3章 絆の試練と迫りくる文化祭編

第1話 「わたしの匂いを擦りつけてるの」

 2学期が始まってから初めての週末。

 幸先が不安だったが、今のところ順調に進んでいる。

 学校では雨宮やシャル、カザミンと休み時間の度に話している。アキラともまだぎこちない空気はあるものの挨拶程度は交わるようになった。このペースで進めば、近い内に前のように話せるようになるのではないだろうか。

 個人的にそんな淡い期待を抱いているが、雨宮はあまりアキラのことを気に入っていない。

 シャルも似たようなことを言っていたが、あれは初心者狩りをしていた頃のアキラに対してだと思われるので、今のアキラなら大丈夫だろう。カザミンは特に問題なし。故に雨宮とアキラがぶつからないか、それだけが地味に不安だ。

 ただ、俺は明日景虎さんの家に行かなければならない。週に一度は会うみたいなことになってるから。

 あちらが体調でも崩さない限り、顔を出さなかったら機嫌を悪くするだけ。そうなれば俺の身に何かが起こってもおかしくない。だから今はまだ見ぬ争いより目の前のことだな。

 そう結論付けて自室に入ったら……


「あ、お帰りお兄さん」


 小さな暴君が俺のベッドでくつろいでいた。

 まあこの子は中学生だからね。だから高校生の俺よりも学校が早く終わってもおかしくない。でもさ、何で俺の部屋に入ってるの?

 今日は父さんも母さんも仕事だから対応できる人いないんだけど。俺が帰宅した時、ちゃんと玄関の鍵は閉まってたんだけど。というか、この子ここまで歩いてきたんだよね。なのに長袖のパーカーって暑くないのかな? 日焼け対策なら日焼け止め塗ればいいだろうに。


「どったのお兄さん?」

「いや……君がどうやって家の中に入ったのか分かんなくて」

「あーそれはねぇ」


 お願いだからこっそり合鍵を作ったとか言わないで。言われてもこっちは恐怖しか感じないから。


「少し前、毎日のようにわたしここに通ってたじゃん。だからお兄さんのお母さんと意気投合しちゃって」

「そうかそうか……そんな風に一気に結論に飛ばれると全然分かんない」

「だからぁ……お兄さんのお母さんとは話す機会があったし、夕食の買出しとかしてるとスーパーで会ったりもするの。そんでうちの汚ネェちゃん共々お世話になってますって電話とかもしたら、見事にアカネちゃんはお兄さんのお母さんに気に入られましたとさ」


 オーケイ、完全に理解した。

 つまり俺の母さんが君にうちの合鍵をプレゼントということだな。

 警戒心がないような行動のように思えるけど、昔から母さんの人を見る目は確かだ。実際アカネ氏も言葉遣いがあれなところはあるが、基本的には常識人。家事全般得意だし、母さんからすれば礼儀正しい子で……俺のお嫁さん候補と考えているのだろう。 


「さらに補足すると……料理とか得意ですって言ったら、お兄さんのお母さんからいつでもお兄さんのご飯を作りに来てもいいって言われちゃった。つまりわたしはお兄さんのお母様公認の通い妻になったのです」

「うん、我が家に入れる理由は分かった。よく理解した。でも妻じゃないよね? アカネ氏と結婚した覚えはないし、そもそも付き合ってすらいないし。法律的にも結婚とか出来る年齢じゃないから」

「それはそうだけどぉ……でも婚約者にはなれるよ?」


 意地悪だけどちょっと色っぽい顔で言うんじゃありません!

 お兄さんはこれまで彼女とか居たことないの。そんな顔されたら冗談でもちょっとドキッてしちゃうでしょ。

 というか、何で君は中学生なのにそんな顔で出来るわけ?

