最終話 「…………」

 皆さん、夏って言うのは日が暮れかけてても暑いですよね。

 そんなことより状況を説明しろ?

 はいはい、分かってますよ。今は前回から6時間くらい経過しました。行動順で言えば


・ファミレスで雨宮さんと食事

・雨宮さん一押しのバトルアニメ映画を鑑賞

・クレープで小腹を満たす

・フィギュアやアニメグッズを扱っているお店へ

・その後、ゲーセンに行って適度に楽しむ

・さて帰ろうという矢先に暴走自転車が雨宮さんにぶつかりそうになる

・雨宮さんはそれを回避。ただそれが原因で足首を挫きました。

・足の状態はそれほどひどくはなさそう。だがどうする?

・無理に歩かせて悪化でもされたら気分も悪い

・俺が背負って雨宮家に行こう←今ここ


 こんな感じです。簡潔だけど状況は伝わってでしょ。

 つまり俺は今女の子を背負って歩いているというわけですよ。雨宮さんは小柄だし、体重も軽いけど、さすがに真夏に人ひとり運ぶのは疲れるよね。俺って体育会系でもないし。


「鴻上……ごめん」

「それは何度も聞いた。別にお前が悪いわけじゃないんだから謝らなくていい」

「でも……普段なら避けられた。だけど」

「それ以上はなしだ」


 どうせ雨宮のことだ。今日のデートが楽し過ぎて注意力が散漫してたとでも言うつもりだろう。


「何度も言ったがお前が悪いわけじゃない。それにお前が言おうとしていることが俺の読み通りなら、それを言われた俺は色々考えるぞ」

「ん……ごめん」


 だから謝らなくていいと言っているのに。

 まあ申し訳ないと思ってない顔で楽ちん楽ちんとか言われるよりはマシだけど。人をひとり人力で運ぶ労力ってそんな安いものじゃないし。


「……鴻上」

「ん?」

「その……重くない?」


 正直に言うと……重いです。

 でも決して雨宮さんの体重が重いというわけじゃないの。小さな子供だろうとずっと抱っこやおんぶしてたら疲れるじゃないですか。

 それと一緒で雨宮さんをおんぶしてそこそこ経つから俺も疲れてきてるの。だから重いの。でも雨宮さん相手に重いとか言えないよね。男としての意地もあるし。


「別に」

「ほんと? 何か抱え直す回数増えてるけど」

「今は夏ですよ。汗ばんだ手とか拭いたくもなるでしょ。正直俺としては汗ばんだシャツに押し付けるようで悪いと思ってます」

「わたしは鴻上の優しさに甘えてる身。そんなこと気にしてない。夏だから汗を掻くのは仕方ないし……わたしは……鴻上のなら嫌じゃない」


 ……何でこの子はこういう状況でそういうこと言っちゃうかね。

 限界が来たら歩いてもらおうとかちょっぴり思ってたけど、最後まで送り届けるしかないじゃないですか。


「むしろ……わたしは鴻上の匂いす、好き」

「……まさか雨宮が匂いフェチだったとは。どおりで俺に引っ付いてくるわけだ」

「別にそういうんじゃない」

「じゃあ何で急に肩にあごを乗せるように頭を動かしたの? 背中に雨宮さんのおっぱいが盛大に当たってるから俺としてはラッキーだけど」

「そ、そういうこと言うのダメ。これはおっぱいが好きな鴻上のためにわざと当ててる。おんぶしてもらってるお礼。他意はない」


 そう言うならそういうことにしておきましょう。

 だって俺はおっぱい好きだからね。夏休みに入ってからおっぱいについて考える時間が増えているからね。

 なので理由が何であれ、背中に推定Dカップの弾力と温もりを感じられるならお得な展開ですよ。


「……雨宮って良い匂いだな」

「んっ――お、下ろして。ここからは自分で歩く」

「ダメです。怪我人は大人しく運ばれてなさい」

「だったらわたしの匂い嗅がないで……恥ずかしい」


 なら俺の匂いも嗅がないでもらえませんかね。俺も恥ずかしいんで。


「別に嗅ごうとはしてない。風に乗って香っただけだ。それに良い匂いって言っただろ」

「鴻上が嘘吐いてるかもしれない」

「何で?」

「だって……わたし……今日いっぱい汗掻いてる」


 女子だ。雨宮さんが凄い女子だ。

 良かった、俺の周りにもちゃんとした女の子が居たよ。癖が強くてどこかしら面倒な子ばかりと思っていたけど、ここにちゃんとした女の子がいましたよ。今だけかもしれないけど。


