飴の先端を齧り付く。
「甘すぎ」
君はあっけからんとした表情でぼんやり俺を眺めていたが、その後、そっかぁと寂しそうに微笑む。
しばしの沈黙が訪れた。
りんご飴を齧り付く君と、夜空を眺める俺。
その沈黙も苦しいと思わないのは、長年の付き合いだからだろう。そう信じていたい。
気づいたら、屋台が並んでいる場所から離れた川辺にふたりして座っていた。未だに君はりんご飴をちろちろとなめている。未だに俺は夜空に打ち上がる花火を眺めている。沈黙が包み込むように、優しく時を流していた。
そんなとき、君が沈黙を破る。
「僕はさ、離ればなれになったとしても君を探すし、君を弟として、友達として、幼馴染みとして大切にしているんだ。たとえ神様が僕らを引き剥がす事があったとしても、僕らは地球の裏側で出会えると思う。君が泣いたら僕も泣くし、君が笑ったら僕も笑う。そんな僕らの出会いが運命ならいいよね。そう、運命なら。」
りんご飴を唇に当てて、君は微笑む。少しその横顔は寂しそうだった。
「だからね、君にはもっと笑っててほしいな」
君の笑顔は、向日葵みたいだから。
そう言った君は何処か消えてしまいそうで。俺はなんとも言えない気持ちがまた胸を突いている。そしてまた思ってもない言葉を吐くことしかできない。
「なに恥ずかしいこと言ってんだよ」
憎まれ口しか吐けない自分がとても惨めで。
耳鳴りのような心の鼓動を隠している。
君は、変わらず寂しそうに話す。
「恥ずかしい事かもしれないね。」
そんな君はやっぱり消えてしまいそう。
胸がどんどん苦しいくらい鼓動を早めていく。いつもの憎まれ口を吐けよ。いつものからかい口調はどこ行ったんだよ。言いたい言葉はたくさんあったけど、君がその言葉を遮った。その顔は子供みたいな、いつもの笑顔だった。
「君がどれだけ苦しんでるか、僕は全てを理解できないし、君の苦しみは君の持ち物だから、僕が持つことはできないんだ。でもね」
少し苦しそうな君の頬に涙がつたる。
「君が僕に劣等感を感じていたのは知ってる。だけど、僕はどうすることも出来なかった。ただ普通を演じることしか、ね。だけど、だけど。」
そのとき思ったんだ、と君は呟く。
「君を苦しめる僕なんて死んでしまえって。」
そこまで言うと君は俯いた。
俺は正直、たくさんの衝撃が胸を襲っていた。君に劣等感を感じていたのを君が気づいていたこと。そんな君はそれでも普通を演じてくれていたこと。そして俺を苦しめる自分なんて死んでしまえばいいと思っていたこと。
なんで、なんで。
思わず俺は口を開く。
「なんで、そこまで我慢するんだよ!なんで、俺を苦しめているからって死んでしまえなんて思うんだよ、お前が死んでしまって残されたこっちの気持ちにもなってみろよ!それにお前が居ないと俺は、俺は…」
君は驚いたように目を見開いていた。
「俺達は運命なんだろう?だったら俺はお前が居ないと生きていけないし、お前は俺が居ないと生きていけない。だから、死んでしまえって二度と思うな。」
それと、と俺は言葉を続ける。
「俺をこんなにも心配してくれてありがとう。」
最大限の笑顔を見せられた気がする。いや、俺も泣いてたかな。
でも君は、驚いた表情からふっと笑って敵わないなと呟いた。
そして何かを言おうと口を開いた。
「 」
花火が夜空に打ち上がる。ドカン、ドカンと音を立てて。その光が照らすのは、俺と君だけ。ふたりの影が伸びては消えた。
「悪い、花火の音で聴こえなかった。」
そう謝ると君はいいんだよと笑い、帰ろっかと言って砂ぼこりを払う。
俺もそうだなって言いながら、君の手首を掴む。
「またどっか行っちまうのは困るから」
「あぁ、うん。」
君の体温は暖かった。それに何故か安心した。
まだ気づかなくていいって君が呟いたようだったけれど、俺は聴いていないふりをした。聞かなくていいことだろうから。知られたくないことだろうから。だから聴かないことにする。
口のなかに残るりんご飴の味は、やはり甘い。
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