 もしかして誰にでもそんなこと言ってるんじゃないでしょうね。ダメ、そんなのダメだから。お兄さんはそんなこと許しませんよ。

 思春期の男子は勘違いしやすいんだから。俺も思春期の男子だから勘違いするかもしれないんだから。男心って複雑だけど単純なところもあるの。あまり弄ぶような言動をしたら世の中の男子のためにもお兄さんは怒るぞ。


「そういうことはもっと大人になってから言いなさい」

「お兄さんだって子供じゃん。わたしと学年ひとつしか変わんないわけだし」

「学年がひとつでも違えば変わる部分はあります」


 その証拠に俺はちょっとだけ大人の階段を上ったからね。

 もちろん、肉体的にではなく精神的にですよ。心の傷は乗り越えることが出来れば、傷の深さの分だけ強くなれるのです。

 肉体的にも階段を上りそうにはなったけど、それは真友の手によって防がれてしまった。

 この言い方だと真友を責めているように思うかもしれないが、ちゃんと感謝しているよ。もしもあのとき来てくれていなければ、今頃はシャルさんルートになっていたから。

 でもさ……俺も男じゃん。未だに童貞じゃん。だからちょっとだけ思うところはあるよね。


「というかアカネ氏、一度部屋から出てくれない?」

「どして?」

「家に帰ってきたら制服なんて脱ぎたいじゃないですか」

「なら気にせず脱げばいいじゃん」

「……下も着替えるんですが」

「気にせずお着替えになってくださいな」


 えぇ……

 普通年頃の女の子ってスポーツマンとか好きな人を除けば、男の着替えなんて見たいって思わないよね?

 俺の考えが一般とずれてるのかな。いやいや、そんなことないよね。アカネさんがおかしいだけだよね。


「マジで言ってます?」

「マジで言ってます。お兄さん、もしかしてわたしに見て欲しいの? 誰かに見られたい欲求でもあるの?」

「いやないけど。人に見せて恥ずかしくない身体をしてるわけでもないし。まあアカネさんが気にしないなら普通に着替えますが」

「どうぞどうぞ。わたしは本読んでるんで」


 そう言ってアカネは手にしていたラノベに意識を戻す。雰囲気的に彼女の視線が動く気配はない。

 このままアカネの視線を気にしていれば、彼女から返ってくる反応は自意識過剰だとか女々しいといった棘のあるものだけ。ならさっさと着替えた方が精神的にも時間的にも良い。


「…………」


 と思って着替え始めたんですが。

 上はまだしも下を着替えるのは気を遣うよね。数秒とはいえパンツが見える状態になるわけだからさ。

 ベルトを外したところでもう一度アカネの様子を窺う。

 アカネは鼻歌混じりにラノベを熟読中だ。こちらを見る気配は微塵もない。ただそれでも言いたいことはある。

 今、アカネさんは足をパタパタと動かしている。

 これだけ言うとパンツが見えそうなのか? と疑う者も居るかもしれない。

 だが残念ながらアカネは、腰には俺が普段使っているタオルケットを掛けている。故に足をパタパタしても下着は見えることはない。

 しかし、今のアカネさんは靴下やストッキングを履いていない。つまり


 ――完全な生足が見えている!


 加えてタオルケットによってお尻付近が見えないため、より意識を足に持っていかれてしまうのだ。

 俺は別に脚フェチというわけでもないが……アカネさん、全体的に細めだけど肉付きの良い感じで何かエロい。足先の方も身長に見合ったサイズで可愛らしく思えるし、ここまで考えると隠されたお尻も気になってしまう。

 ……いかん。このままだともうひとりの俺が覚醒するかもしれん。

 シャル相手になら確実あいつがふざけるので笑い話で済むかもしれん。だがアカネさんの場合はそうはならんだろう。たとえアカネさんでなくとも恋人でもない相手、しかも中学生にフルパワー状態を見せるわけにはいかない。

 なので着替えを持って俺は部屋から出ることしました。

 さっさと着替えを済ませるとリビングへ向かいます。準備をするのはお菓子とココアです。

 だってアカネさん、ただ本を読んでるだけだったからね。あの子の性格を考えると、あとで持ってきてとか言われそうじゃないですか。なら先に用意しておいた方が楽。断じて奴隷精神とかがあるわけじゃないぞ。


「あ、お兄さん。意外と早かったねぇ、戻ってくるのもう少し後かと思ってた」

「何故に?」

「え? だって何かわたしの方じっと見てたし。もしかしてムラムラしてマスターしに行ったのかなって」


 本気でそう思ってましたって顔で言うのやめてくれないかな。

 確かにあなたの足を見てムラムラしそうになってたけど。というか、女の子がそういうこと言うのはやめなさい。言うにしても女子だけのお泊り会とかだけにして。

 今ので唯一褒められるのはアレのことをマスターと呼んだことだね。

 正式には後ろにベーションが付くんだけど、マスターだけならそれだけ聞いても分からない人には分からないし。


「するわけないでしょ。するにしてもアカネ氏が帰ってからか、寝る前です」

「あはは、お兄さんは正直だね。じゃ~あ……」


 アカネは起き上がって読んでいたラノベを一度置くと、タオルケットを手に取り大きく広げ、顔だけ出るように自分の身体を包みこむ。そして、再びベッドに横たわると、意味もなくゴロゴロし始めた。