「それは俺も一緒だ。それを理由に出すなら俺の匂いに関しても言わないでくれ」

「自分の匂いは恥ずかしい。でも鴻上のは良い匂い」

「だから俺も一緒だから。自分の匂いは気にするし、雨宮の匂いは良い匂いなの」


 何なのこのやりとり。まるでバカップルがじゃれ合ってるようだ。

 雨宮も似たようなことを考えたのか急に黙っちゃったし。変に意識されるとこっちまで意識しちゃうんだけどな。

 ただでさえおっぱい当たってるし。手には生足の感触があるし。


「…………鴻上」

「今度は何でしょう?」

「その……」

「また匂いのことですか?」

「違う。今度は別の話」

「では何でしょう?」

「あのね……」


 雨宮さんには珍しく言い淀んでますね。

 多少恥ずかしくてもここまで言葉に詰まることないんだけどな。いったい何を言おうとしているのか……もしかしてトイレに行きたくなったとか?

 うん、ありえるね。人におんぶされてる状態でトイレに行きたいとか考えるだけでも言いにくいことだし。言う相手が異性なら尚更……だが俺から切り出すのも良くはないだろう。ここは雨宮さんが言うのを待つべきだ。


「ま……前にも今日みたいにおんぶしてくれたことあったよね」


 ……おっと、予想してなかった言葉が飛んできたぞ。


「も、もしかして……覚えてないの?」

「いやいや、そんなことないですよ。トイレにでも行きたいとか言われると思ってたから反応が送れただけです」

「バ、バカ。わたしも女の子。女の子にそういうこと言ったらダメ」

「それは分かってるんだけど、何か言いにくそうにしてたからてっきり」

「それ以上言ったら怒る」


 はい、すんません。でもすでにちょっと怒ってますよね。その割には特に何もしてこないけど。

 まあ今暴れられたりするとお互いに危ないわけで。そういう意味では冷静な雨宮さんに感謝です。


「分かりました、もう言いません。えっと、俺が昔にも雨宮さんのおっぱいの感触を楽しんだって話だっけ?」

「全然分かってない。わざわざ鴻上視点に切り替えた話題にしなくていい。今は真面目な話。茶化すのダメ」


 何かいつも以上に厳しい気がする。

 それだけ雨宮には大切な話ということか。これ以上機嫌を損ねると忘れた頃に雨宮式ストライクで報復されるかもしれないし、ここから真面目に話しますかね。


「はいはい、もうふざけません。昔、今日みたいに雨宮をおんぶしたかって話でしょ。覚えてます覚えてます」

「何か言葉に誠意を感じない」


 雨宮さん、僕も1日遊んで疲れてるの。

 現在進行形で体力を消費しているの。だから言葉に覇気がないのは大目に見て欲しいな。


「ちゃんと覚えてるって」


 あれはざっと3年前の話になる。

 中学1年の頃、雨宮は本の虫だった。登下校も休み時間もひとりでずっと本を読んでいた。だからクラスには溶け込んでなかったし、友達と呼べる子が居た記憶もない。

 そんな雨宮と俺が話すようになったのは、席替えで彼女の前に座ることになったから。ある日の休み時間に自分の席に戻ろうとしたところ、彼女が読んでいる本がラノベだと挿絵で分かったからだ。

