スピンオフ 杉ちゃんと小人の兄弟

増田朋美

杉ちゃんと小人の兄弟

杉ちゃんと小人の兄弟

ある日、杉三と水穂が、富士駅の駅前交番の前を歩いて来たときの事であった。ちょうど、遠方へ電車で買い物に行って、富士駅に帰ってきたところだった。

「今日は悪いなあ。わざわざ一緒にきてもらって申し訳ないね。」

「ああいいよ。どうせ製鉄所に帰っても、寝てるか、僧都を眺めているかどちらかしかやることもないもの。退屈でしょうがないよ。」

杉三が、付き添ってもらったお礼をいうと、水穂はわらってそうかえした。

「あ、それが出るということは、今日は容体がいいんだな。よかった、これで蘭にうるさく言われることもないぞ。もう、一緒にいってもらってな、帰ってくると蘭がうるさいのよ。水穂には、負担をかけなかっただろうな、とかな。かといって、蘭に一緒にいってもらえないかといえば、今忙しいからあとでなんて言われてさ、いつまでたっても、買い物に行けないから。もう、どうしたらいいんだか、見当がつかないわ。」

杉三がそういうので、また苦笑いをしてしまうのであった。

「まあねえ、心配してくれるのはうれしいんだけどね。確かに、あんまり杉ちゃんばかり迷惑かけるなと言われ続けると、僕が悪いことをした気がして、どうしようもないよ。ほっといてくれればいいんだけど、そうもいかないのかなあ。」

やっとそういうことはできるのだが、周りのみんなが、心配しないでいるのは無理であることは、もう承知だった。

「まあいいや。とりあえず、今日も血を出すことなく帰ってこれただから、それでよしにしましょ。」

「そうだね。そういう結論付けてくれるのも、杉ちゃんだけだよ。」

こればかりは訂正のしようがない事実だった。ほかの人は、絶対にそれでよしなんていう言葉は出ないだろう。

ところが、、、。

「こら!待てえ!このクソガキ!今度こそ逮捕する!いくらしらばっくれても今日は承知しないぞ!」

二人の後ろにある、駅前交番のドアがガラッと開いて、お巡りさんが警棒を振りながら飛び出していった。何だろうと思って、杉三たちが周りを見てみると、交番のすぐ近くにあった、自動販売機の近くに子供用の小さな靴の片方が落ちている。

「おい、これ、誰の靴だ。これどう見ても赤ちゃん靴だよな、、、?」

杉三がそれを拾い上げた。確かに一見すると、一歳か二歳くらいの子供が履くための、本当に小さな靴である。

「いま、逮捕するって言わなかったか?」

「うん、確かに聞いた。いくらなんでも、このくらいの年齢の子供を、逮捕するということはありえないはずでは、、、?」

杉三も、水穂も顔を見合わせた。

「つまり、親子の犯罪者かな?子供をおとりにしてお巡りさんの気を引かせてさ、親がその間に窃盗をするとか、、、。」

「うーん、そういうことは、アメリカなんかではよくある話なんだけど、日本ではまだ聞いたことはない。」

水穂はそういって軽くせき込んだ。

「大丈夫かい。水穂さん。」

「あ、ごめん。しかし、この靴、お巡りさんに渡さなくていいものだろうか。」

二人とも困ってしまって、そこに茫然と立っていると、

「さあ捕まえたぞ。今日こそしっかり供述してもらうからな。お前たちが自動販売機の下を掻っ捌いて金をとろうとしていたことくらい、しっかりばれているんだからな。」

お巡りさんが、でかい声でそう言いながらやってきた。どうやら犯人は二人以上であることは間違いないのだが、お巡りさんの右手に引かれている一人はどう見ても五歳くらい、お巡りさんの左手で襟首をつかまれている、もう一人は、乳飲み子がやっと立って歩いたくらいの背丈しかない。彼の足の片方が、裸足だったので、この赤ちゃん靴は彼のものだと分かる。

