第17話 「お前、私の男になれ」

 ………………意味分かんない。

 俺が言っている意味が分からないって言われそうだから状況を説明します。

 まず風見書店でラノベを買った俺は、帰宅後ささっと昼食を済ませて身支度しました。

 暑い、冷房の効いた部屋に居たい。ICOにログインしたい。

 そんな欲望を断ち切り、母親からの頼みごとを実行するために外に。

 渡されていたメモに書かれていた住所に向かうと、そこには3階建ての素敵な家がありましたとさ。


「……俺は何をしに来たのだろうか?」


 この問いに答えてくれる者はいない。

 いや、実際のところその問いの答えは分かっている。俺がここに来た理由、それは簡潔に言うと人に会うためだ。

 その人物は母親の知り合いのお子さんで、何でも昔から身体が弱くてあまり学校に通えていなかったらしい。

 今ではずいぶんと良くなってはいるそうだが、同年代の知り合いがいないとのこと。それを聞いたうちの母親が俺を派遣したのだ。

 アニメや漫画が好きとの事前情報をもらっていたので、ここに来るまではそれほど気負ってはいなかった。

 しかし……どう考えても住んでる家の規模からして生活の質が違うじゃん。俺は一般家庭の出身ですよ。ここに住んでるお子さんって絶対にお坊ちゃんじゃん。


「いや待て……」


 うちの母親は性別について言っていたか?

 いや何も言っていないぞ。俺の記憶が正しければ、お子さんとしか言っていなかったはずだ。

 つまり、俺が相手するのはお嬢様という可能性もある。

 もしそうだった場合、今すぐ帰りたいと思うくらいに緊張する。まだ同性なら踏み込みやすくもあるが、異性だったら興味のある二次元も違う可能性が高いし。

 何でうちの母親は肝心な情報を伏せるのかな。

 息子が慌てふためく姿を想像して面白がってるの? もしそうだとしたらオコだよ。詳しく聞かなかった俺にも落ち度はあるけどさ。


「……覚悟を決めよう」


 ここで帰ってしまっては小遣いがなくなる。

 それに……もしもこの家の方が母親の学生時代の知り合いではなく、仕事上の知り合いだった場合。俺が無断で帰ってしまうと、母親の仕事に支障が出るかもしれない。それは下手をすれば鴻上家の生活に響くかもしれないわけで……。

 こんなことを考えるようになったあたり、俺も着実に大人への階段を昇っているのだろう。まあ金持ちの家に来ることがなければ、考えることもなかっただろうがな。人間って多分そういうもんだよ。

 というわけで……行きますか。川澄家にお邪魔してなかったらインターホンを押すのにあと5分は悩んだね。


『……はい』

「あの、鴻上秋介と申しますが……」

『どうぞ』


 簡潔な返事と共に門が開く。どうやら俺が来ることはちゃんと伝わっているようだ。

 ……今更だけど、私服よりも制服で来た方が良かったかもしれない。後悔しても遅い段階まで来ちゃってるんだけど。インターホン押す前ならまだどうにか出来たかもしれないことだけど。

 それにすら気づかなかったなんて……うん、俺かなり緊張してますね。最初からこれで大丈夫なんでしょうか? いや大丈夫な気がしない。


「お待ちしておりました鴻上様」


 玄関から出てきたのは、身長170センチほどのスーツ姿の女性。

 秘書の方か? まあこれだけ大きな家に住んでるんだから秘書が居てもおかしくはない。

 そう考える一方で、近づくにつれ露わになった彼女の顔を見て、俺は内心驚きを隠せなかった。

 ――何故彼女が……カゲトラがこんなところにいるんだ!?

 見間違いまたは他人の空似かと思った。

 だが彼女はカゲトラと同様に長い黒髪をポニーテールに纏めている。こちらを見る瞳は子供なら泣くんじゃないかと思うほど力強い。顔立ちも端正かつ凛としていて……胸の存在感も雑誌で見たあのインパクトそのまま。

 あんな覇気を纏った人間が複数人存在しているとも思えないし、やはりこの人はICO最強プレイヤーであるカゲトラなのでは?