「……何してんの?」

「うん? お兄さんがムラムラしやすいようにわたしの匂いを擦りつけてるの」


 やめて。

 ふと寝転がった時にあなたの匂いがしたら色々考えちゃうから。あなたでエッチなこと考えるのは、シャルさんやカザミンで考えるよりも罪悪感強くなるから。だからマジでやめて。俺のベッドにマーキングしないで。


「バカやってるとこれあげませんよ」

「これ? あ、ポテチとココアじゃん。わたしからおねだりされる前に持ってくるなんてさっすがわたしのお兄さん」

「いつ俺は君のお兄さんになったんですかね? 君のお姉さんと結婚する予定は現状ありませんよ」


 まだ友達に戻れたと言えるかも微妙な関係だし。しいて言えば、知り合い以上友達未満……2学期中に友達に戻れればいいんだけど。そうすれば残りの高校生活をお互い楽しく過ごせる可能性も高まるだろうし。


「そりゃそうでしょ。汚ネェちゃんと結婚したいと思うとか、よほどのバカか家事が大好きな物好きくらいでしょ。わたしならあんな手間の掛かる人と結婚とか絶対無理だね」

「相変わらず辛辣ですな」

「誰よりも身近で見てるからねぇ。というわけで、お姉ちゃんと結婚するよりはわたしと結婚した方が良いよ。それでもわたしのお兄さんにはなるし」


 現在の学力から判断すれば、俺はおそらく平凡なサラリーマンになるだろう。そんな男のお嫁さんになって本当に良いんですかね。

 別に平凡な生活が悪いとか言わないし、言ったら世の中の今頑張ってる方々に失礼だと思います。

 でもさ、みんなもアカネ氏なら俺よりもっと良い男と結婚できると思わない?

 俺はそう思っちゃうからこういうことも思いたくなっちゃうんですよね。今から頑張って一大企業の社長を目指すより、自分の好きなことを仕事にしたいって考えちゃうタイプなんで。


「多分俺と一緒になっても派手な生活は送れないぞ」

「別にそれでいいよ。苦労があるからこそ、ふとしたことで幸せを感じられるわけだし」


 この子、今までどういう生活を送って来たんだろう。

 普通の中学生ってこんなこと言わないよね。アキラさんのお世話ってそんなに大変なの? そのレベルで部屋散らかってるの? 聞いてもお互いに良いことなさそうだから聞かないけど。


「それにわたしは限定品のメタリックなプラモより、普通のプラモを数個もらった方が喜ぶタイプだから。てなわけでお兄さん、あそこに積んであるプラモ作っていい?」

「何で急にそうなるの? 話が繋がってないよね。そのうち作るんだから人の楽しみ奪わないで」

「それ絶対作らないやつじゃん」


 アカネは不服そうな顔でココアを手に取ると、こちらをジ~と見ながらちびちびと飲む。

 素直に言っちゃうとこの年下に舐められそうなので言葉にはしない。絶対しないけど、心の中では言っちゃおう。ココアをちびちび飲むアカネさん可愛いよね。


「あっ……じゃあさ、今度わたしもプラモと道具持ってくるから一緒に作ろうよ。そんで来る前に円盤借りてくるから作り終わったらそれ映像見よ」

「何そのオタク系男子にとって理想なデートプラン。超絶楽しそうなんですけど」

「お兄さんが望むなら適当に材料買ってきて料理を作ってあげるけど?」

「そこはあえて買って来ず、映像を見終わった後に一緒に買出しに行こう。作品の感想を話したいし、料理を作ってもらうのなら荷物持ちくらいはしたいし」

「お兄さん……何でそういうこと言えるのに今まで彼女いないの? 何でうちのダメダメな姉なんかに告白しちゃったの?」


 女を見る目ないの?