 最初は雨宮もラノベ読むんだな、くらいから始まり、挨拶を交わすようになり、登下校が途中まで同じということで一緒に居る時間が増えた。

 ただ多少話すようになっても雨宮は移動中の読書をやめなかった。その理由を尋ねたところ


『別に誰にも迷惑掛けてない。それに……他の人に興味とかないし』


 みたいな感じだった気がする。

 小さい頃からこうだったのか、小学生の頃に何かあったのか分からない。でも登下校中の読書は危ないと思ったので、俺は雨宮に何度も注意した。

 最初は聞く耳を持たなかった雨宮だが、ある日の帰り道ついに我慢の限界が来たのか


『鴻上は何でそんなにわたしに構うの? わたしがどうなったって鴻上には関係ないはず。鴻上にとってわたしはただ同じ学校でたまたま同じクラスになって、席が近くになっただけの同級生。それ以上でもそれ以下でもない。同情か哀れみか知らないけど、そんな理由でわたしに構わないで。わたしはひとりがいい、ひとりでいい!』


 と、荒げた声で言われた。

 これまでに見たことがなかった雨宮の姿にさすがに踏み込み過ぎたかと思った俺は、本に意識を戻して立ち去ろうとする彼女を見送ろうとした。

 だが次の瞬間――。

 信号無視した挙句、規定速度をオーバーしていた車が目に留まった。俺という存在を忘れようとしているのか、雨宮は普段よりも本に没頭していて車に気が付いていなかった。

 気が付いたときには俺は雨宮に向かって走り出し、飛びつくように彼女を抱き締めた。車とかギリギリ接触しなかったものの勢い余って道路を何度か転がったのは今でも覚えている。


「あの日は人生で初めて死にかけた日でもあるからな」

「その言い方されると……今でも非常に申し訳なく思う。ごめんなさい」

「別に謝って欲しくて言ったんじゃない。俺も雨宮もこうして今を生きてるわけだし、負い目を感じるよりは笑い話にしたいってだけだ」


 俺としてもあの日のことはあまり悪い方向に掘り返して欲しくないし。

 女子を助けたんだから誇っていいとか言われるかもしれないけど、実は俺……雨宮さんを助けた後、思いっきり彼女を泣かせちゃったんですよね。

 だって昔の雨宮さん、俺が何度も移動中の読書はやめなさいって注意したのに聞いてくれなかったわけじゃん。

 うるさい、放っておいてって突き放されたわけじゃん。

 その直後に車に轢かれそうになったら……説教したくなるじゃないですか。


「死にかけた話を笑い話にするのはどうかと思う」

「それはそうなんだけど……あの日のことは雨宮が俺に負い目を感じてるように、俺も雨宮に負い目を感じてるんです。だから少しでも良い思い出に変えようって意味でね」

「何で鴻上が負い目感じるの? 鴻上はわたしを助けてくれた」

「そうだね、俺は雨宮を助けたね。でもそのあと……雨宮が泣いちゃうほど説教しちゃったよね」


 女の子を泣かせたかと思うと、やっぱり思うところがあるわけじゃないですか。

 雨宮みたいに感情を表に出さないような子が盛大に泣き喚くって滅多にないことじゃないですか。

 それを俺が引き起こしたかと思うと……今でも少し言い過ぎたかな。もっと言い方があったんじゃないかなって思ったりするわけです。


「違う。あのとき泣いたのは鴻上から怒られたからじゃない……怒られたからでもあるけど」


 結局どっちなんですか……。


「……あの頃のわたしはひとりぼっちだった。家族以外を信用してなかった。誰かと何気ない話をすることを楽しいなんて思ってなかった」

「そうだね、あの頃の雨宮さん友達いなかったもんね」

「真面目な話してるからそういう茶々入れないで。事実でも少し傷つく」


 それはごめんなさい。

 でも鴻上さんとしては、雨宮さんがあの頃の自分をダメだって思えるようになったことが非常に嬉しいです。成長したね雨宮……


「話の続きだけど……正直最初は鴻上のこと鬱陶しいって思ってた。何でわざわざわたしに挨拶するんだろ? 何でわたしに構うんだろ? もしかしてこの人、友達いないのかな? って思ったりしてた」


 うんうん、まあそうでしょうね。ひとりにして欲しい人からすれば、話しかけてくる人って面倒な存在だし。

 たださ、これだけは言わせて。最後のは必要だったのかな? 別にその前で止めても良かったんじゃないかな。これは俺の我が侭なのかな。


「これまでにも似たようなことしてきた人は居た。でも大半は優等生アピールしたい感じで、少し時間が経てばわたしに構うことはなくなる人ばかりだった。でも鴻上は必要以上のことはしようとしないけど、ずっとわたしに構ってくれた。接してくれた。いつの間にか鴻上と話せるのを楽しみにしてる自分が居て……だけど」