「鴻上様、どうかなさいましたか?」

「あ、いえ、その……緊張しているだけです」

「そうですか。ここで立ち話もなんですからどうぞ中へ」


 カゲトラと思わしき女性に促され、断るわけにもいかないので中へ入る。

 予想していたことではあるが、家の中は実に高級感に溢れていた。どこかの屋敷に入った気分である。

 実際はそれほど高級ではないのかもしれないが、自宅と比べると……比べるのはやめよう。うちにはうちの良さがある。何より比べても空しいだけだ。

 そう結論を出すのが早くて良かった。心底そう思った。

 だって通されたリビングとか場違い感を凄く感じたもん。

 そこのソファーに座る時とか俺なんかが座って良いの? 俺なんて床で十分ですよ。なのでお構いなく……って真摯に思っちゃったもん。


「どうぞ粗茶ですが」

「あ、ありがとうございます……えっと」

「これは失礼しました。私は藤堂家が長女、名を景虎と申します」


 あ、秘書ではなく長女でしたか……ってカゲトラって本名だったの!?

 ねぇねぇ景虎さん、景虎の読み方は本当に『カゲトラ』で良いんですか? 景虎と書いて『ケイコ』とか呼んだりしないんですか?

 それ以上に……もしかして俺が交流する相手って景虎さんなの?

 嘘だよね。こんなバリバリ仕事してそうな人が、視線だけで大抵の男を委縮させそうな人が交流相手なわけないよね。長女って名乗ったんだから下の子が居るんだよね。誰かそうだと言ってよ!


「すみません、女が名乗るにはおかしな名前でしょう」

「い、いえそんなことは……カッコいいと思いますよ」

「そう言っていただけると幸いです。時に鴻上様」

「な、何でしょう?」

「今日はどのようなご用件で来られたのでしょうか? あいにく私は父から本日鴻上様がお見えするとか聞いていないもので」


 それってつまり景虎さんが俺の相手をしろと言われたわけですよね?

 言い換えれば、俺の相手は景虎さんで確定だってことですよね?

 なるほど……理解した。そして、俺には見える。今の俺を嘲笑うかのようにしたり顔を浮かべている母親の姿が。

 母親にお前とか言いたくないけど、お前が仕組みやがったな!

 シャルに手を出さないなら他の女を用意するってか?

 確かに凛とした女性は好みだけど、母親に好みのタイプを正確に把握されているのは何か癪だけど。それ以上に息子を利用して玉の輿でも狙ってんの? 今日帰ったら色々と問い詰めてやる!


「えっと……自分は母親にですね、この家のお子さんが生まれつき身体が弱くてあまり学校に通えず友達に恵まれなかった。だから同年代として友達になってこい……みたいなことを言われただけでして」

「……それだけですか?」

「それだけです」

「仕事に関することは一切ない?」

「ないですね。少なくとも自分は他に何も聞いてません」

「ならそうと先に言え」


 景虎は吐き捨てるようにそう言うと、ジャケットを脱ぎ捨て、シャツの第一ボタンを空けると、足を組みながらふんぞり返るように座り直した。

 先ほどまでの礼儀正しい彼女はどこへ行ってしまったのだろうか。雰囲気から察するに今の姿が素なのだろうが……


「何だ? 言いたいことがあるならはっきり言え」

「男らしい態度ですね」

「男らしい? 言えと言ったのは私だが、言うに事を欠いて男らしいだと?」


 や、られる……


「初対面のくせに度胸があるな。普通女に男らしいなんて言ったら怒られるぞ。私は自分でもそう思うからどうでもいいが」


 なら睨む必要ありました?

 あなたはもう少し自分の眼力を知るべきです。こっちは胸倉掴まれて殴られるって本気で思ったんですから。


「ところで鴻上」

「何でしょうか藤堂様」

「景虎だ」

「はい?」

「私のことは藤堂ではなく景虎と呼べと言っている。先ほどの話を聞く限り、お前は藤堂家にではなく私個人に用があって来たのだろう? なら堅苦しいのはなしだ」


 これは罠か? 罠なのか?