 とでも言いたげな顔をしているぞ。まさかこんな返しが来るとは。予想してなかった展開に鴻上さんタジタジです。


「……人って時に理屈じゃないから」

「いや理屈だよ。感情で動くことも否定しないけど、理屈に合わない行動は基本的に良くないし。お兄さんはさ、無策で敵に突っ込もうとする主人公とかどう思う? おバカだって思わない?」

「それは……思います。チートじみた力があるなら別ですが」

「でしょ? 誰からでも好かれる天性の才能でもない限り、ちゃんと理屈に合った行動をしないとダメなんだよ。お兄さんが汚ネェちゃんにした行動とかマジ理屈に合わない」


 や、やめてよ。

 確かに俺の恋は実らなかったけど、そこから立ち直ったから今の俺があるんだよ。精神的に少し成長できた俺が居るんだよ。

 その俺を全否定するようなこと言わないで。人前だけど泣きたくなっちゃうから。


「……まあでもぉ……そのおかげでわたしは、今こうしてお兄さんと話せてるわけだけどね」

「あざとい。その笑顔と言い回し、マジあざとい」

「あざといの嫌い?」

「嫌いではない」


 あざとすぎるのはダメだが、適度なあざとさは可愛いからな。どこぞの捻くれた高校生も後輩にあざと可愛いと何度も思っていたし。


「お兄さんは本当正直だねぇ。そんなお兄さんにご褒美をあげよう」

「ご褒美? まさかパーカーを脱いでくれるのか」

「何故にそれがご褒美? 別に脱いでもいいけど……お兄さんエッチだしなぁ。わたしもさすがに胸とかジロジロ見られるのは恥ずかしいし」


 いやいや、あなたパーカー着崩してるじゃん。胸元が見えるくらいばっくりと開いてるじゃん。脱いだ方が腕とかにも意識が行くと思うんだけど。

 まあパーカーを着ようと脱ごうと胸は見ちゃうけどな!

 だってアカネさん、Dカップくらいのものをお持ちだから。ただあまり見過ぎていると何をされるか分からないのでデンジャラス。


「お兄さん、今3秒くらいわたしの胸見たよね?」

「チラ見を合わせれば5秒は見た」

「自分から罪を重くするとかお兄さんバカなの?」


 バカじゃないよ。

 だってアカネさん、本当は俺がチラ見してたこと気づいてたでしょ。俺が誤魔化したりしたら、それをネタに追撃してくるつもりだったでしょ。

 なら最初から自己申告する方が話が進むから賢明じゃないですか。


「というわけでおバカなお兄さんに罰を与えます。わたしがポテチを食べ終わるまでの間、わたしの頭をナデナデしなさい」

「……それは罰なのか?」

「罰だよぉ。だってわたしが食べ終わらない限り、お兄さんは延々と手を動かしてないといけないんだから。本読むながら食べるから……もしかすると数時間は掛かっちゃうかもねぇ」


 輝かしい笑顔でそういうこと言っちゃうアカネさんってマジでタイラントだよね。ICOの有名プレイヤーみたいに二つ名を付けるなら《小さき暴君》って感じですよ。

 その暴君に割と従っちゃう俺も俺なんだけどね。

 でもさ、俺は一人っ子なの。年下から甘えられたら嬉しく思うじゃないですか。友人や幼馴染のことを考えると、これくらい可愛く見えるじゃないですか。

 このへんのことを考えると、俺は一人っ子で良かったのかもしれない。だって可愛い妹とか居たらシスコンになってそうだし。


「逆に覚悟するんだな。俺のナデナデしたいと生きていけない身体にしてやる」

「お兄さん、それは何かエロい。セクハラで訴えられるよ。先に言っとくけど、頭以外をナデナデしたらお姉ちゃんに報告するから」

「真面目にナデナデさせていただきます」


 尻に敷かれてんな。

 とか思った奴に言っておく。尻に敷かれて何が悪い!

 男女平等な世界なんだから亭主関白じゃなくてもいいじゃないか。尻に敷かれて平和が保てるならそれでいいじゃないか。何事も平和が1番だよ。

 というわけで……そのあと腱鞘炎になりそうなくらいアカネさんをナデナデしてました。アカネさんが帰った後、風呂に入ってベッドに倒れ込んだらアカネさんの匂いがしてやばかったです。

 でもそれをオカズにマスターだけはしなかったから! これだけは信じてください。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る