「おい、お巡りさん。その赤ちゃんの靴、片っぽ脱げてら。かわいそうだから、履かせてやってよ。」

急いで杉三は、赤ちゃん靴をお巡りさんに渡した。相手の子供たちは変な顔をしている。まるで、俺たちはそういう年齢ではないよ、と言っているようだ。

「いくらなんでも、裸足での事情聴取はかわいそうすぎるぞ。子供だからと言って、邪険に扱ってはだめだぞ。」

と、杉三がいうと

「わかってるよ、杉ちゃん。」

と言って、お巡りさんは、靴を受け取り、子供二人を連れて、交番の中へ入った。

「あれれえ、日本も本当にアメリカ並みになってきた。子供二人でタックを組んで犯罪を犯すようになったのか。しかも、あんな幼い子が、、、。ああ、よほどひどいネグレクトでもされてたんだろうか。」

杉三も水穂も、あまりにもかわいそうで、交番のそばを離れることはできなかった。

「そうだねえ。でも服装から見ると、ちゃんとしたジャージを身に着けているし、季節に合わない服装をしているわけでもないし、ネグレクトというわけでもなさそうだけどね。」

水穂もそういうが、内心ではつらかった。と、いうのも、自身が育ってきたところでは、子供のころにこういう窃盗はしょっちゅうやっていた。平成も後半になって、そういう事例は減少したといわれている。しかし、最近では、学校給食で栄養をつけるというほど、子供が貧困にさらされているとか、児童虐待で、やむを得ず子供が万引きをするなどのニュースも耳にするので、またそうなってきたのかなあと考えざるを得ない。それも、幼い兄弟が結託して、こういう犯罪を計画したとなれば、余計につらい気がする。

急に、交番の戸がガラッと開いて、お巡りさんが出てきた。

「あ、杉ちゃんまだいたのか。ちょっとさ、お願いがあるんだけど。」

「一体どうしたんだ?」

杉三が思わずそう聞くと、

「ちょっとさ、誰か英語のしゃべれる人を連れてきてくれないかな。」

頭をかじりながらお巡りさんはそういうので、思わずポカンとしてしまう。

「は?どういうことだ?英語のしゃべれる人って、僕は読み書きもできないので、、、。」

「そうだっけね。」

さらに困った顔をするお巡りさん。

「一体何があったんだよ。」

「いや、実はね。どうしても言葉が通じないのよ。だから、英会話の先生でも連れてきてくれないかなと思って、、、。」

「誰と?」

「この子達。」

「まあねえ。確かに日本人は英語が苦手だからねえ、、、。ちょっとさ、通訳してやってよ。少なくとも、ドイツ語くらいはわかるでしょ。」

と言って杉三は、水穂の袖を引っ張った。

「おう、頼むよ。もう、何をしゃべってるか、まったくわからないので、、、。」

「あ、はい。」

水穂にしてみれば、製鉄所にそろそろ帰りたいなと思うのが本音であったが、こうなったら仕方ない。協力するか、と決断して、交番の中へ入った。

「こら、クソガキ!さっき言ったことをもう一回言ってみろ!」

お巡りさんがもう一度交番に入ってそういうと、小さな弟が、怖がってべそをかき始めた。五歳くらいの背丈の兄さんが、何か説明しているが、たぶん、泣かなくてもいいとかそういう内容だろう。

「あ、わかりました。英語でもドイツ語でもないですね。たぶんヨーロッパの言語であることは間違いないのですが。」

とりあえず、そこは判明した。二人の顔は黒く日焼けしていて、たぶん人種的に言ったらネグロイド(黒人)である。さらに、兄さんがもう一回何かつぶやいたので、水穂はたぶんそうだなと確信して、