 世の中には無礼講だとか言っておきながら無礼だぞ貴様! となる人物も居ると聞く。ならここで選択を間違えると鉄拳制裁、最悪鴻上家の破滅に繋がるかもしれない。秋介、絶対に間違えられないぞ。


「……分かりました。景虎さんがそう言うなら」

「別に敬語も要らないのだが……鴻上、お前学年は?」

「高1ですが」

「……お前、さっき私に友人がいないから同年代としてどうのと言っていなかったか?」

「言いましたね」

「私は今大学1年だぞ。お前のどこが同年代だ」


 学年で言えば3つ上ですね。うん、同年代ではない。

 だって成人したらそれくらいの違いは誤差なのかもしれないけど、学生にとってその差はかなりの違いだから。高校生から見た大学生とか大人に等しいし。


「いや、すまない。前にも何度かお前と同じ理由で、私個人に客が訪ねてきたことがある。この一件に関してはおそらく私の父が悪い。お前を責めるのは筋違いだ。許せ」

「いえ、それは良いんですが……」

「何だ? さっきも言ったが言いたいことははっきり言え。よほどのことではない限り怒ったりせん」


 あなたのよほどがどのラインか分からないから困るんですが。ただでさえ目つきが鋭いから怒ってるように見えるし。

 でも適当にお茶を濁しても面倒臭そうだし、ここは思い切って聞いてみよう。男らしいとか言われても怒らなかったんだから大丈夫……なはず。


「では遠慮なく……景虎さんって本当に身体弱いんですか? 友達が少ないんですか?」

「そう聞いているのだろう? 何故そんなことを聞く?」

「それは……見てる感じ身体が弱そうには見えないですし、初対面の自分とも普通に話してるんで友達もそこそこ居るんじゃないかと」


 俺の勝手なイメージかもしれないけど、身体が弱くてあまり学校に通えてなかったとするとさ、人見知りとか口下手になる気がするの。家族以外とあまり接する機会もないだろうし。

 でも景虎さんは初対面の俺にも普通に……若干砕け過ぎでは? と思うくらい砕けて話している。なら親が心配するほど友達が少ないということもなさそうだが。


「ふむ……だがそれは買い被りだ。身体に関して言えば昔より丈夫にはなっているが、今でも激しい運動をすればすぐに体調を崩して寝込んでしまう。お前と普通に話せているのは、昔から親の同僚や仕事先の方と話す機会が多かったからに過ぎない」

「な、なるほど」

「それに友人に関してだが、お前が思うような友人はひとりもいないだろう」


 まあどのレベルから友人と呼ぶかは人それぞれだしね。

 でもだからって堂々と友人いませんって言うのは違うんじゃないかな。


「ひとりもですか?」

「ひとりもだ。鴻上、お前のここまで言動を見る限りお前は一般家庭の出だろ?」

「ええ。正直ここに居るのが気まずいです」

「正直な奴だ。まあだからこそ私も話しやすいのだが……私は世間的に見ればお嬢様だ。そんな私と親しくなろうとする輩は、小学校の頃はまだしも中学・高校では心が汚れた者ばかり。別に打算があっての付き合いを否定するつもりはない……が、それはお前が思うような友人ではあるまい? だから私は友人がいないと言ったわけだ」


 なるほど。

 それしか言えないくらい簡潔で分かりやすい説明だよね。

 故に……何で俺はここに招かれたのかな? 景虎さん、あまり友人が欲しいようには見えないんだけど。場違い感もハンパないし、気まずいし、早くICOしたいから家に帰りたいんですが!