 俺の肩を掴む雨宮の手に力が入る。

 雨宮の表情は見ないようにしているが、きっと今の雨宮は不安定な顔をしていることだろう。

 何故なら雨宮は口数が多い方じゃない。

 いつも素直な言動をしているが、これだけ次から次に言葉が出てくるということは、それだけ今の彼女の胸の内に様々な感情が溢れているということだ。


「だけど鴻上が……他の人みたいに離れていくんじゃないかって考えると怖いって思うようなった。どうせ離れるなら早い方が傷つかないと思った。だから」

「あの日、突き放すように構うなって言ったと」

「ん。……そのあとすぐ車に轢かれそうになって、罰が当たったんだと思った。でも鴻上はわたしを見捨てずに助けてくれて……本気でわたしを怒ってくれた。心配してくれた。あの時、鴻上が言ってくれたこと……今でも覚えてる」


 そのときに俺が言ったことですが


『ほら見てみろ、言わんこっちゃない。お前はバカか! いいか、死んだらお前の大好きな本も読めなくなるんだぞ。それにお前がどうにかなっても俺には関係ない? ふざけるな、大有りだ! 確かに関係性は偶然同じ学校になって同じクラスになった同級生かもしれない。同情や哀れみめいた気持ちがなかったとも言わない。だけどな、俺はお前に怪我をして欲しくないから何度も注意してたんだよ!』


 といった感じのようです。さらに


『いいか雨宮、別に本を読むのをやめろとは言わない。だが登下校中に読むのは金輪際やめろ。それとお前の過去に何があったのか知らないけどな、少しは他人に興味を持て。本の世界だけに逃げ込むな。何もしないで誰からも好かれる奴なんて極一部の奴だけなんだよ。いきなり変われとは言わん。最初は俺からでいい、俺だけでもいい。本に向ける時間を少しでも人に向けろ』


 こんなことまで言ったそうですよ。

 いやー俺って何様なんだろうね。過去に何かあって乗り越えた経験があるわけでもないのに、こんな上から目線なこと言っちゃうとか。当時読んでたラノベの影響でも受けてたのかね。テンションがハイになっててつい言っちゃったのかね。

 まあ理由はどうあれ、これだけははっきりと言える。

 若干これは黒歴史だね。出来れば今後掘り返されたくはない事案だね。


「あのときわたしが泣いたのは嬉しかったから。鴻上はわたしを怒ったことを負い目に感じなくていい。わたしは凄く感謝してる。鴻上が居たから今のわたしが居る。鴻上に出会えたからわたしは今幸せな時間を過ごしてる」


 雨宮さんは変なテンションになっているのか、両腕を前に回して俺を抱き締めてきました。背中に感じるおっぱいの圧力は過去最大レベルです。

 あのー雨宮さん、感謝の気持ちは十分に伝わりました。伝わりましたから少し離れてくれると助かります。

 ほら、僕も男の子だからね。ギュッてされるとドキドキしちゃうって言うか……


「だからね鴻上……わたし、鴻上のこと」


 耳元で囁かれる言葉を遮るように近くの扉が開いた。

 それは神様のいたずらなのか。

 俺が今居る場所は風見書店の前。ここを過ぎれば雨宮の家までもう少しで着くはずだった。

 なのに目の前に現れたのは、もう夏休み中には顔を合わせないかもしれないと思っていた人物。

 それはボザボザになった長い黒髪にオシャレ感ゼロのジャージ。目の下にははっきりと分かる隈が出来ている……先日よりも女子高生らしさを捨てたアキラだった。

 俺達を認識したアキラの目には一瞬驚いたような色が現れた。だがすぐ冷たいものへと変わる。


「…………」


 あなたにはもう興味はない。

 そう言いたげにアキラは踵を返し、振り返ることなく立ち去って行く。

 告白後、初めて明確に示された拒絶。

 これが意味しているのは、俺の初恋の終わり。

 そう思わずにはいられないほど、そのときのアキラの振る舞いは冷たく鋭いものに思えた。



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