「フランス語みたいですね。ただ、おそらくフランス本国で話されるのとは、ちょっと発音が違うので、ほかの現地語と合わさって訛りが付いたのかと。」

と、解説した。

「じゃあ、こういってくれ。どうして自動販売機の下を掻っ捌いたりしたのかと!」

「お巡りさん、怒らないでやってよ。掻っ捌くなんて単語は、フランス語にあるのかよ。」

杉三が、そう文句を言ったので、お巡りさんはちょっと黙った。水穂が、該当する文句を考えて通訳してやると、兄さんが細々と答えを出す。

「あ、なるほど。つまり100円落としたのね。」

水穂はそっと、かわいそうな弟と、兄さんの頭をなでてやった。

「つまりこうです。自動販売機でペットボトルのお茶を買いたいと思ったのだけど、自分たちの背丈では、ほしい商品に届かないので、弟を持ち上げて買ってもらおうと試みたのですが、100円を投入する時点で手が滑って、落としてしまったので、拾おうとかがんだところを、お巡りさんに見つかってしまったと、、、。」

「あ、そういうことだったのね。まあ確かに、たかが100円、されど100円だ。よし、お巡りさんに言って、拾ってもらおうね。」

杉三が、ニコッと笑ってそういった。

「ちょっと待て。本当にそういうセリフを言ったんだろうな。」

疑ってしまうお巡りさん。

「ええ、特に文法的に間違っているわけでもないので、その通りに訳しました。」

水穂は、よくわからないままそう答えたが、お巡りさんは、信じていないようだった。

「嘘言うな!そのくらいの年齢で、そんなきれいな文書が作れる能力なんてあるものか!親が原稿でも持たせたのではないだろうな!」

「お巡りさん何ですか。そんなわけないでしょう。だったら今すぐ、100円探してきてあげてよ。」

杉三が、お巡りさんの言葉にそう対抗した。確かに通訳通りの言葉を言ったなら、疑いを持つかもしれなかった。というくらい、兄さんの話は理路整然としていて、幼児が製作する文書にしては、流ちょうすぎたのである。

「まあ、怒んないで。もしかしたら、もっと年がいっているのかもしれないじゃないか。ほら、よくあるじゃないの。ムコ多糖症みたいにさあ、身長がやたら小さくなっちゃうの!」

よくあるかというと決してそれはないが、身長がやたら小さいという障害は決してなくはない。

「可能性としてはそれが近いですね。前に、人気の映画にもいたじゃないですか。キャラクターの名前は忘れましたが、身長の非常に小さかった俳優が。確かタイトルは、ハリーポッターと何とかという。」

少しせき込みながら、水穂がそういった。

「うーん確かにそうだった。あれはうちの孫も見ていたので、そういうキャラクターがいたのは覚えているが、、、。」

「あのねえ、日本でも外国でも、そういう身長の人はどこにでもいるんだ。とにかく、自動販売機の下、もう一回見て来てみな。そうすれば、この子たちの話も分かるから。」

杉三にそう言われて、お巡りさんは渋々、自動販売機のほうへ行ってみた。そして、販売機の下を覗いてみると、確かに、100円玉が一個落ちていて、光っていた。苦虫をかみつぶすような顔をしながら、お巡りさんは100円をもって交番へ戻り、机の上に100円玉をどしんと置く。

「よかったな。これで思った通り、お茶が買えるじゃないか。ほら、お巡りさんにたのんで、ほしいお茶を買ってもらえ。」

杉三が、そういうと、水穂は急いでそれなりに通訳した。

「怖がらなくてもいいんだよ。お巡りさんは、何も怖い人じゃないから。ほら、何が飲みたいか、手っ取りばやくいいな。」

水穂は、通訳する代わりに咳をした。

「コカ・コーラ。」

小さな弟がボソッとそういった。兄さんは、黙ってと言いたげに口を閉じさせるが、弟はたぶん我慢できなかったのだろう。

「あ、なるほど。つまり日本語ができないふりをして、白を切るつもりだったのね。もしくは、詰問されてもその間に逃げちゃうとか、、、。」

杉三がそういうと、二人の兄弟は、ああ、ばれちゃったか、作戦は失敗だといいたげな顔をして、がっかりと落ち込んだ。

「そうなると、今度は不法入国の可能性もあるなあ!」

「もう、お巡りさん。僕がよく言い聞かせるから、今日は返してやってくれないかな。あんまりこの子達せめてもかわいそうだ。決して、この子達が仕組んだ悪事ではないと思うんだ。周りの大人に指示をされてやったのが見え見えじゃないか。」

