もう いいかい。(まあだ だよ。)

名前

もう いいかい。(まあだ だよ。)

 ゆるゆるとした湯気の立つ白米。少しばかり醤油を入れすぎた為に色濃い卵焼きと、友人から土産に頂いた京都のしば漬け。豚の生姜焼きに、ネギと豆腐の味噌汁。それらを食卓に運べば、一日の終わりに安堵のち、溜め息一つ。目まぐるしく情報の入り乱れた本日も、幕を下ろそうとしているのだ。有難いことである。さてさて、お手を合わせて、いただきます。

 何がいけないって、いち早く安心を手に入れようと逸ったことである。自身の犬歯によって思い切りに噛み付かれた口内。鈍く強い痛みと共に現れた、麻痺するような感覚に、目前に在った筈の安心が遠のく。そりゃあ、ないだろう。なんて、有様だ。自身に酷い苛立ちを覚えた次の瞬間、関係性のないものへと向くベクトル。世間に頭を下げることが癖付いた臆病者は、わざわざ記憶を遡って掘り返しては、行き場のない負の感情を募らせる。これも、あやつの仕業だ。あれも、それも、どれも、頭を過るクソッタレ。噛み付く材料ならば、幾らでもあるのだ。ほれ、何時だって、今だって、不愉快極まりない程には、ぶら下がっている。それを食い千切ってやろうにも、労力に見合うだけの、プラスがないことも知ったつもりで諦めた振りをしている。どいつも、美味しく料理してやりたいものだ。いやいや、宜しくない。分かっている筈であろう。なあ、断ち切る術を、知らないとは言わせないぞ。自身を押さえ付けては、よしよしと柔らかに頭を撫でる。時たま、必要なことである。あまりにも、微力なのである。自身を可愛がることで精一杯。そうでなければ、いけなかった、とは、後から取って付けた理由でしかない。感情で物言えば、ごく自然的な流れだ。環境の仕業でないことも、十二分に分かっているつもりである。ああ、いけない、いけない。これだから、阿呆のままなのだ。吠えてしまって、いけない。昔の悪癖である。頭では分かっているつもりになっても、間違った方向へと傾いたエネルギーは、止まることを知らない。八つ当たった無機物が大きな音を立てるものだから、我に返った。米を撒いた茶碗が、足元で頼りなく揺れていた。

 どうにか、気を取り直した。無駄丁寧に茶碗を洗ってやって、米を盛り直して、はい、着席。なにかと短時間で切り替え可能である、ご都合主義が私であって、助かった。

 安心も、同じく束の間。白米が散らかるテーブルに、はて、箸が見当たらない。皿やカーテンの下も確認した。何処ぞに隠れているのだ。そろそろ、腹が減った。かくれんぼしている暇など、ないのだ。もういいだろう、なあ。あてずっほうに手を動かして、躍起になっても見当たらない。なんだ、この野郎。いやいや、喧嘩腰は宜しくない。お願いですから、出てきてください。いやいや、いやいや、きっとこのままでは意地悪く出てこないつもりだ。上手に出ても、下手に出ても、箸の思う壺である。箸は一膳しかないのだ。それが、いけない。何膳でもあったものなら、競争に精を出すに違いない。ほらほら、ここですよっと、すぐにでも姿現しそうなものだ。図に乗っていて、腹立たしい。ここまで探して見当たらないとなると、箸の仕業ではないのかもしれない。そこまでの力量は持ち合わせていないはずである。箸を下に見ている私は、しょうもない。上だとか下だとか、そんなものはどうでも良い筈であろう。上しか見ないのではないのか。ああいや、上に何者がいるのか知ったことではない。というよりも、語弊なきよう伝えるのなら、上が分からない。神様とか、そういう類であろう。てっぺんに居座る、強大な灰色。はて、神様。ああ、神様。ふと過る、神隠し。ああ、そうだ。そうに、違いない。神隠しにあったのだ。白米の神様がお怒りになったに違いない。手を合わせてみても、やはり、見当たらない。当面、白米を食べるなということらしい。それは、困る。日本人の私にとって、米以外は主食になり得ないのだ。箸の代替を探そうにも、スプーンだとかフォークを使った日には、裏切り者め、と余計にお怒りになるに違いない。神も仏もないと思っていたが、私はなあなあの仏教徒であったのか。これは、驚くべき発見だ。日常に溶け込んでいるところが、何よりも神々しく美しい。

 再度、箸と仲良くしてやろうではないか。喉元を締め付ける、生易しい温かさを感じる。本日も、安心の平和である。箸を追う内に、真後ろで、世間と自身とを遮っているカーテンに、目線がちらついた。まさかと肩を落としつつも、思い切りにカーテンを引き開ければ、終止符を打つかくれんぼ。細々としている癖に、すっと姿勢の良い箸が、ちょこんと申し訳なさそうに顔を出した。そこに隠れられちゃあ、気付くまでに時間が掛かるだろうよ。肩を落としながらも箸を拾って、窓の外を見やれば、自身が映り込むものだから、居た堪れなくなって窓を開ける。網戸越しの紺色と金色。

 久しく開けていなかったカーテンと窓。八百万の神。先人の訓えが、行ったり来たり。こちらは、苦笑ひとつ。くしゃみもオマケと付けられたものだから、顔を顰めた振りをして、カーテンも窓も中途半端に開け放ったまま、食いっぱぐれた夕食に戻ることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もう いいかい。(まあだ だよ。) 名前 @u_chan3969

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