「まあ……私がそんな理由で誰とも親しくなろうとしないから、父はお前のような一般家庭の学生を用意したのだろうがな。お前としては良い迷惑だろう?」


 まあそうですね。

 なんてさすがの俺も言えません。だって多分俺よりも景虎さんの方が迷惑してそうだし。


「いえ自分は……そのおかげで景虎さんみたいな綺麗な人と会えましたし」

「そんな見え透いたお世辞を言っても菓子くらいしか出さんぞ」


 菓子くらいは出してくれるんだ。


「いえいえ本当に綺麗ですよ。スーツ姿も似合ってますし」

「スーツ姿も? お前と会うのは今日が初めてのはずだ。それとも以前どこかで会ったか?」

「あ、その……間違ってたら申し訳ないんですが、景虎さんってICOをプレイされてません?」


 俺の問いに景虎さんは一瞬驚きの表情を見せるが、すぐさま納得したような顔を浮かべる。


「そういうことか。まあお前くらいの学生ならプレイしてもおかしくはない。現実とさほど姿が変わらないゲームで、中継までされる大会に出た私の落ち度だな」

「中継がなかったとしても顔バレはしていたかと。俺はコロシアムで観戦してたので」

「ほぅ……コロシアムで観戦するにはゲーム内でとはいえ、なかなかの金は必要だったはずだが。お前、高校生のくせにかなりのガチ勢なのか?」

「いえそういうわけでもないんですけど……」


 やべぇ、俺の煮え切らない態度に少し景虎さんご立腹だぞ。その証拠に目つきが鋭くなってきてるし。

 正直雨宮さんというかマイさんの弟子ってことは隠しておきたかったんですが、下手に隠すと身の危険を感じる。どれくらいかと言うと、最低でも雨宮式ストライク並かな。

 なのでここは素直に話しましょう。話した方が危険かもしれないけど、今のままじゃ状況は何も変わらないし。なら少しでも可能性のある方に掛ける!


「そのですね……あの大会の本選には僕の友人も出場してまして。それで絶対優勝するから見に来てと観戦用のチケットを渡されたといいますか」

「なるほど。まあ本選に出れるほどの実力者であれば、観戦用のチケット代くらい安いものか。友人を呼べるように1人分は無償でチケットをもらえるしな。まあ私は呼べる相手なんていなかったが」


 景虎さんは笑ってるけど、俺からしたら笑える話じゃねぇ。

 マイさんから呼んでもらったのは嬉しいけど、そのおかげで非常にピンチです。お願いだからここでこの話題終わらないかな……


「それで鴻上、お前は誰に呼ばれたんだ? 先日の大会の参加者はレベルが高かった。私が戦ったどうかは分からないが、とりあえず言ってみろ」

「えっと……」

「何だ言えないのか? 口止めでもされているのか?」

「そういうわけではないんですが……そのですね」

「いいから言え」


 俺の抵抗はそこまででした。

 レベル1でラスボスに相対したような感覚に勝てるはずもなく、背筋を正して自分の師匠の名前を口にしました。


「マイさん……です」

「マイ? ……それは《黒の双剣》のことか?」

「はい」

「ということは、あいつはイチャコラしていた男というのはお前なのか?」

「イチャコラというよりはボコボコされていた気がするんですが、はたから見たら違ったかもしれないので多分自分ではないかと」


 おっと、景虎さんが無言で立ち上がりましたよ。

 そして、迷うことなく俺の前に。俺の胸倉を掴んで……鋭いなった瞳を向けてきました。怖い、超絶怖い。

 でもそれ以上に近い。凄く良い匂いする。シャツのボタンを空けたせいか、谷間が少し見えちゃってる。

 これはおそらく最低でもEはありますね。シチュエーションが違っていたら凄くエロくて良かったと思います!


「鴻上、私があのカゲトラだと分かっていながらよくあの女の名前を出せたな」

「それは景虎さんが言えって言ったから」

「そうだな。だが私はあの女をライバルと思っている。ライバルには男がいて、私にはいない。それは私からすれば面白くない。端的に言って非常に面白くない。それはお前も分かるな?」

「人それぞれだとは思いますが、一応理解は出来ます」


 だから……その、少し離れてもらえません?

 俺が顔を背けてないと唇が重なってもおかしくない距離ですし。その距離は初対面の男女の距離としておかしいと思うんです。インパクトのあるお胸も目の前にある状態ですし、このままだともうひとりの俺が覚醒しかねないと言いますか。


「というわけでだ……鴻上」

「は、はい」

「お前、私の男になれ」


 ………………はい?

 誰かに勝ち誇るような顔を浮かべる景虎。彼女の言ったことが、俺にはいっちょん理解できんかった。



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