お巡りさんが、次の疑いを出すと、杉三がそういって対抗した。

「そうですよ。それをするんだったら、この子達を責めるより、不法入国した大人を逮捕することに重点をおいてください。」

お巡りさんは、水穂にまでそう発言されて、とりあえず今はこの子達を逮捕するのはやめておくことにした。黙って交番のドアを開けて、苦々しい顔をしながら、

「出ろ!」

とだけ言った。

「はいよ。もうこの子達には手を出すなよ。」

ニコニコ笑いながら、出ていく杉三。水穂に促されて、二人の子供たちも立ち上がって、何も言わずに交番を出ていった。

「よかったな。お巡りさんうまく切り抜けられて。よし、代わりにおじさんがコカ・コーラ買ってあげるよ。」

「ほんとう?」

杉三の言葉に小さな弟がそういった。

「おうもちろんさ、ちょっと待ってな。でも、おじさんは現金で買い物はできないので、代わりにSuicaで買うことになるな。」

と、言いながら、杉三は先ほどの自動販売機の前に行き、Suicaを財布から取り出して機械にあてがい、

「水穂さん、コカ・コーラはこれだよな。」

と、顔面蒼白になった水穂に確認してもらって、コカ・コーラを自動販売機から取り出した。

「ほい、良かったね。」

「ありがとう。」

小さな弟は、杉三にふたを開けてもらったコカ・コーラのペットボトルを受け取って、ぐいぐいとおいしそうに飲み始めた。その身長があまりに低いせいか、なんだかコカ・コーラを飲んでいるというより、チューバでも吹いているように見えた。

「なんだか、まさしくラッパのみだ。それにしても、背が低いわりに知能は高いな。きっと見かけより、年齢は上だろう。二人そろって、ムコ多糖になったのか?」

「違うよ杉ちゃん。あの障害では、コーラなんて飲んではいけないといわれるはずでしょ。その黒い肌と言い、君たちはピグミーだね。あんまりね、この言葉を使うのは差別用語になるので好きではないけれど、、、。」

杉三の言葉に水穂がそう訂正した。確かに、この単語はれっきとした差別用語であるので、口に出すのはまずいと言われるが、現地ではよく使われている言葉でもある。

「だったらもう、直訳して小人といえ。そんな長ったらしい名前を付けて差別はするな。」

杉三がいう通り、それが一番わかりやすい表現であると思われる。

「まあいるんだよね、極端に背が小さい人たち。アフリカのピグミーだけでなく、東南アジアのネグリトも。大体大人になっても、三尺か、四尺前後で、五尺まで行くことはないという。」

と、水穂は解説するが、杉三の返事を聞く前にせき込んでしまうのだ。

「おい、駅の敷地内ではやらないでね!ほんとに君という人は!」

咳に邪魔されて、返答ができなくなっていた。

「よかったらうち来ない?」

兄さんがそういった。小さな弟よりまだ発音は正確だが、敬語の使い方はあまり知らないらしい。

「通訳、してくれたから。うち、すぐ近くなの。」

「おう、じゃあお言葉に甘えるよ。できれば布団でも貸してくれるとありがたいなあ。」

水穂の代わりに杉三が返答した。汚したらいけないとか、そういって断るべきかもしれないが、そんなこと言っている余裕はないほどせき込んでいた。とりあえず、歩けるだけ余裕はあったので、兄さんに手を引かれながら、水穂は道路を歩き始めた。一方の杉三は、小さい弟に先導してもらいながら、それについていった。

二人が案内してくれたのは、駅のすぐ近くにある高層マンションだった。そのエレベーターで5階まで行き、一番奥にある、いわゆる角部屋が二人の住居のようである。玄関の表札には、「望月美和」と漢字表記されていて、その下にひらがなで「さち、そら」と書かれていた。つまり、望月美和さんが、一応彼らの親となっている人物で、二人は養子縁組でもして来日したんだろう。たぶん、NGOの隊員などとして、アフリカを訪れた際、孤児を引き取ってきたのかなと推量できた。

兄さんが慣れた手つきでカギを開けた。カードキーの扱い方にも慣れているようなので、やっぱり見かけと年齢は合致していない。カギを開けると、小さな弟はすぐに中に入る。広い部屋に恵まれたマンションであるので、彼らの親権者は、かなり高位についている女性と思われた。

「入って。」

兄さんに促されて杉三も水穂も中へ入った。もちろん、日本人向きの部屋として設計されているので、体の小さい二人にはべらぼうに広すぎるだろうと思われた。

ドカンバタンと何かを出している音がして、

「さち兄ちゃん、布団出した。」

と、小さな弟が戻ってきた。

「使ってくれていいよ。」

はにかんでいうさち君。

「それはいい。寝かしてもらえ。」

杉三がそういうので、水穂は小さな弟に連れられて居間に入らせてもらった。確かにテレビの前に布団が敷いてあったが、五尺を超えている水穂には布団の長さが足りない。しかし、そら君の好意もつぶせなくて、仕方なく羽織を脱ぎ、その布団に斜めに寝そべった。そら君にとっては、一般的な日本人用の布団では大きすぎるだろうし、たぶん赤ちゃん用のサイズで十分なのである。といっても、不自然な姿勢をしたままなので、当然眠れるはずもなく、時折咳をしたままだった。これを見たさち君が、不憫に思ってくれたのだろうか、

「これじゃあだめだ。ママの布団を貸さなくちゃ。」

と、今一度水穂を立たせて、今度は義母の寝室へ連れていった。そこへ行くと、机の隣に空きベッドが一つあった。これであれば、一般的なサイズであったので、やっと体を伸ばして休むことができた。机には、大量の精神医学の本がおかれていたので、二人の義母はおそらく、精神科のお医者さんなのかなと思われた。

「使ってくれていいよ。」

さち君にそう言われて、水穂はとりあえず横にならせてもらった。

「おじさん、、、でいいのかな?なんて呼んだらいい?本当はいくつ?」

「四十五。早生まれで来年六になるの。」

年齢を答えると、ちょっとびっくりした表情をするさち君。そうか、年齢もわからないほど、自分の顔って特徴的なんだなと思ってしまった。

「おばあちゃんのなくなった時と一緒。」

「おばあちゃん?」

と、聞いてしまったが、そういうことだと考え直した。きっと、さち君の故郷では、十五歳前後で結婚してしまうのだろう。そう考えれば、四十代でおじいちゃん、おばあちゃんと呼ばれてもおかしなことではない。

「うん。じゃあ、おじいちゃんって呼ばなきゃいけないの?」

「いいよ。おじさんで。日本ではこの年で、おじいちゃんはいないから。」

水穂は笑ってそう返し、また数回せき込んだ。でも、さち君は何も驚かなかった。

「おばあちゃんもそうだったよ。そうなると、誰も止めれないから放っておけって言ってたよ。」

なるほど。それだけ医療が不備であったということだろう。きっと風邪を引いた程度でも、命取りになるのだ。

「さち兄ちゃん、杉ちゃんがオムライス食べさせてくれるって。早く食べよう。」

隣の部屋から、弟そら君の無邪気な声がした。

「いいよ。行ってきな。おじさんは、しばらく横になってれば、それでいいから。」

「また戻ってくるよ。」

さち君はとりあえず、部屋を出ていった。

そのまま、しばらく横にならせてもらったが、他人のものを借りているということもあって落ち着かず、眠ろうという気にはなれなかった。時おり咳き込みながら、食堂で杉三たちが何か食べている様子を聞いているしかなかった。

「おじさん、お茶持ってきたよ。」

さち君が、グラス入りの、茶色いお茶をもって入ってきた。持っているグラスがずいぶん大きく見えて、かなりたくさんのお茶が入っているようにみえる。

「ありがとうね。」

水穂は、布団に座り、グラスを受け取った。飲んでみると、結構苦くて、かなりきつい味のお茶だなとおもった。せっかく持ってきてくれたんだから、と思いそれを飲み干した。

「もう一杯いく?」

「もういいよ。ありがとう。」

そういって、グラスをさち君に返したのと同時に吐き気がして、また激しく咳き込んだ。今度こそ内容物が、布団の上に落下した。

「ごめん。弁償しなきゃいけないね。君のママがもどってきたら、お話しないとね。」

「いいよ。ママは細かいことは気にしないから、あんまりそういうことは、言わないから。」

日本人らしくない、おおらかな女性だなとおもった。多分、アフリカに滞在していて、そうなったんだと思う。

「おじさんは、どこが悪いの?」

不意に、さち君がそう聞いてきた。

「どこって、そうだなあ。」

一概にこことは言い切れないものがあった。もちろんメインとして殺られたものは呼吸器ではあるが、もっと医学的にいえば、免疫が過剰すぎるという問題がある。

「どこなんだろうね。理由もなにもよくわからないまま、いつの間にかかってたよ。」

「僕もそうだって、ママがいってたよ。だからおばあちゃんが、亡くなる前に、僕に日本に行くようにといったんだ。すくなくとも、こっちみたいに、ゴミみたいな扱いをされることはないっていうからさ。」

そういうさち君は、なにか体に異常があるのだろうか。一見すると、元気そうだが。

「普通に動けるから、よくわからないんだけど、ママがいうにはあのときのことから、抜け出せないんだって。いまはそうでもないけどね、ちょっと前までは、思い出すと苦しくなって、働きにも出れなかった。」

つまり、精神疾患にかかったんだな、ということができた。そのために、医師の女性が引き取ってこっちへつれてきたのか。

「君、本当はいくつ?」

「十五。ちなみに、そらはまだ五歳なの。本当はその間に、あと二人弟がいたけど、二人とも殺しあいに巻き込まれて亡くなった。」

なるほど、五歳の子供くらいの背丈しかないが、そのくらいの年であれば、自動販売機で起きた騒動のシナリオくらい作れるな、とわかった。

「長兄だったわけね。道理でしっかりしすぎていると思った。」

「うん、もう働かなきゃいけない年だけど、いつまでも家にいるのが結構辛い。」

確かに、発展途上国の国民にとっては、働くのが一番の生き甲斐であり美徳である。暇人となると相当屈辱だ。

「そうなんだね。敢えて国名は聞かないけど、どんなところから来たの?」

ピグミーの居住地域は、コンゴあたりが多いと聞いていたが、確かにあの地域は、内戦の塊のようなもので、終わることなく戦闘が続いている。

「そうだな、僕らの他に、大きな人たちがすんでいて、」

つまり、大柄な白人と暮らしていたのだろうか。

「毎日毎日、殺しあいの格闘をしていたよ。大きな人たちはね。特に、鼻が低くて太った人が、背が高くて痩せた人たちを見かければ、すぐに騒ぎたてて殺しあいをしていたよ。」

具体的に国名を言わなくても、これをいってもらえば大体どこの国なのかわかってしまった。人類史上最悪の悲劇といわれる虐殺があったところだった。

「あのとき、ぼくはたまたま、買い物に出掛けていたどころだったけど。」

と、いいかけて黙ってしまうさち君。彼の目にぽろん、と涙が流れたので、話したくても話せないんだろうなとわかった。

「そこへ座ってごらん。おじさん、誰にも言わないから。」

「うん。」

さち君は、水穂のすぐとなりに座った。そうなると、十五歳とはいいながらも、まだまだ子供の感性を持っているとわかる。

「あの日、鉄砲の音が鳴ったので、急いで木に登って逃げたんだ。そうしたら、目の前を痩せた男の人と女の人が走ってきた。そのあとを太った人たちが追いかけてきて、持っていた鉄砲を打って、殺してしまった。そのあと、からすがやってきて、遺体を食べていた。ハイエナの餌にしなかったところだけは、よかったと思った。」

「そうだったのね。」

つまり、大虐殺の瞬間を目撃したということになる。

「からすだけじゃないよ。溝鼠がいっぱいきてね。あっという間に猫ぐらいの大きさになって、遺体の回りをうようよしていたよ。」

なるほど。遺体の処理は動物任せであったのか。確かにハイエナの餌食にしてしまっては、あまりにひどすぎた。

「太った人たちは、なにも言わないで帰っていった。僕は、太った人が姿が見えなくなるのを待って、木から降りて家に帰った。家に帰ったらおばあちゃんが迎えてくれたけど、これは、話せなかった。そのあとから、なんにもやる気がしなくなって、働きにもいく気にならなくなって。」

そのあとは、大体想像できた。多分、ひどく塞ぎ混んでしまったのだろう。

「いいよ、無理して言わなくても。」

水穂は、そっと彼の頭をなでてやった。しかし、さち君は、もうここまで来たら、最後までいいたかったらしい。

「そのとき、僕は思ったんだ。僕がもう少し背が高くて、鉄砲持てるくらいだったら、太った人たちをやっつけて、あの女の人を守ってあげられたんじゃないかなって。」

「あのね、さち君。おじさんのお願い聞いてくれるかな。」

「なに。」

初めて、真剣な目付きをして、さち君は水穂の顔を見た。

「例え君が、大きな人たちと同じくらい身長があったとしても、鉄砲を持って、太った人たちをやっつけようなんて、思ってはいけないよ。」

「そうなの?」

「太った人が悪人で、痩せた人が善人かなんて区別してはいけないんだ。もともと、人間に善悪なんてつけること自体が間違いなんだから。もし君が、身長がないことでバカにされたら、戦闘に巻き込まれないようにそうなったと言えばいい。」

水穂は、泣いているさち君の肩にてをかけて、そっと抱き締めた。

「どんなことがあったって、戦闘だけは絶対にやってはいけないんだよ。きっとあのときの太った人たちは、好きで殺しあいをしたわけではないもの。もしかしたら、あのあと、ものすごい後悔して、同じようなやり方で逝ったかもしれないでしょ。戦闘なんてそんなもんだよ。それくらいしか、頭にはのこらないから。だから、そうならないでね。頼む。」

「おばあちゃんもそういってたよ。決してなんの解決にもならないんだって。」

「そう。いつまでも解決できないまま、揉め事はつづいてる。それだけのことさ。」

「わかったよ。おじさん。」

さち君は、きっぱりといった。

「さち兄ちゃん、ケーキできた。杉ちゃんが作ってくれた。」

隣の部屋から、無邪気なそら君の声がする。

「何をつくったんだろうね。」

水穂は、少年の肩から腕を離した。

「イチゴが食べたいといったら、イチゴはまだはやいんだって。代わりにパウンドケーキというのを焼いてくれた。作っていて、おもしろかった。」

と、笑っているそら君。つまり、冷蔵庫の中身を出して作ったのね。やっぱり杉ちゃんは、料理にしては天才だな。

「ほら、食べといで。」

「おじさんはいいの?」

「いいよ。このままでもう少し休んでいるから。」

そういって、水穂は、改めて横にならせてもらった。

「ありがとう。」

さち君は、子供らしい無邪気な顔でにこっと笑うと、ケーキを食べにいった。


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スピンオフ 杉ちゃんと小人の兄弟 増田朋美 @masubuchi4996

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